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大正画壇の異才! デロリ画家

今年の2月〜4月に京都国立近代美術館で開催され大人気を博した「 甲斐荘楠音(かいのしょう ただおと)の全貌展 」が、東京ステーションギャラリーで開催される事になり行ってきました。
前評判が凄すぎて、「 絶対見に行きた〜い! 」
事前にもらっていたチラシを眺め、
「 大正画壇の異才・甲斐荘楠音の全貌に迫る回顧展! 」
このキャッチコピーに、イメージは膨らむばかりでした。

甲斐荘楠音の代名詞とも言われている「 デロリ 」
これは、「 麗子立像 」でも有名な西洋画家・岸田劉生が名付けた造語だそうで、「 毒々しいまでにグロテクスな表現で、人間の内面をも表現した作品 」がこのように呼ばれていたそうです。

甲斐荘が活躍していた時代は、大正デモクラシーの時代。
個性を大事にしよう。
人間はドロドロしたところがある。
そに部分もちゃんと描き出そうという芸術の流れがあり、一躍脚光を浴びることになったのが甲斐荘の作品です。


まず話題の「 横櫛
この作品は、1916年に村上華岳に誘われ国家創作協会に出品して大評判になり、楠音が一躍有名になった作品です。

これは、歌舞伎の演目「 切られお富み 」と呼ばれる悪女が発想の源となっています。
好きな人のために悪事に手を染め、揺れ動く女心の葛藤があらわされた作品で、不穏な雰囲気を感じさせる笑みを浮かべています。

レオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザに似ていると言われているこの微笑みは、ダ・ヴィンチと同じように輪郭線を描かないスフマートの描き方をしているから。
新しい日本画を模索するために、敢えて西洋のタッチを取り入れたとも言われています。

「 なぜモナリザ? 」って思われませんか?
私の頭の中は ??? でいっぱいだったのですが、調べてみたら、甲斐荘は京都市立絵画専門学校に在学中にレオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザや、ミケランジェロのダビデ像に出会い、かなり傾倒して画風をも変えていったと記されていました。
この京都私立絵画専門学校というのは、竹内栖鳳が教えていた学校で、京都でも名門の学校です。
近代美術の2大巨匠は、横山大観と竹内栖鳳と言われていますので、竹内栖鳳に学んだって、凄いですね。
西洋画家に影響を受けていたことを知らなかったので、ちょっとびっくり。
日本画家ですが、いろいろなジャンルの芸術も取り入れて、才能を開花させていき、この頃から外見の美しさではなく、内面の美しさを描くようになったそうです。

次は、「 幻覚 」( 踊る女 )
この作品は1920年、婚約者トクさんとの破局後に描かれた作品で、ここから画風が変わったと言われています。
燃え上がるような極彩色の赤い着物を着て踊っている女性。
目のまわりや口元も赤く彩られ、狂気さえ感じさせます。
正面から光が照らされ、彼女の後ろに、まるで悪魔の手のような影として描かれています。
一心不乱に踊っていて着物がなびいている様子が感じられる迫力ある描き方。
いかにも怪しい絵ですが、見ているうちに虜になってしまいそう。
今までにない怪しい魅力を放つ作品に、私も甲斐荘フアンになってしまいました。
1928年国家創作協会が解散された時期に、映画監督の溝口健二氏と出会い、甲斐荘はここから映画のファションアドバイザーの仕事に転向します。
古典芸能や絵画作成で培われた膨大な知識がみこまれ、溝口監督からスカウトされたそうです。
関わった映画は、なんと236本!
1953年には、「雨月物語」でベネチア国際映画祭の銀賞を受賞し、甲斐荘自身もアカデミー衣装デザイン賞にノミネートされたという、素晴らしい功績を残しています。

甲斐荘が携わった、時代劇映画の衣装が展示されることは知っていましたが、会場で実際に映画で使用された衣装を見て、あまりの素晴らしさに愕然としました。
色遣いが美しくデザイン自体も斬新で素晴らしいのですが、それ以上に伝統工芸としての着物のクオリティの高さに感動! まさに芸術作品のようでした。

展示されている着物を着ているポスターが一緒に展示してあり、昭和21年〜昭和40年頃までの作品が展示されていていました。
映画館では見たことがありませんが、時代劇ファンの祖母とテレビで映画を一緒に見ていた頃に急にタイムスリップ。子どもの頃の懐かしい思い出が蘇りました。
ということで、「この映画には、こんな俳優さんが出ていたんだ」とじっくり見てしまい、思いがけずここの滞在時間が一番長かったかもしれません。


最後の章には、「 畜生塚 」と「 虹のかけ橋」の2点の大作が展示されていました。
こちらの2つの作品は、甲斐荘が学生時代に同時に描き始められ、生涯かけても完成に至らなかった作品と言われています。                                                                                                                                        
畜生塚という作品は、豊臣秀吉が養子である秀次を自害させ、側室や女官たち30人を処刑して三条河原に埋めたという史実に基づいて描かれた作品です。
おどろおどろしいまでに人が重なり合う様子や、悲しみにくれて祈りを捧げる人、恐怖に怯える人など悲惨な状況が生々しく描かれています。

「 長い手足や陰影の際立つ顔立ち、筋肉が隆起した逞しい体は、楠音が青年期に傾倒した ダ・ヴィンチやミケランジェロの表現を想起させる」と書いてありました。
この作品のスケッチもたくさん残っており、甲斐荘自身も畜生塚に描かれているポーズをとっている写真も数多く残されていていて、この作品に寄せる熱い想いと努力が垣間見れました。
完成していたら素晴らしい評価を得ていたのではとちょっと残念な気がしましたが、かえって完成せずこのままの状態で残っていたことに意味があるのかもしれませんね。

もう一つの大作「 虹のかけ橋
こちらの作品は、およそ60年の間、継続的に筆を加えられた作品。
晩年映画業界を去った後再び絵の世界に戻り、亡くなる2年前の1976年に個展に出品する事になり完成された作品です。出品する時に、太夫の顔を洗い落とし、楠音が晩年に好んだ瓜実顔に描き直されたと言われています。
こんなところにも60年の間に画風が違ってきたことや、こだわりが感じられますね。

この作品は、床に落ちた手紙を拾い上げ、7人の太夫たちがその手紙を見ながらそれぞれに思いを馳せている様子が描かれています。
この手紙が屏風の端から端まで描かれていて、虹がかかっているように見える事と、太夫が7人描かれているので、虹の7色をかけて、「虹のかけ橋」と名付けられたとか。
金蘭豪華な衣装を纏った7人の太夫たちのそれぞれの衣装の柄のデザインが美しく、なんとも艶やな作品でした。

その他、たくさんのスケッチや写真、楠音のアイデアの源泉とも言えそうな様々のジャンルの記事が貼られたスクラブック等が展示され、見どころ満載。
特にスクラップブックには、昔の有名人や映画スター、私も見たことがあるようなCMの写真等がぎっしり貼ってあって、甲斐荘がろいろな事に関心を持っていた事に興味津々でした。

今まで謎の部分が多かった甲斐荘ですが、遺族のもとで新たに発見された作品や資料の寄贈、そして京都太秦の東映京都撮影所で甲斐荘が手がけた映画衣装が大量に見つかったことで、甲斐荘の全貌が明らかになってきました。
長い年月を経てようやく甲斐荘楠音の全貌を見ることのできる展覧会、8月27日まで東京ステーションギャラリーで開催されていますので、ぜ皆様もこの機会にぜひ。

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