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履歴書⑪ひつじ再びフランスへ逃亡する。part.2

香ばしい小麦粉の焼ける匂いがして、明け方目覚めた。そうだ、私はパン屋の2階で眠っていたんだっけ、と思い出す。数週間前は日本の鎌倉市のパティスリーで毎日、毎日、朝から晩まで働いていたのに、今はフランスのラングドック地方の片田舎のパン屋の2階のベットで眠っている。当たり前だった日常さえちょっとした行動で簡単に過去の思い出となる。

ベットから起き上がり、簡単な身支度をして一階に降りると、厨房ではJJ(ジャン・ジャック)が慣れた動作で忙しなくパンの仕込みをしていた。そして厨房の奥にはもう一人男性がいた。

私がJJに挨拶すると、作業しながら笑顔で「ボンジュール!よく眠れた?」と言った。さっそく奥にいる男性を紹介してくれた。ジジェという30代後半くらい?の地元出身のパン職人だ。ジジェも笑顔で挨拶してくれた。

店頭の方にはJJの奥さんのシルヴィがいて、はじめて挨拶をした。シルヴィは絵に描いたような田舎のママン(お母さん)そのもので、ふくよかな体型をしていて、いつも笑顔が素敵だった。

お店のバゲットは店先にある石窯で毎日焼いており、朝からお客さんが次々とパンを求めにやってきて、シルヴィはお客さん達と談笑しながらも手際よく裁きながら、お店を切り盛りしていた。

パン屋さんに下宿した特権で、余ったバケットは、ほぼ毎日もらうことが出来た。

記憶は曖昧だが、初日はとりあえず、埃だらけの部屋をひたすら掃除していた気がする。あとは近所を少し散歩してスーパーでお水や野菜、調味料、ジャンプーなど、とりあえず必要な物を買い出しに行った。

エルヌという町は歩いて隅々まで回れるほどのとても小さな町で、中心部に古い聖堂があった。

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お店の前は広場になっており、日曜日は十数名の男女が広場に集まって伝統的な靴を履き、カタルーニャ地方のダンスをして賑わっていた。

広場の際に建っていたホール(会館のような)。

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2階の部屋から外を望む。日曜日にはマルシェが出た。

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滞在し始めてから、毎日毎日町を散歩をした。町はスペインとの国境にほど近い為、住んでいる人はフランス人というよりも、スペイン人っぽい顔立ちの人が多いように感じた。エルヌではアジア人が珍しいらしく、町で出会うと大概の人に振り返られたり、じっと見られたり、「シノワ?」(中国人?)と訪ねられたりした。滞在中はこの町では一度もアジア人に会わなかった。そもそも観光地ではないので当然だが。

散歩しているうちにいつも同じ場所に座っているおじいさんとも顔なじみになったりした。内容はよく分からなかったが、遠くに住んでいるらしい娘さんの話などよく話していた。

たまには朝早く起きてパンの仕込みも手伝わせてもらったが、私はパティシエでパンの技術も知識も無いため、出来る事がほぼ無かった。JJはせっかちだったので手際の悪い私は、大いに邪魔になっていたと思う。

働くJJ。動きが速すぎてブレブレになる。

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忙しそうな日はなるべく手伝わず、自分の時間を過ごした。

仕込みがさほど忙しくない日は、バケットの計量をしたりブリオッシュの生地の作り方を教わったり、シュー生地を仕込んだりした。

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カタルーニャ地方の伝統菓子。ブリオッシュにカスタードクリームとフルーツなどをのせて焼いたお菓子。

ブリオッシュ

フランスではパン屋さんでケーキも販売するのが一般的でJJのお店にもケーキが並んでいた。これは私の専門分野のため、仕上げはわりとスムーズに手伝う事が出来たが、謎なケーキや甘すぎたりとクオリティは微妙でご覧の通りである。

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JJにいつも「君はバカンスに来たんだろ?なのに何故、給料も出ないのに働きたがるの?」とよく聞かれた。バカンスを心待ちにして日々そのために労働をしているフランス人にとって、確かにそれは理解しがたい事だろう。

日本という社会で生きてきた私が、労働していない=怠けている(悪)という風潮に洗脳されていたのは言う間でもない。その呪いは資本主義というシステムの中、いかにうまく作られた「洗脳」であったか!起業してから労働について学び勉強する事が多くなり、やっとその「洗脳」を解くことが出来た。起業するまでは、仕事を辞めて、咎める人もいない環境であるにも関わらず、謎の罪悪感のような物は残ったままだった。そんな日本人の行動は個人主義のフランス人にとっては何とも不思議な光景だっただろう。

週末、午前中でパン屋の仕事が終わるとJJとシルヴィは近隣の町で開催している蚤の市に連れて行ってくれたり、近くのビーチリゾートに連れて行ってくれたりした。皆、家族や大切な人と過ごすバカンスを謳歌していた。解放的なビーチでは、年頃の娘、息子もいる家族のお母さんがトップレスだったりするのには驚いた!

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シルヴィとJJ

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このような感じで夏の美しいラングドック地方を自由気ままに過ごしていたが、相変わらず耳の調子は悪く(むしろ悪化していた?)、美しい景色を見ても、頼もしい人々に出会っても気持ちは半減である。耳の状態は簡単に説明すると、常に電車が至近距離で走っているような感じ、と言ったら近いだろうか?不快さのレベルはそんな感じである。そんな状況だから、フランス語の勉強をやり始めても耳の状態が悪く、全く頭に入らない。長時間労働が耳の病気の原因だと思っていたが、どうやらそうでは無いらしかった。言葉も通じない、慣れない土地にいる、ということが案外大きなストレスになっていたのかもしれない。

元気いっぱいとは言いがたい状況ではあったが、元来じっとしていられないタイプの私は、帰る前にフランスの東側から西側まで旅をしてみよう!と思い立った。

さっそくJJに、「旅行に行きます」と伝えると「どこまで?」と聞かれ「バスクまで」と言うと「ペイ・バスク?!!」と驚いていた。

道中、おすすめの町などをJJとシルヴィが教えてくれた。「カルカッソンヌ」という町は特におすすめされた。お金のない貧乏旅行だが、今回の旅の一応の目的は、①ボルドーのワインバーで赤ワインを飲むこと②バスクのバイヨンヌで生ハムを食べること、に決めた。あとは、立ち寄った町についてから考える。ホテルも到着してから探す事にした。

最低限の荷物と地球の歩き方をバックに詰めて、エルヌの駅から出発した。

つづく



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