スクーリング

行っている。行っているのだ。大学のスクーリングに。

自宅で勉強する通信課題の分は笑っちゃうくらいまったくできていないのだけれど、それ以外にスクーリングの授業がある。主に夏と冬にあるのだけれど、夏に参加したのが「立体基礎」という授業。そして今参加しているのが「平面基礎」という授業である。

他の科目にも色々と申し込んではみたのだけれど、実際には参加できなくてキャンセルした授業もいくつかあり、この冬もあと3コマ申し込んでいるものの、実際はこの平面基礎のみの参加になりそうなところである。まあ仕方ない。のんびりやるしかない。

「立体基礎」の授業は、いわゆる「彫刻」だった。粘土で作りたいものを作り、石膏で型を取り、粘土を取り出してカリ石鹸を塗り、そこにまた石膏を流す。型を割ったり削ったりして粘土で作ったものと同じ形の石膏を取り出し、磨いたり削ったりする。

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↑細かくて堀り出すのが大変だった。あとは石膏を流したあとに気泡を抜くのを忘れてしまった。

これはものすごく楽しかった。そもそも、何時間も粘土をこねて自分の作りたいものを作るなんて、今までやったことがない。そしてそれが石膏になるという、未体験ゾーン。スクーリングは3日間あるので、3日間、毎日ひとつずつ作品を作る。楽しいけどものすごい集中力が必要で、えらく疲れる3日間だった。それが2回あったので、合計6日間。

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↑翌日もうちょっと削ってきれいにほっそりさせたのだけど、肝心の写真を取り忘れてしまった。家に持って帰ってあるけど、背景も含めての作品だったので、この噴水の中で撮ったのが大事。

そして今参加しているのは「平面基礎」。夏は立体だったのが今度は平面である。平面も初っ端から障子紙の90センチ×180センチという大きさの平面に表現していくという無謀さであった。

そもそも絵心がない、絵をうまく描くことができない、絵を描けるようになりたいと望んで選んだ美術学部なわけで、平面というのは(私の中での)ハードルが高い。

そして描きだしてみると「意外と私できるじゃん」と思いながら描いたりしたのだけれど、先生にはあまりいい評価をされない。「この書き方は幼児性の高い表現方法」と一蹴されるという(笑)。これは3作中2つを真ん中にドーンとモチーフを配置したことによるもので、幼稚園児が象の絵を描くときに真ん中にドーンと置く、それと同じ、というのが先生の言葉であった。

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↑撤収するときに「あら、裏面すごくいいじゃない」とアクリルベタ塗りのピンクの丸以外を褒められた作品

これはものすごくめちゃめちゃ思い当たって、他の人が微妙な空間を残したまま作品を作っているのを見て「私こういうのできないんだよなあ」と思いながら全画面に均等にいろんなものを配置していた。まさにそれがウイークポイントで、それが「アート」なのであった。

これにも裏があり、実は私はデザイン学校出身、グラフィックデザインというのを勉強してポスターやら何やらの印刷物を作る勉強をし、2年目はエディトリアルデザイン、雑誌なんかの誌面を作る勉強をしていた。これは写真と文字をいい具合に配置していくわけで、気持ち悪い中途半端な隙間なんかないようにしなければいけないわけである。

その後デザイナーにはならなかったけれど、印刷物の原稿を任されることはやたら多かったし、ウェブサイトを作るときもコンピューターは四角四角でできている世界なわけで、よくわからない形の空白とかは無縁だったわけである。デザイナーなんか「才能ないし」と諦めた職業だったはずなのに、なぜかスピリットだけはデザイナーだったわけである。

アクリル絵の具で色を塗っていても「これはデザイナーの塗り方」と思う場面があちこちあり、これは美術学部にいる間中、ずっと悩まされそうな予感がする。開き直ってデザイナーっぽいアートを作っていくのもありかとも思うけれど、そもそもそれをやるにはもうちょっと前衛的な(←いちいち言葉が古い)デザインをできる必要があるわけで、私はどっちかというと固いデザインをする方なので、そもそもそういう前衛的なデザインの才能がない(笑)。

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↑好きな音楽をテーマに描く作品、ピンク・フロイドの20分超えのプログレッシブ交響曲「Atom Heart Mother」を欲張って選んだ結果の作品

というわけで、試行錯誤しはじめたこの数日。この週末もスクーリングである。

唐突に久々にnoteを書く気になったのは「デザインとアートは違うもんだ」というのが今朝腑に落ちたから文章にしてみることにしたわけで、真面目に大学生をできているかというとそんなことはまだまだ全然なのであった。

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