《自分の本当の欲求》
敢えて、ことばにするなら、
《自分の本当の欲求》
とでも言えるようなそれに、
氣付いて、それが腑に落ちる瞬間、
とてつもない、ワクワク、が湧き上がってくる。
また別の言い方をするのなら、
《純粋な、または、純度の高い、クリアな好奇心》
と言えるのかもしれない。
*
瞬間沸き起こる、とてつもないワクワク、は、
一定の間を過ぎると、落ち着きはする。
けれど、奥底に、きっと、在り続ける、のだろうね?
*
そして、
その純度の高い、クリアな好奇心、とも言える、
とてつもないワクワク、をおぼえる、
《自分の本当の欲求》
を叶える為に、=実現する為に、具現化するのに、
必要なものは、実は、はじめから、自分自身にそなわっている、
のかもしれない。
けれども、そのことすら、すべて忘れ去る。
そうして、はじめる。はじまる。
【人生】という名のゲームを。
*
そのプロセスにおいて、
「なんでこんな思いをしなきゃいけないんだ」や
「どうしてこんな目にばっかり遭うんだ」みたいに感じることなんかは、
往々にしてありがち、なのかもしれない、のだけど。
それらすらも、
つまりは、体験や経験、
コンプレックスやトラウマと思い込んでいるような、
唯一無二の【自分】という存在そのものである才能・能力、特性、個性、体質、なんかも。
徐々に、きっと全てが、紐づいてくる。
純粋な好奇心から生まれているのかもしれない
《自分の本当の欲求》を体現する為に、
必要な全ては、自分の内側に在る事を、思い出してゆく。
ああ、この為のものだったのか、って。
自分に備わっているらしいことが「忌々しい」と思ったもの、
これまで散々、自分を痛めつけてきた、と思っているもの、
それらのすべては、きっと、
《自分の本当の欲求》を体現する為には、
あまりにも最適である、かもしれない。
*
氣付いてみると、紐解けてみると、
《自分の本当の欲求》ってゆーのは、
何も不都合のあるものなんかじゃない、本当は。
もちろん、人によって、時によって、違っているのかもしれない、
けれど、
「ああ、だからか、なるほどね。」
と、きっと、むしろ、腑に落ちる。
どこか、肚が据わる、ような、
安心感みたいな、安堵、
敢えてことばにするのなら、そんな体感がある、のかもね。
*
見たくないところ、を、敢えて、見てみる。
取り掛かる瞬間は、
とてつもなく、不快で、嫌で、たまらない、かもしれない。
ただ、始めてみると、
瞬間瞬間、出てくるままの感情を見てあげて、
時には、出てくるままに書き殴ってw、消化して昇華する。
ふと湧いてくるのは、
【供養する】
というキーワード。
今は、お盆、だね?たしか。
すべては自分がつくっている、内側から生まれている、とは言え、
外側の世界や他者を存在させている以上は、
そして、この肉体を含める全てが、実体としてあろうがなかろうが、
肉体やエネルギー体に、あるかもしれない、もの、
すでに要らなくなってはいるけれど残存させている(している)もの、
先祖代々、や、生まれた土地や、いま住んでいる土地、
さらには、集合(無)意識のあたりなんかも、見ていってみると、
自ずと紐解ける、そんな時、なのかもしれない。
*
今回の(?)とゆーか、今の、なのかな、
キーワードは、
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・お金
・親子関係
・自分の中の男性性と女性性のパートナーシップ
・自分と他者の間におけるパートナーシップ
☞これらにおける、すれ違い、行き違い、誤解や思い込み、
さまざまな感情(※後述)などの【和解】、【ねじれの解消】
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ってゆー感じかなぁ。
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【感情】(感情的なもの?)は、
まあ色々、多岐にわたるけれど、
特に、ポイントになりそう、なのは、
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・不信感
・猜疑心
・劣等感、からの、見栄、要らぬプライド、虚栄心
・罪悪感(これ大きいかもね〜特に)※自責がひるがえっての他責とか
・無価値観
・強い(はげしい)怒り
・かなしみ
・さみしさ
・悔しさ
・憎しみ
・殺意
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あたりかなぁ。
あとは、
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・『たたかい』の意識
・自己保身
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とか?
ほか、関係ありそうなところでは、
「傷」についての「氣付き」が起こると、
「傷」は「絆」につながる、その証、
みたいに捉えられるかもしれない、とかね。
そうすると、
必要以上に「傷つくこと」「傷つけること(られること)」
を恐れなくはなる、のかも。
あと、
「痛み」は【罪悪感】があると感じるのかな?
とゆーのもあるから、
肉体的だろうと、心理的・精神的なものであろうと、
「傷つくことに痛みを感じる(おぼえる)」
のは、傷つけることへの【罪悪感】から来ている、
のかもしれないね?
・・・だけどさ、妙だよね、って感じるの。
この世界には、《必要のないものは存在しない、出来ない》らしい、じゃない?
まあ、痛み、や、傷つく、は、【幻想】だよね(そんなこと言ったら全部だろ、ってなっちゃうけどね)
なのかもしれないけれど、
そんなこと言い始めたら、すべてがなし崩しになるから、一旦おいといて。
痛みや傷つける事、罪悪感、なんかすら、
何かしら必要であって、または、存在が許可されて、
ここに在る、わけだよね。
となると、人間ってゆーのは、
やっぱりとてつもなくミョーなイキモノだよね、って湧いてきたりする。
人間である以上、
非情さや残虐性といったものも、どうしたって、
あわせ持っている、というか、兼ね備えている、だろう。
しょうがない。きっと、もれなく、例外は、ない。
その性質があるからと言って、危険人物、なわけではないし、
むしろ、自分にもそういったものがある(かもしれない)
とゆーことを、認識しておくほうが、健全(?)なのかもね?
”自分には、人間には、そんなところなんて無い!”
って、決めつけてもイイし、そこは好きに遊べばいい(決めればいい)けれど、
それによって、苦しみ、が生まれるかもしれないことは、
可能性としてみておくほうが、もしかすると、よりよい、のかも?
どうかなー😌🙏🌌
*
人間は、と、一括りにしていいのか、出来るのか、
わからないけれど。
非情さや残虐性と共に、とゆーか、
そこに紐づいてくるのかもしれないけれど、
どうしたって、何かしらの、変態性、も備えているだろう。
認めちゃえばイイ、のだよね。
ああ、自分はオカシイのかもしれない、
人とは(ちょっと)違っている趣味嗜好があるのかもしれない、
とかね?
だけど、あたりまえ、だよね、そんなのはさ。
一人一人、違っている、んだよ。
同じ存在なんて、絶対に(言い切れるのか?w)、無い。
残念ながら、(? 別に残念じゃない、かもね♪☺️🌟)
「同じ」は無い、と思っている。
「同じ」の定義やイメージによって変わる、だろうけれど、
「同じような」や「似ている」はあっても、
「同じ」は無い、きっと。
それは別に、かなしいことでも、さみしいことでも、
なんでもなくて、いまのわたしにとっては。
あたりまえだ、そんなことは。
だからこそ、それぞれ、ひとりひとりが、
唯一無二の存在であって、【不完全で完全体】であって、
本来、とてつもなく独自の、オリジナルな存在である、
そういうものでしょう、人間、ってゆーのは、
この世界のすべては、きっと。って出てくる。
*
ちなみに、オカシイ、は、「可笑しい」だからね、
笑う事が可能 → 笑えちゃう、んだよ。
すてきでしょう?
「オカシイ」って☺️💐✨
*
今回の文章の中でも、
度々使っている、「紐づく」とか「紐づいてくる」ってゆーのは、
紐づける事も出来る、とゆーか、
そうやって、繋いで遊ぶことが可能である、みたいなこと、なのかもしれない。
ただ、
意識的、意図的に、やっているわけではなくて、
何かが「紐解ける」瞬間には、
絡まっていた、時には、がんじがらめに思えるようなそれが、
スルスルと、ぱらりと、ゆくように、
自動的に、紐づけられる、あらたに、
...とゆー感覚なのかな。
それは、言い換えるのなら、【破壊と(再)創造】 なのかもね。
*
今回のおわりに。
『素直』はだいじよ。
『弱み』と思っているようなものをさらけ出す、とか。
【恥ずかしい】を感じてみる、味わってみる、とか。
ね😊🐈💕