
心許なさと自信
自分にはどこかそこはかとなく "心許なさ" がある。
こころもとなさ。
もとなさ、って、許なさ と書くんだね。
ゆるす、許す、と同じ字かぁ。
心許せてない、こころがゆったりしていない状態をあらわすのかな。
そうか、許してないからか。無意識に許していない/許せていない事が山積していて、それに氣付くためのサインが "心許なさ" なのかもしれない。そうやって使ってみるのは一つのテかも。
心許なさは心細さに似ていて。それをどうにかしたかった、したい時は少なくない氣はする。
安心できる環境に身を置くとか、自信を育むとか、そもそも自信に執着するのをやめてみる、自信を手放してみるとか、色々いろいろやってみてる、きっと。
なんだけど、何とかしようとする、のは辞めるといいのかなって今かんじてる。
心許なさ、心細さ、とそのままに在る。そこと自信を結びつけるのはありだけど、結びつけるのは辞める。とかね。
ふるふると落ち着かない不安定さを収めたくて、収まるものだと思い込んで、そうしようとしていたかもしれない、
だけど、解決しようとする行為は、根本的な解決は呼ばない。いつだってpointになるのは、視点や視座の変化変容。
そして、そのままをゆるすとか、感じ切る、や、味わい切る。すごく、シンプル。
視点や視座の変化変容というのは、例えば「そもそもそれは問題なのか?」というところ。
心許なさや心細さは、問題なのか?
問題だと思っていた。問題に、していた。自ら。
そうやってあそんでみるのもわるくはないけれど、今は氣分じゃない。新しいあそびを、する。
心許なさや心細さは、そのままにする。構わないよ、あってくれて、構わない😌
ああ、この方が、よっぽど "どっしり" が生まれるじゃないか、内側に。
あって構わない、という "許し" によって、ありどころを見つけたのか、まさに腰を据えたような、落ち着けたような
そのような感覚。。。
この感覚は、自信、と呼べるのかもしれない。
自己を信頼する、あるいは、信用する。自分と自分の信頼関係、と言おうか。
面白いな、自己を、自我と捉えてみるなら、それはエゴとも言えて。
自信、自己を信頼する、は、エゴを信頼する、にもなり得る。
そーかそーか🤭それはとても面白い。
エゴというのは創造エネルギーと聞いたことがあってから、基本的にはその解釈を採用している。
エゴを信頼する、創造エネルギーを信頼する、信用する。
ふふふ、おもろいな♪
それは、ゆだねる、や、surrenderにも通じてくる。自己信頼、エゴ信頼、創造エネルギー信頼は、結局のところ、全体性への信頼に通じている。
🥳✨
いつも "答え" は身近にある。とてもなにげなく、"答え" の装いはしていないかもしれない。
やっぱり、問題を作り出して解決しようしよう!とするよりかは、問題は本来問題ではない事に氣付き、問題にしていたそれを そのまんま みる、認める、あらためて受け容れる、ゆるす、ということがキモだね☺️💫
"てってれー♪
ゆみこはレベルが上がった!"
という効果音がきこえてくる氣がする🤭🤣
ふふふ💗
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