大人のお絵描き教室 in HOKKAIDO れぽ♡
2024.2.18
大人のお絵描き教室 in HOKKAIDO
に参加しました♪
その時のこと、そのあとのこと
出てくるままに
ことばにしてみたもの です😌🌳
**
今回のお絵描き教室参加者には事前に、
井出さんからの限定ビデオレター💌
(=メッセージ動画) が送られており。
その中では、
お絵描き教室の主旨や
どんな、何をする【場】なのか?
のほか、
こんな風に(こんな意識、感覚で)
お絵描きしてみようね〜というお話や、
課題、と言えるようなものもいくつか
提示されていた。
私は動画を観てなんとなぁく、
課題の3と5だな、って感じて。。。
実際、当日も
その課題(テーマ)で計2枚を
描いたのでした😌
特に、5のほうは
はじめ〜なか〜おわり(仕上がり)が
それぞれ全く違う絵に...!
文中に撮影した分だけ
写真も載せていくので、
ぜひその【変遷】もお楽しみください✨
ではでは、この先は
「お絵描き教室」翌日夜に沸いて来た文章と共に お送りします♪
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(2024.2.19深夜 記)
5から描いてみる
とにかく、きになる色、絵の具をとって、お皿に乗せる
ピンと来る筆で、ただ出て来るままに、沸いて来るままに、キャンバスに色を乗せる、線を描いたり、ペタペタしてみたりする
道具や絵の具、キャンバスと遊んでいる、戯れている感じ、感覚、そんな時間
ああ、君たちはそういう感じなんだね、おっけーおっけー、ふむふむ、みたいな
はじめまして、なので、実際に触れてみて目で見てみて、時には音を聴いてみて、重なって混ざる具合や、筆の感触とか、線の出方とか
今ことばにしていない、しきれない、認識として拾い切っていない、本当に様々さまざまな体感みたいなのを、"実際に描いてみる" という事を通して、からだがキャッチした、というような
そんな時間がはじめに起こっているような。そして、そんな意識や感覚、認識をしながら、の時間でもあった氣がする。
で、とにかくそんな風に、どんどん色を乗せる、線やら何やらを描いてみる、混ぜてみるetc...を、沸いてくるままにやりまくって、
きっと、ひと段落した、のかな。
井出先生とのお話タイム。
「原宿みたい」とご感想。
おーなるほど、たしかに、と思う私。
で、課題の5をやっていて〜、という話をする。
そしたら、「タイトルを付けると何になるの?5をやっている人は、ココ(画面、絵、キャンバス)に出てるものを言語化出来るはずだよ」と。
パッと出て来たままを言う。
「カオス、です。」
で、そのあと続けて、だっだかなぁ...
「でも、これは私にとっては、『華』なんです。」
......まるでわからない。
これのどこがどう「華」なの???
まぁ、地味か華やかかと言えば、後者かもしれないけれど、
華やか、華やぎというよりは、ド派手、で、やっぱり「カオス」なんだよ。「華」????
...と思いながら、
【沸いてくるままをアウトプットしてみる】
はここ1〜2年の私の核、Core Themaなので、ココでもやる。それしかない。そこに尽きる、から。
そうしたら、たしか井手先生は、
「他の誰かにはよく分からない、だけど、自分には(では)よくわかる、っていうタイトルを付けてみるといいかもね」
というようなアドバイスを伝えてくれて。
他の誰かにはよく分からない、だけど、自分には(では)よくわかる、っていうタイトル...
その瞬間にはパッとは出てこないけど、なんかそれはそうだよな、だって、そういうテーマ(課題)で書いてる
私の人生経験、超私的な。
ほかの人から見たら、あなたの人生のどこがそうだったの?って言われるかもしれない、
だけど、体験体感しているのは、私、だから。
誰に見せる見せない、どうでもいい。
とにかく私はココ(キャンバス)にそれを出し切る(描く)んだ
っていうのが、これ、だから。
で、意識を向けて置いたら、宇宙に放り投げておいたら、必然最適なタイミングで、必然最適なそれ(タイトル)は【来る】から。
それをして、2枚目に取り掛かることに・・・
2枚目のサイズは、B3。
多分、選べる中で一番大きなキャンバスだったかな?
なんか、それ、だった。
描いてみたかった。これに。
で、1枚目は木にそのまま色を乗せて行ってみたから、2枚目は白色としても使える「ジェッソ」っていう下地を塗ってみる。
で、一通り塗って、乾かしタイム。。
に、1枚目に戻ってみる。
ほーん、、、と眺めてみて。
たしか、白い線を画面いっぱいに放射状に引いてみた。
何だったのかなアレは。
なんか、そう、だった。
で、イロトリドリで、びっっっっしり!!みたいなキャンバスに、白の場ができて。
そしたらそこに、チョンチョン...と、色を乗せ始めた自分。
ほぉー、、、とおもいながら、からだは自動的に動いているのを、みている。
で、なんだか、1枚目を描く中でそこまで出て来てるのとは、ちょっと違う感情みたいなのが、ぱやぱやっ...って出ているのが、これぐらいの時かも。
なんか、イイじゃん可愛いな☺️💗って感じながら、だったの。
その前にも、わーいわーい😆🙌とか、こんなになるのか〜🥹✨とか、そういう感情感覚は出て来てて。ワクワクとか面白い、しっくり来る、いいぞぉ🥳とかね?笑
なんだけど、なんか、毛色が違った氣がするんだ、あの時のは。
で、そんな、感情が出て来ながら、チョンチョン...しゅるっ...(ほんとか?そんなのあったっけ?🤣)みたいなタッチで、色が乗せられていく、、、
いくつか、そんなまとまりが、画面上に生まれてる頃、フッ!!!と来た
あ!!!!これ、華、じゃん!!!!
って。
そう、なんだか毛色の違う「うふふ🥰🤭💓💗」みたいな感情で描いていた、いくつかのまとまりのように見える、それら、は
見ようによっては、華、だったんだ。
牡丹とか薔薇とか、そういうの、なのかな。うーん。割と、花びらがしっかりした感じの、華たち。華々。
で、なるほどーーーーー!!そゆことかーーー!!!って、めっちゃ私の中では、ぴぴぴぴーーーーーーーーん⚡️が起こって(笑)
さっきのわけわからん「カオスです。でもこれは私にとっては『華』なんです。」が、こんな形で回収されるとは、、、いやはや、、、すげーな
だから、沸いてくるままアウトプット、はすきなんだ♪☺️
めちゃくちゃ面白い。
何言ってんだ?なんでこれやってんだ?って、自分で言いながら書きながら、思ったり感じたりなんかは、割とザラ。
だけど、こんな風に、知らず知らずのうちに何かの「布石」になっていて、どこかのタイミングで、そこにバチコーン!!って繋がるのが、まぁ...大好物というか、醍醐味だなぁと。しめしめ🤤💗笑
で、なんかそのあたりでまたひと段落して。
あ、このタイミングで、かな?
さっき井手先生が伝えてくれたことへの答えが来たのは。
「他の誰かにはよく分からない、だけど、自分には(では)よくわかる、っていうタイトルを付けてみるといいかもね」
そのタイトル。
華だーーー!!!!🥹って氣づいたあと、その画面(キャンバス、絵)を眺めていたら、フッと来た。
「やすらぎ/安らぎ。」
...やすらぎ
安らぎ。
、、、😳
頭は、ハテナ。
「これが?この感じが?やすらぎ?安らぎ...?ほ、、ほぅ?」みたいな
だけど、体感は明らかに、
やすらぎ
安らぎ。
それは紛れもない。
なら、私はそっちをみる。
だって思わず、顔が綻ぶ、のだもの。頬が緩んで、目は下がって、胸のあたりはふわぁってゆるまって、なんだかあったかい。ほっかり。ほっこ。
だけどこの瞬間、直感的に、そのタイトルが何を言っているのか、は「わかっていた、理解した」氣がする。
言語化まで落とし込まなかった、というか、きっと「わかった、理解した/された」から、そこで、何やらこねくり回す時間は要らなかった、きっと。
もう、瞬間で「終わった」から。
「確認、確かめ」は要らなかった。
で、そこで1枚目はまた一区切り😌💨
2枚目に、いよいよ、色を乗せてみる段。
2枚目は、課題の3。
1枚目もそうだったけど、おうちのどこに飾るか、それをみている眺めている時の私ってどんなかな?みる前は?みた後は?どんな体感、どんな心地になっていたらいいかな。...みたいなことを、とにかく【かんじてみる】【イメージしてみる】時間をとってみた。
お菓子食べながらw
お茶飲みながら🫖✨
ゆるゆる、ぽへー、、、
そうしたら、みえてくる。
浮かび上がってくる。
どこに、何が、あって
どんな方向性(エネルギー)で
それにはどんな意味というか要素があって
それは何をあらわしていて
じゃあそれ(ビジョン、イメージ)を「描く」には、どんな手法が合いそうで
みたいなのが、なんか、「わかる」
で、「よし」と整ったので。
色を決めて、筆などを決めて、最初の「一滴」「ひとしずく」から、2枚目は始まった。
とってもイイ位置に落ちてくれたところから、双方向にうごく、うごめくエネルギーが連なり
下方には、波紋がひろまる。。。
ここで、井手先生からの一声。
ちょっと具体的な言い回しは忘れてしまったけど、要は、
「周りに遠慮しているから、広い場所に移ってやってみたら?」という内容で。
周りに遠慮している...つもりは皆無wだったので、言われた瞬間、はて?ってなり😆
遠慮してますか?私??と訊いたのだけど、井出先生のその後の解説で、なるほど。
たしかに、画面の外側、左右や前では、お絵描き中の仲間がいるし、仲間の大切な作品たちがあるので、
それこそ、完全に無意識に「遠慮」してたんだなぁ。
はみ出ないように。
飛び散らないように。
周りの人や大切な何かに、思わぬ何か、予想外のそれが、派生してしまわないように、みたいな。
...これなー
今回は、お絵描き、のシーンで出てるけど、それ以外の「日常生活」においても、
☝️こういう理由での無意識遠慮
あるってことだよね。ハイ。
うん、すんごい心当たりある。
無意識だった割には🤣
だってこわいんだ。
どこか【規格外】な自分、を私は嫌というほどに知っている。
それで、あまり良い思いをして来ていないように、思い込んで、いる。
そんな筈はない、はずなのだけど。
だから、抑えてる。
"ココから出ちゃダメ。出てこないで。あなたが出てくると厄介なの。大変な事になる。後始末が大変だから、ほんとうに面倒なので、やめてください。そこに入ってて、出てこないで、おさまってて、頼むから!!!!!!!!お願い!!!!😫"
...みたいに、私に言ってくる私、はいるんだ。
そして、言われている私、は
...ほんとうは、とっても、すんごく、かなしいし、さみしい。ほんとうに。ほんとうに。
書いてて泣けてくるぐらい。
私が私にそんな風に言われる/言うほど、取り扱い注意で困難で、厄介で忌々しくって、苦しみの権化、根源で、「お前さえ居なければこうはなっていなかったのに」って思う/思われる、っていうのは、、、
今の私には、すごく、泣ける。
どんな、感情なのかな。
きっと、ことばにはならない。
なりきらない。
ことばに、出来ない、
つまり、する氣、はない。
到底、可能ではない、そんなもんじゃないんだ、ってあるから。
だからきっと、描いている、のかもしれない。
ことばじゃないところでの、表現、だから。
あまりにも多くの、様々な、それ、を絵は包み込んでくれるし、あらわしてくれる。
きっと、今回の、今の私には打ってつけの、最適な素晴らしいツール、手段、体験/経験、だった。
ありがたいな。。。
そんな機会がある、用意されている事も。
そこに参加できている事にも。
ありがとうでしかない、本当に。
うー、、、泣ける。。。
...ココに書いた事を、井出先生の「周りに遠慮してるよね。〜〜」のことばの瞬間にキャッチしたわけじゃない
今、書きながら、出て来てること。
そうか。だからか。
だから私は、これを書き始める前に、描いた/生まれた2枚の絵を、眺め、触れ、抱きしめ、号泣したんだな。
ゆるし、だったし、解放、大開放。
私が私に思っている事、"出てこないで!おさまっていて!あなた/お前が出てくると..." は、
今書いてみて、たしかにそれあるな、だけど、お絵描き教室中には、出て来てないから。
潜在意識に眠っていた、のかな。その時はね。
いま、これを書き始める少し前やタイミングが、先に感覚でキャッチして、ゆるしや癒し、解放が起こり、ひと段落して、顕在意識に咀嚼され、こうして言語化している、きっと。
で、井出先生が広い場所を用意してくれて、そこに移って、続きを。
はみ出してイイ
飛び散らかしてイイ
周りを氣にしなくてイイ
めちゃくちゃ、解放/開放。
対比があるから、わかりやすい。
さっきのはさっきので、別に不自由感はなかった。我慢してる意識や感覚も。
"それが普通。あたりまえ" ぐらいにすら思い込んで、しかも、【からだがそう】だっだのかもしれない。
体感覚として、「抑え込む」「遠慮する」「縮こまる」「出ないようにする」「散らないようにする」がデフォルトになっていると、
わからない、よね。
だって、すっかり馴染んじゃってる、から。
だから、ココ。
すーごくすーごく、私の中では、大きなpoint、だったのかも。
って、今振り返ってみて感じている。
いや、point、は沢山あってね(笑)
だから、飽和している、すべてがpoint、って感じるのはある😌
だけど、、、
っていうような部分。
で、立ち位置や、手(筆)の高さなんかも、さっきとは大きく変えてみながら、動いてみながら、
絵と、私、私のからだ、道具や画材たち、お水、空間そのもの、そこにいるみんなやすべて、、、と、あそんでみる
そんな時間だった。あれ。
外側に意識が向いている感覚はまるで無い、けど、すごくすごくすごく、私とキャンバス、そしてそのあいだ...(にあるすべて)に集中している、、どこか没頭しているような、だった氣はするけれど、
と同時に、あの時実は、認識はしていない、意識は向いてないけれど、なんか「ひろがった」の。きっと。
私とキャンバスと、そのあいだ...(のすべて)に、グーーーーーーーーーーッと入っているけれど、けど、詰まってはいない、のだよね。
むしろ、1枚目の時よりも、空間を使っている、というか、
キャンバスと私、の距離を、細かく何度もとりながら、描いては観て、描いては観て...
みえるものを色にして、線として...
みたいな、作業...じゃないな、あれはなんていう表現(ことば)になるかな
ああ、「対話」だ。
対話、だった。
私と絵、との。
だけどそれは、私とキャンバス(物質)でありながら、同時に、私と内側のキャンバス(意識、内面)なんだ。
って書くのだけでも、まったく、足りない。
ほかにこれがある、これはある、あんなのも、こうゆうのも...キリがないほどに。
無意識に私はあの時、いろんな何かと、何かになって、「対話」していた。(お絵描きしてた)
2枚目をそんな風に描いてみて、ひと段落のタイミング。
井出先生がみて、
「きれい。」
って☺️
シンプル、なことば。
だからこそ、なのか、シンプルに素直に、うれしかった🌸
わぁい🥰って。
「さっき(1枚目)とは別人みたいだね」というようなコメントも頂き。
たしかに。🙄
で、私は、そういうの、がすごく好き。
わたしの中には、いろんな私、時に俺、が在る。
だから、まあまあ大変。
本当に、多重人格なんじゃねーか、と思うぐらいに、様変わりする時がある。
口調も変わるし、声も変わる。
ふるまいも変わる。
何なら本当は、出立ちも変えたいほど。ヘアスタイルとか服装とか。
私は、そんな「私たち」にとても手を焼いてきている。
持て余す。扱いきれない。
だから、嫌だった。
いろんな「私たち」が氣まま好き勝手に出て来ては、各々やるようにやって、後はどーすんのよこれ?みたいな
だれが片付けるのよこの惨状を
みたいな
いい加減にしてくれ
ほどほどに頼む
ほんとにやめてくれ
...って言いたくはなる、かもね。
うん。沢山在る「私たち」それぞれの、都合のよさ、は違っているんだ。仕方ない。
どこかで、諦める。
諦める、というのは、明らかになって芽が出る、という意味合いのようでね、
決して、それ自体がネガティブなことばなわけではないのですよ☺️
本来の、諦める、はね。
そうそう。
井手先生から「さっきとは別人みたいだね。」のことばを貰って、
「1枚目で全部出し切った氣がして。それでコレ(2枚目)に来れてる氣がします☺️あとは、どこまでやるかやらないか(描くか描かないか)かなぁと」みたいなことを喋った。たしか。
で、そのあと、井手先生から全体に向けてこんなお話があって👇(意訳)
何かを描く時に、それそのものを「描く」事ばかりに意識が向きがち(それそのものを「描く」事ばかりをやりがち)になったりするけど、それそのものでなく、「空間」を、どう描くか(使うか?)っていうほうに意識を向けてみると...
というような内容だった。はず。
例として、、
植物の細い枝を描くのは、時に、その細さゆえ、なかなか難しかったりする。
そんな時、細い枝そのものを描こう描こうとするのではなく、枝の周りの「空間」を描く事で、結果的に「枝」が描かれる
...みたいな。
なるほど、、、となり。
何かを感覚的にキャッチした。
そう。2枚目は、あんまり「描き込む」をする感覚は無くて。
どこまで描いて、どこまで描かないか。
それこそ、描かない、空白を残す、「空白を描く」のがpointな氣がしていて。
ふむふむ。。。となりながら、2枚目は一旦置く😌
で、またまた1枚目。
2枚目が描かれてゆく中で、
・距離を取ってみてみる、眺めてみる
・これが部屋にあったら、それをみた/眺めた私は、どんな感覚になるかな?
あたりが芽生え育まれた、ので、それを1枚目ともやってみる。
、、、ぐっちゃぐちゃやな🤣
うーん
これをおうちの、きっと、自室のあそこに飾ったら...
お、落ち着かねーーーー😂
なんか、重〜〜〜くなるな、体感は。
なんか、...ぬぬぬ。とか、...むむっ。とか、なる〜〜〜
これを、このまま、お部屋には飾らない。
飾らない、のは、なんかさみしい。飾る!🥺
なら、どうなれば、飾る氣になるのか・・・
"抜け感が欲しい"
"空氣、風、エネルギーが(通り)抜ける感じが"
って沸いて来て。
とりあえず、キャンバスの上に水をジャブジャブ乗せてみて「溶ける&拭き取る」のと、ペインティングナイフ(だったかな?)で「削る」を試みる。
けど、ぜーーーんぜん!溶けない!拭き取れない!削れない😂
あひゃーーーどしたもんかな🫠となってすぐぐらいに、井手先生。
「その、感情を、そこに閉じ込めておきたいの?それとも解放/開放したいの?」
「解放/開放です。なんかもう一区切りはついてるから。」みたいなことと、"この子(絵)をこうしてあげたい" みたいなのをお話する。
そうしたら。
(細かい言い回しは、記憶が曖昧なため、意訳ですよ。)
「キャンバスの縁が今黒いじゃない?だから、やりたい事と逆になってる、閉じ込めてる(収縮してる)状態になってるよ。縁を白、白じゃなくてもいいけど、そういうのに塗り替えてみたら?」と...
うぉーーーーーーーー
にゃるほどぉおおおおおおおおおおおお
そうかぁーーーーたしかに黒は収縮、ガッツリ枠を作って閉じ込めている。。
一方の白やそういう色は...ふむふむふむ。
そして、ここに至る前に、
枠をガッツリ作って(=JET BLACK ×玉虫色 で縁をしっかり塗って)、外堀をバッチリ固めて、その上で、その中に、思う存分、沸いてくるままに、ぜぇーーーーーーーーーーーーーーーーーんぶっ!!!出し切る!!!!!!!!
っていうのは、すーごくすごく、大切だった。
しっかり、黒、そしてそこに、きらめく玉虫色を混ぜたもので、グッと、ギュッと、囲って、
その、ガッシリした枠があるからこそ、その中には何したってへいき、っていう無意識の安心感があったかもしれない。
無意識の安心感をくれていたのかもしれない真っ黒で、かつ、パールのようにきらめく緑色の枠の名で、出たもの達は、ギュウギュウ凝縮して、グツグツ煮詰められて、、、
だからこそ、昇華/消化、に向かえたんだ。やり切っている。だから。
だし、今ここに文字で書いてみて、また「華」が出て来ている事に、おおお😳となっている。
そうか。昇華の「華」でもあったのね✨
体験の予知、予言か🤣笑
面白いねぇえ〜〜〜🥰
ありがたや🙏🌈
で、思い切って、キャンバスの縁を、白色におきにいりの玉虫色(緑系と紫系両方!)を混ぜて、塗ってみる。
そうして、あらためて、キャンバスのお顔(画面)をみてみたら...
中央から外側へ、かいほーーーー😆✨ってしてあげたくなって(笑)
そのまま、やってみた❣️
色は、縁に塗ったのと同じ、または、そこに、すこーし、淡い黄色やブルーも、うすーくうすーく、あわーくあわーく、入れてみたものを。
くるくるくるくるくるくる〜
クルクルクルクルクルクル〜
って、真ん中から、全ての方向に。
かいほ〜〜〜〜〜☺️✨😆🎉✨👏🎊㊗️🥳みたいなきもち、何なら、ちょっと呟きながら。
たのしい。
笑
本当に、解放/開放、がある。
で、散々色を重ねまくって、「華」も生まれて、「やすらぎ/安らぎ。」も感じた【それ】を、
ある種、大胆に、全て無しにする、みたいなことをやれるのは。
満足した、の。
☺️💖
なんか、やり切った。
一つ一つの段階を。
味わい切った、私。
そして、それらの、重ねて来たイロイロサマザマに、
さらに、白や色んなきらめき、自然界のバイブスや色を感じるようなイエローにブルーを重ねても、
それ以前、は、無くならない。
あるの。そこに。
どうしたって。
ある。
その上に、重なる。
そして、パッと見はわからなかても、この絵と、この絵の始まりからここまでの全てを共有体験している私には、
その私だからこそ、
ここまでに何があったか、どんな様相を見せたか、どんなことを感じたか、何が出て来たのか、
今こうして書いているように、アリアリと、わかる、んだ。
その【変遷】が。
ある瞬間忘れてしまう、はあるだろう。だけど、必然最適なら、また思い出される、起こされる。
それでイイの。事足りるの☺️
いつもいつも、全てを覚えていなきゃならなくはない。
だけど、意識には浮かばなくても、【わたしは覚えて】いる。すべてを。
だから、さらに上に乗せられる、重ねられるの。へいきなの☺️
むしろ、重ねて来たからこそ、の上にだから、生まれるそれ、はある
それがイイ
すばらしい
このことは、これを書き始める前に、2枚の絵と向き合ってみる、戯れてみる(=鑑賞)をする中で、
じっくりじっくり、じぃっくり...角度を変え、距離を変え、絵を回しながら、また眺めてみて、触れてみて、なぞってみて...みたいなことをしてて、まざまざと感じるの。
ああ、この線は、この盛り上がりは、この下から覗く色は、etc...
その全てが、そして、みる度に、触れる度に、何か違った装い、彩、造詣(これに変換されたぞ)をみせられるのが、本当にまた、すばらしくて。
これは、私そのもの。
私の人生
苦しかった。
ハタから見れば、あなたの人生と一体どこが苦しいの?と言われるような状況かもしれない。
だけど、体験経験、体感しているのは、ほかでもない、私。
他者がどうこうは、本当に、関係が無い。
私の、誰でも無い、誰のでもない、私のそれ
だけど、描く、という体験経験を通して、すっかり、私の内側に堆積していたかもしれない感情は絵に転写され、開放/解放まで起こっている。。。
...ほんとすごくない?
笑🥹✨
いや、すごいんだよ。
すごい。
すごかった。し、また、うぉおってなる瞬間あるのかな☺️💓ワクワク
で、なんかスッキリ出し切った🤲🌊✨✨✨1枚目♪
さて、2枚目の仕上げ。
😌💨
さっき井手先生に「きれい。」って言ってもらえた、この子。
、、、どこまで手入れる?加える?このままにする?
そんなこともよぎったりした。
だけど。
どこまでも、私は、【沸いてくるままにアウトプットする】
かんじてみる。
まずは、眺めてみる。
離れて。
何が欲しい?ココに。
何がみえる?どのあたりか。
それは何?
なにをあらわしている?
それをみた私はどんな心地?
いわゆる、少し先の未来の私、に、何を感じさせてあげたい?この絵をみることで。この絵に触れる、絵と対話が生まれる中で。
みえてくる。
光。粒。粒子。
放たれている。
漂っている。
舞っている。
ゆらめき、きらめいている。
それらは、本来は、充満する。
けど、全ては描かない。
心地よい抜け感と、空白と。
だからこそ感じられる、流れや動き、リズムや音、きこえてくる音楽
そんなの。
このあとは、これまでにない「狙って描く」をやる時間になった。
小さな粒、粒子を、「ココ」というところに「こんな感じ」というので、描く。
、、、、、、集中。
すんごい、そこ、だけみてる感。
だけど多分、全体をかんじながら、何かでは「みて」いて、肉体の両眼は、そこ、だけみている
そんなことがあった、きっと、あの場に。
「もういいな」ってなるまで、光の粒、粒子(...フォトンじゃん!笑)を描き切って。
私にしては、早く、終了☺️🙏
完了🎊
(これまでは、こういう作品つくるような場で、大抵、時間過ぎてもまだやってるのが私..だったのだ。今回はかなり余裕があるタイミングでの、お仕舞い。新しい...new meだ!😊🙌)
で、ぽへー、、、っとしながら
おやつ食べて笑
お茶飲んで🫖
終わった方とお話タイム。。🌸✨
いろんな感想を聴けたりお伝えしたりするの、たのしいな🥹
お喋りする中で、「あ、私ってこんなこと感じてるのか、こんな解釈してるのか、なるほど?」みたいな氣づきがあったりね。
雑談、って大切だよね。
ほんと、宝の宝庫、、、ん、おかしいぞ??笑
お宝の山、だよ💓
終わったあと、どこかのタイミングで、井出先生から。
「よかったね。」って。
もう少し何か言ってくれていたのですが...飽和してた、のかな、私。
このことばと、それを言っている井出先生のお顔、表情と、全体から伝わってくるニュアンスみたいなもので、
ああ、、、うん、
はい、、よかった、はい🥰
(ぱわわ〜🌸💐🌼🏵️✨)
みたいな感覚にはなっていて。
だから、細かなところは、言葉の記憶としては今は出て来ないけれど、それ以外の「情報」としては、たしかにある、のです。
、、、これ、続くね?笑
まだ沸いてくることあるからさ、「待機中」みたいになってる🤣
・
・
・
・
・
・
「お絵描き教室」の翌日夜に
フッと来て、ふぁーーーーーーっと書いたのは
ここまで。
続きは、また次回に♡
(次回はあるのか?いつなのか!笑)
何か響くものや氣づきなどありましたら、サポートいただけますとうれしいです☺️🌸感謝と豊かさ、しあわせ循環🐈💞をイメージして、使わせていただきます😊🙏🌈🍀✨