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「あたしが来る前に」とゆらぎを支える場と関係性

こよりどうカフェのスタッフブログがあり、大好きな記事がたくさんあるのですが、個人的には「チャイができるまで」シリーズ(記事一覧はこちら)やこの「あたしが来る前に」の記事(記事はこちら)が大好きです。


「スタッフは9時から仕込みを一気に進めていくので、パートナーさんが来る10時には洗い物が溜まっていることもあり、甘えてしまってるなぁと思うのですが、ある日いつものようにやって来てボールがマトリョーシカのように重なったシンクを見たパートナーさんが、
『あたしが来る前に、こんなに頑張ったんだ。』
と小さな声で言いました。
わたし達に向かって労うわけでもなく、褒めるわけでもなく、ポツリと呟いて腕まくりをし、いつものように洗ってくれました。
わたしにとってこのシーンはジブリ映画のように、日々を励ますワンシーンとして記憶に残りました。『見ててくれる人は必ずいるよ』と言ってくれた小学校の頃の担任の先生を思い出したりもしました。


カフェのキッチンはエプロンや三角巾をしないといけないので、むやみに入れません。 時々キッチン入口でスタッフの出入りを邪魔しながらにょろっと覗いて声をかけて、そこの空気に流れているものを数秒吸い込みます。変化があることや困っていることの報告や共有はありますが、こういう記事でその何気ないやりとりと感じたことを知れるのはなかなか現場を離れてくるとなくなるので、嬉しく何度も読み返しました。

そうそう、こまちぷらすでは半年くらい前から、「しょうもない画像をアップするスレッド」というの内部情報共有システム内に全スタッフ限定であって、スタッフが遊び心で何かやったときのお茶目な顔や、人知れず何かを片付けている人の姿、廊下で話し合っている様子や、イベントに向けての準備をチームでしている様子、床に座って集中作業をしている後ろ姿等がいろんな現場から送られてきます。この冒頭記事のように表に出るまでの道のりに、ものがたりがたくさんあります。そこをみんなで共有して、その道のりの価値を確認することはとっても大事。「しょうもない」とスレッド名に書くことでアップしやすくしていますが、実際は最も「しょうもなくない」スレッドです。それを動画にしてスタッフ会議で流したり、寄付者のみなさまに時々お送りしています。

『同じ場所同じ時間を過ごすのは人生のうちほんの一瞬でも、それぞれの、一人一人の、いままでとこの先が心から大切だと感じます。』

とブログに書いてありましたが、ハードの「場」には人が集まり関り、そういう一瞬をその空間の隅々でいろんな人と人の間で共有できる。一瞬だったとしても一生心に残る言葉や表現に出会えて、それが支えにもなったりする。だから私はこの空間がたまらなく好きなんだなと思いました。

ゆらぎを支える場と関係性


今とある大学とAIの対話システムの研究をこの2年ほどしています。ここでもこまちパートナーの方にもたくさんご協力いただいています。一緒にAIってここまでできるのか!と驚いたりしつつ、やっぱりいろいろとプロトタイプをテストしながら「人間にはなれないし、ならないもの」と確実に思います。

これからの未来、必要だと思うこと

人間は一つの正しさはない中で、迷い混乱しゆらぎながら自分のアイデンティティを形成していく。そのゆらぎを支える場と関係性がきっと未来も必要。そこに人もAIも、関係性もハードな場も両方大事になってくるのでしょう。そこはどっちが、ではなく、どっちもです。

そう思う背景には、アイデンティティの混乱期ともいえる子育ての初期(初期だけでなくいろんなライフステージ変化の時)にたくさん出会ってきたからかもしれません。結構誰しも弱っています。弱っているときは分かりやすいことや明確なものにすがりたくなったり、かと思えば、傷つきたくないから人を遠ざけたりして頼れなくなったりと、自分があっちこっちにぶるんぶるんと感情が揺れ動きます。また、既に大分「自分はだめだだめだ」オーラが全身隅々までめぐっている中で、「相談」や「誰かに話す」「言葉にする」ことで自分自身の中にそれを決定づけてしまう怖さがあります。言葉って誰かに話しつつ、自分にも強く入ってくる。また、諭されたり「正しさ」を教わることでより「それでもできない自分」を突き付けられて尚辛くなったりすることもあります。だから「相談しましょう」があんまり効果的に響かないこと、相談にならない言葉たちがたくさん人の中に埋もれています。

相談しない場だからこそいける

結構いろんな視察や行政の方からの質問の中で「どれだけ相談を受けますか?」「つなげてますか?」という質問を受けますが、正直相談という相談はほぼ飲食の場ではないです。ピアで互いの経験を話すことはたくさんあっても、「相談しない場」だからこそいける、そんな場がもっと必要。その必要性を感じてきた当事者を中心に、そういう場をつくりたいと思っているたくさんの人がいるので、場をつくりやすくしたい。

そして、そうあり続けることは実はとても難しいのも一方であります。つい「頼って欲しい」という気持や、何かの役に立っている自分たちを確認したくなる。そんな弱さを互いに認め合いながら、そうでない「雑談の場」であり続けることの価値を確認し互い支えるコミュニティをつくっていきたい。

「かくれてしまえばいいのです」で実感したAIの可能性


「救おう」という方向性を持たせないアルゴリズムをもったAIが、思考の整理をする手伝いがこんな風にできるんだということにはじめてであったのは、「かくれてしまえばいいのです」(https://kakurega.lifelink.or.jp/)でした。

中に入ると「ロボとおしゃべりコーナー」があります。

「自分の気持ちにむきあうところ」と子の役割を明確にしているところがいい

「ワタシはただのプログラムなので何を言っても大丈夫!」とあります。ここに不安感を覚える方ももちろんいるでしょうが、安心感を得る方もある一定数いるのでは。その後は「むかんけいロボ」が出てきて20ターンくらいお話しができます。「あなたとは無関係な存在である」ということが表現されていてその表現一つ一つが絶妙です。

こまちぷらすとして、AI対話システムの研究の話をはじめて聞いた時も、感覚的に相手がAIだからこそ話せて整理できることもたくさんあるよなと思いました。「AIなんてとんでもない。人が人との間で関わるのが最も大事」と福祉・教育分野の方々の中に時々拒否感を示す方々ときどきいますが、上の画像にもありますが、思考を整理したり、いつか誰かに相談をしてみたいと思ったときにその参考になったり、吐き出せることで一歩踏み出せたりするのもあるでしょう。

研究の中で2050年の社会について話すことも先日ありました。人間はどう生きているんだろう。今の小1は32歳。中1は39歳、高1は42歳。今の50歳は76歳。

すごく遠い先のように感じますが、これまでの40万年~25万年の人の歴史から考えればちょっとの時間。何も変わらず人はきっと、「どう生きるんだろうを迷い続けていて、日々一つではない答えの間で揺らいでるのだろう」とその研究の会議の中でお話ししました。冒頭の「あたしが来る前に」の記事のように、それは相談とかそういうものだけではなく、大切な一瞬を共有する時間がたくさんあり、小さなゆらぎを支える場と関係性がたくさんある社会にしていきたいです。

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