履歴書⑫ひつじシェフになる。
福岡へ引っ越す
元同僚のAからシェフにならないかとのメールが届いた時、最初はためらい、少し悩んだが結果その誘いに乗ってみることにした。
鎌倉のお店ではスーシェフを経験していたし、次のステップとしてシェフを経験するのは自然な流れだったからだ。
スーシェフになった時もまだまだ経験も精神力も未熟で自信など全く無かったが、ウジタさんについていけば何とかなる!という安心感が多少はあり、そこまで危惧していなかったのだが、今回は違う。
福岡の会社は元同僚A(とする)の家族経営だった。本業の別ラインとしてフランスで修行をしたAがパティスリーを立ち上げたというお店だった。
ただ、Aは飽き性でふわふわした変わり者だったし、未知の土地で相談できる人も居ない。フランス時代の別の知人にも「あいつの所行くの?!大丈夫か??」と心配されもし、自分の技術にもそんなに自信がある訳では無い。こんな自分がはじめて出会う若いスタッフにシェフとして受け入れてもらえるのだろうか?
ただ福岡へ行く決め手となったのは、「食べ物が美味しそう!」という単純な気持ちと会社が住居費を出してくれるという条件があったからだった。
改めて文字に起こしてみても、自分が楽観的すぎて驚くし恥ずかしい。
初日の事、何を話したかなどほぼ覚えていないが、スタッフは専門学校を卒業したての20歳そこそこの男子一人、女子一人、あとはレストランで経験が少しある20歳半ばくらいの女子、とパン作りが上手な主婦のパートさんというメンバーだった。
一言でまとめれば「みんないい人!」。多少の癖はあるものの(自分だって)基本的に純粋でいい子ばかりだった。そして私が想像している以上に技術的な事も問題なく、自分のポジションをこなしていたし、掃除も出来る。
その他、パティシエとは別に販売のスタッフ数名と店長もいた。店長は東京の某有名店で販売をしていたこともあり、業界や有名シェフの事など共通で話せる話題があり、嬉しかった。
多少の合う合わないはそれなりにあったが、皆と仲良くなれた気はする。
そんなメンバーの中、私のシェフとしての生活がスタートした。
事前にAがどういう訳かスタッフ達に「次来る人はスーパーパティシエだから!」などと言っていたようで、後に皆に聞いて知ったがかなりビビっていたとの事だったが、私の頼りない容姿があまりにも想像とギャップがあり拍子抜けしたそうだ。
そのような変なハードルを上げるのも止めて欲しい。
そんな福岡での生活は、3年半ほどだったが本当に本当に色々な事があった。想像を遥かに超える困難で、こんな事普通経験する事ない!というような事も沢山。
詳しく話せない話が半分以上だ。
書ける事としては・・・
初期のスタッフの一人をうつ病にしてしまっていた
耳の病気(耳管開放症)が悪化した
精神的に私自身ズタボロになった
ご飯は本当に美味しかった
体重が50kgを超えた
お店に救急車を2回呼んだ
心療内科に通院した
Aが精神病院に入院した
あってはならないミス多数で沢山謝った
人を雑に扱ってしまっていた
後にひつじ製菓のロゴなどでお世話になるデザイナーさんに出会えた
製菓について深く探求、勉強出来た
このお店に居たからこそ出来た経験や日々楽しい事も勿論あったが、全てを振り返ると本当に酷い事が沢山あったなぁという感想だ。
のちに語ると笑い話になる内容もあるが、「こんなに辛い気持ちに人間はなるのか!こんな人間存在するのか!何の試練を与えられているのだろうか!」という思いだった。
これらに直面し自分の未熟さが浮き彫りになったし、精神的にとても強くなった気がする。結果、福岡に住めたことはとても良かったと思っている。
私の30代前半~半ばはこんな感じだった。
福岡のそのお店はその後、移転もしたそうだが現在は無くなってしまったとの事だ。
その後、逃げるように退職し東京のパティスリーに就職したのだが、更に追い打ちをかけるような辛い気持ちで働く事になる。
もっと辛い経験、苦労している人は沢山居るが、私にとっての30代は棘の道だった。