[TeaTime #21]イギリスの生活ってどう?『Sorryすみません 文化』
先日、イギリスの「Thank you文化」について書いた。
その話を英人親友に話したら、「面白いわね。じゃぁ、イギリスのSorry文化も書いてみたらどう?」と言われた。「うん、良いアイディアだね!確かに、Sorry文化がある!」
イギリス人の「Sorry(すみません)」文化
英人親友が「自分に非がなくても、イギリス人本当によくSorryって言うよね」
次のBBCの記事と自身の経験に基づいて、このトピックについて書いてみようと思う。
これは、教えているイギリス人学生もそうだ。
まず、自身の経験から「イギリス人学生が使うSorry」から紹介していこうと思う。
1)自分に非があるSorry
例えば、遅刻することの連絡メールや、欠席した事についての報告メール。
2)自分に非があるわけではないSorry
学生からの病欠のメールへの返信
逆もしかり(私が具合が悪いとき、学生からもこのようなメールを貰うことがある)
番外編で、とても不思議なケースだが、「自分が良い成績をとれなかった」ことへの謝罪。例えば、試験を受けた直後に、出来が良くなかったと感じた学生からのメールの一部:
実は、この手のメールをイギリス人大学生からよく貰う。
次に、BBCの記事によると、「イギリス人は天気についても「すみません」を言う。」
確かに、実生活で、天気についても「すみません」と言われたことがある。しかし、どちらかと言えば、「すみません」より、皮肉な会話の方が多い。例えば、天気がとても悪い日に「今日は素晴らしい天気ですね」と真逆のことを言う。そうすると、イギリス人は「お主やるな!」と言わんばかりにニヤリとする。その瞬間私は心の中で「ヨシッ!」と。
3)Sorryと言うべき時にSorryを言いたくない?
親友が「でも、Sorryと言わなければいけない時に、Sorryって言わない人もいるよね~」と笑いながら言った。確かにこの経験もある。
親友が言った事を、The English and their Manners.の著者Henry Hitchings氏がhis aptly-titled Sorry!の中でも、次のように述べているのも興味深い。
日本人の「すみません」文化
さて、日本での「すみません」文化も、イギリスのSorry文化と次のような類似点があるようだ。
「日本人もイギリス人のように、反射的に「すみません」と言っている」と、Kate Fox氏は自身の著書「Watching the English」でそう述べている。
確かに、日本でも、「すみません」をよく耳にする。特に、「顧客サービス」の場面。自分が悪いわけではない時でさえも、お客に「すみません」を聞くのではないだろうか。
一方で、日本では、感謝の意を表す時「すみません」を使う時もある。なぜ、日本語の「すみません」は「感謝」もカバーできるのか、Sorryとすみませんの語源を見てみてみよう。
英語のSorryの言葉の起源
Sorry の起源は古英語の‘sarig’(distressed(苦しんでいる), grieved(悲しんだ) or full of sorrow(悲しみで一杯)
南オレゴン大学言語学者のEdwin Battistella氏によると、「同じ単語でも、アメリカとイギリスの「言語の文化的違い」がある」ようだ。
更に、Edwin Battistella氏は、「雨」の例を使って「自分に非がないSorryを使う時は、相手に共感を表すためかも」とも述べている。
自分に非がないSorryは、同じ状況下で、その気持ちを共有しあう「相手への共感」を表すためのものだとすると、日本語にも通ずるものがあるのではと思った。例えば、「おはようございます」。これは、「早い朝という同じ状況(朝日を見ながら)で、「お早いですね」とお互いが共感しあう」状況が目に浮かんでくる。
日本語の「すみません」の言葉の起源
日本語の「すみません」は、「済む」の否定形「済まない」からきて、「気持ちがおさまらない」の意味。
日本語の「すみません」も様々な使い方がある。
1) 相手への謝罪:相手に失礼なことをしてしまい、このままでは自分の心が澄みきらないことを表す。
2) 感謝の意:相手に何のお返しも出来ず、気持ちがおさまらない
3) 依頼や呼びかけ:軽い謝罪の意味
日本語では、「すみません(感謝としてお返しが出来なく心が済まない)」と言う意味から「すみません」が感謝の意として使えるのだろう。
なぜ、イギリス人は反射的に「Sorry」と言うの?
では、なぜイギリス人はアメリカ人に比べて反射的に「Sorry」を使うと言われるのだろうか?それには、イギリス社会とアメリカ社会に何か違いがあるかもしれない。
BBCの記事によると、
イギリス社会が尊ぶことは
1)他の人のパーソナルスペースを押し付けないで尊重しあう社会
2)自身に注意を向けないで尊重しあう社会
つまり“negative-politeness”社会:それほど親しくない人と、仲が悪くならないよう相手との距離を置く話し方
アメリカ社会が尊ぶことは
1)親しみやすさ
2)グループの一員であると感じたい欲求
つまり“positive-politeness”社会:相手との距離を縮めることによって、コミュニケーションをうまく行うための方法
BBCの記事が、この観点から、「イギリス人が見知らぬ人にSorryを使う訳」を次のように述べている。
“negative-politeness”のイギリス社会では、何か尋ねたかったり、隣に座りたかったりする時、イギリス人が知らない人に「Sorry」と言う。それは、Sorryを言わなかったら、その人のプライバシーを侵害することになるかもしれないから。
つまり、相手のことを思いやる、気分を害さないようにするための「Politeness(礼儀正しさ)」からではないだろうか。
では、日本社会は?
この“negative-politeness”と“positive-politeness”の概念はとても興味深い。
これを日本社会を考えてみると、日本語には敬語があり、敬語を使うのは「親しみを表すものではなく、相手との適切な距離をとるもの(personal space)」。これは、相手を思いやる「Politeness(礼儀正しさ)」から。そういう意味からも、日本語の敬語は“negative-politeness”を示していると考えてもいいのではないだろうか。
そういう意味で、「日本社会も、“negative-politeness”ではないか」と思う。相手と適度な距離感を保ちそれを尊重し、人間関係を築いていく社会だと思う。
日本での「人の心や領域に土足で踏み込まない」遠慮や、「No」を直接的に言わない日本語表現は、必ずしも、イギリス英語でのコミュニケーションや英語表現方法と同じではなくても、両方の「Politeness(礼儀正しさ)」と「相手との距離(パーソナルスペース)を尊重」の程度は、なんだか類似しているように感じる。
ここで述べた内容は、BBC の記事からの引用とあくまでも私見によるものです。
今回引用したBBCの記事