履歴書⑦ひつじ、パリで部屋を探す
いや~あっという間に8月ですね。猛暑ですね。今朝は心に余裕が出たので久しぶりの履歴書更新です!!
1ヶ月間の語学学校とホームステイ生活を卒業し、いよいよパリで部屋探しをする事になりました。この頃は何も決まっていないし、なんのあてもない状況で漠然とした不安がありました。
初めての家探し
ホームステイ先の娘さん達は「明日からパパとバカンスに行くの!ユミコこれからも頑張ってね」と言い残し一枚のハガキをプレゼントしてくれて、大きなスーツケースを持って家を出て行った。バカンス先はどこだったのだろうか?
何故かプーマのハガキ。。
極短い同居生活だったが、もう一生会う事はないのかと思うと少し寂しくも思った。しかし、しんみりしている場合ではない!私は住む部屋を!職を!探さなくてはいけないのだ。
パリで家を探す方法はいくつかある。
●不動産屋に相談
●知人に紹介してもらう(帰国のタイミングの人が結構いたりする)
●アノンス(日本人向けの掲示板や新聞などで探す)
不動産は手数料などかかり高額になるのと、仏語が必須となるためこれは却下。この頃は知人もほぼいなかったので、私はアノンスで探すことにした。
「オペラ」という界隈は日本人向けの食料品店がいくつかあり、そういったお店には大体掲示板があり、物譲ります、部屋貸します、求人募集といった色々な事が書かれた紙が沢山貼りだされているのだ。
相手も日本人な事が多いので、とても探しやすく連絡もとりやすい。部屋貸しなどは、安い部屋もわりと沢山貼りだされている。私もいくつか目に留まる物件がすぐに見つかった。
そんな中、とても魅力的な部屋があった。最寄のメトロは「ナシオン」で、猫を世話しながら一か月借りてくれる人募集というものだった。
大の猫好きの私にとって、願っても無い物件だった。憧れのパリで猫と暮らすなんて、絵に描いたような暮らしではないか!と心躍った。
早速、家主さんに連絡を取り、部屋を見学する事になった。
大通りに面した大きな扉を開けると通路と中庭のようなスペースがあり、いくつかのアパートがその中庭に面していて各アパートの入り口がある。パリの多くはそのような造りになっている事が多い。
今回の部屋はエレベーター無しの4階だった。日本で言うと実質5階だ。フランスではいわゆる地上階を1階とは数えず、2階から1階と数えるのだ。築年数の古い建物が多いせいかエレベーター無しのアパートも沢山ある。
だから急いでいる朝に下まで降りてから忘れ物に気づいた時は死にたくなる。朝から、なかなかハードなトレーニングが可能だ。
家主さんはおそらく私より年下の日本人の女の子だった。ドレットヘアーの小柄な子でアパレル関係の事をしているらしく部屋にミシンや裁縫道具など置いてあった。彼女は一か月間NYに行くことにしたからその間借りてくれる人を探していたそうだ。
そして、同居人のメス猫がいた。名前は「ミミ」といった。フランス語のスラングで「かわいい」という意味なのだと教わった。
部屋の広さは8畳くらいで、キッチンとトイレとシャワールームがあった。日当たりも悪くなく明るい部屋で550ユーロと安かったので、即決した。
そして、ホームステイの家の最寄駅「デュロック」から「ナシオン」に引っ越した。いよいよ、本当のパリ暮らしがはじまるのだ!(職はまだ見つからないが)
と思ったのも束の間、夢ごこち気分から一気に現実を突きつけられた。
原因は「ミミ」猫だった。全くミミ(かわいい)じゃなかったのだ。
去勢手術も躾もされていない彼女は、もう本当に本当に!問題児だったのだ。家主さんからは何となく聞いていたが、まさかここまで大変だとは!
布団の上におしっこウンチは日常茶飯事、布団カバーを何度コインランドリーに洗いに行ったか知れない。さかりがきて一日中へんな大声で鳴くという散々な目に合った。部屋に帰ると毎回何かしら散らかしている。暮らしていくうちに部屋の匂いも気になり、夢にみた「猫とのパリ暮らし」とはほど遠かった。早く一か月がたち、家主さんが帰ってこないかと待ち遠しかった。
間もなく一か月という頃、家主さんから念願の連絡が入った!やっと解放されるとほっとしたのも束の間「NYが楽しくてもう少し滞在を延長しようと思います」との事だった。何という事だ!
引き続き暮らしてもいいし、引っ越しをもしするなら部屋をアノンスに貼り出して募集をしてほしいとの事だった。
私はもうここでの暮らしは限界だった為、次の借り手を探す事にした。部屋の情報を紙に書き食料品店に貼り出した。と同時に自分が住む部屋もまた探さなくてはいけない。出来れば一年くらい安定して暮らせる場所がいい。。。
アノンスで募集するとすぐに借りたいという人から連絡が入った。絶対に借りてもらわないと困るので、出来る限りの部屋の消臭と片付けをし見学してもらった。希望者は私よりも年上の日本人女性だった。彼女も猫が好きといっていた。一応、あまり躾のなってない子ですよ~、とは小さく伝えたが即借りる事を決めてくださり、ほっとした。
その頃、私の次の部屋も運よく決まった。今回はホームステイ先で一緒だったナカさんの知人からの紹介で、一年間日本に帰る人がいるからその間の借り手を探しているとの事だった。念願の一年!
部屋を早速見に行くと、地上階の部屋で寝室兼リビングと台所、お風呂(バスタブ付き)、トイレが独立したなんともすばらしい部屋だった。おまけに家賃が460ユーロと破格の安さだった。フランスではエレベーターが無いアパートの場合、日本と違って地上に近いほうが家賃が高いのだが。。。
(パリの家賃は私がいた頃は安くても650ユーロくらい、普通は700ユーロくらい、ちょっといい所は800ユーロ以上といった感じだった)
唯一日当たりがあまり良くはなかったが、気になる程ではなかった。家主さんはフランス人マダムで、綺麗に丁寧に使ってくれるからとの理由で入居者はいつも日本人女性に貸しているのだそうだ。場所は「プレザンス」という駅が最寄だった。
このアパートはなかなか新しいんですよと言われ、いつ頃出来たのか聞くと1940年代との事!パリは築200年のアパートなどザラにあるので、そういう意味では1940年代は新しい方に入るのか。。。と納得した。
そんな訳で、一年の契約と階段地獄と猫から解放された私はやっと普通のパリの生活を満喫する事になった。
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今回のような物件に出会えた事はとても運がよかったと改めて感じています。パリで暮らしたことがある人にその事を話すとだいたいみんなに驚かれます。
そして、実はこの頃すでにケーキ屋さんに所属していました。ナシオンの部屋に住んでいた時にちゃんと職も探していたのです。この事は次回の履歴書に書きます。
引き続きnoteをお楽しみいただけたら嬉しいです^^
おわり
にしやまゆみこ