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少数派、ということ

最近知りたいこと、無意識に気になるものに「LGBTQ」のことがある。
そうなった思った初期のきっかけは、何かで見た「10人に1人の割合で存在している」というデータだったと思う。

そして、そこによく比較対象であげられているのが、「左利き」。
それが気になる大きな要因に間違いない。なんせ、わたしが左利きだから。
(右手で字を書くことと、右足でやるサッカー以外、右手右足はいまいち使い物になってない。…マウスは右手で使うかな)

わたしが物心ついたときから持ってる左利きという性質。
それと同じ割合で、LGBTQの方がいるというのが驚きだったように思う。

そこまでLGBTQの人を「めったにいないもの」だと捉えていたけど、「左利きと同じ割合でいる」と聞けば話は別なもので。つまり、わたしは生まれて数年後には”めったにいないもの”側、少数派の人間だったのだ、と思わされた。

わたしはどっち?

LGBTQが気になるようになったのは、作品の影響が大きい。
はじめて同性愛の作品に触れたのは、映画「his」、ドラマだと「みなと商事コインランドリー」。よく覚えている。

映画「his」で、”誰がだれを好きになってもいい”という感覚を、ガツンと感じた。好きになること、そこには性別はあまり関係なく、惹かれるということは至極シンプルなことなんだと教わった。

わたし自身、同性愛ものの作品を見るとき、特別なものとは思って観ていないと思う。総じて恋愛(というか人間関係全般)は、須らくめんどくさいし、相手の気持ちも自分の気持ちも簡単にはわからないし、言葉や行動を尽くして死ぬ気でがんばらないと続かないものだと思っているから。

もちろん、同性だからこそ難しいことや、同性同士だからの悩みや問題もあるだろうけど、当事者的には男性だろうと女性だろうと同じだと思う。厄介なのは、周りの反応や理解でしかない。

わたし自身の話をすると、いままで同性を好きになったことも交際したこともない。でも、「わたしは異性愛者です」と言える自信は、ない。「his」や「みなと商事コインランドリー」など、その後もたくさんの作品を見たら、揺らいだ自分がいた。(最近は、ytvの「未成年」を観ています。)

というのも、自分のなかでハッとした瞬間があったからだ。

わたしには中学2年生からの幼馴染の同性Yがいる。高校も大学もちがったけど、わたしが地元を離れてからもお盆やお正月に帰省するたびに会っていて。その後は、お互い東京に就職したこともあり、関係が途切れなかった。
ここ数年は、月に1,2度ご飯を食べに行ったり、映画を見に行ったり、推し活につきあったり。(Yの推しが東京タワーに行ったから、同じ風景を見たいとか)

ハッとした瞬間が訪れたのは、2023年の夏。
とある公園にひまわりを見に行った。その公園には観覧車があって、いっしょに乗った。わたしたちはいわゆる映えを気にするタイプではなく、ともにあんまり写真を撮らない。自分たちの記憶を補完(保管)するためだけに撮る。そして、別れたあとに「気を付けて帰ってね~」のメッセージとともにその日の写真を送りあうだけ。

わたしは帰りの電車で1人、いつものように、その日撮ったひまわりや観覧車での写真をぼんやり見ていたら、Yからも写真が届いた。

「ひまわり、可愛かったなぁ」とか「こんなとこ撮ってたんだ」とか思いながらスクロールしていたら、わたしの観覧車のワンショットの写真があった。瞬間的にこう思った。「これ、恋人に見せる笑顔じゃん(笑)」って。

(笑)のあと。ハッとしたのだ。
この写真の、満面の笑顔のわたしの視線の先にいるのは幼馴染の同性Yだ、って。なのに、この写真を見たわたしの一番最初の感想は「恋人に見せる笑顔じゃん」だった。
自分の写真に、自分の感想に、わたしだけがびっくりしていた。こんなに自己完結する驚きってあるんだなって衝撃。でも、たしかに、写真のなかのわたしは、「好きな人(愛おしい人)に向ける笑顔」だったのだ。あと、わたしってこんなやわらかい笑顔するんだなぁとか。

このとき以降、ときどき思う。「わたしは幼馴染の同性Yが好きなのかな?」って。分かりやすく、同性愛ものの作品に触れたあとは特に。現状わかっていることがいくつかある。

  • キスやセックスをしたいわけではない(腕を組まれて歩くことはある)

  • Yが結婚すると聞いたら、すごくうれしいと思う

  • Yが死ぬときにそばにいたいと思う

  • この関係が続いていけばいいなと思うし、そのために努力は惜しまない

見る人(有識者?当事者?)が見れば、じゅうぶんなのかもしれない。
別にわたしは自分が異性愛者でも同性愛者でも構わない。わたしであることには変わりないと思っているし、そこもひっくるめてわたしだからなぁ、だなんてさえ、思っている。

それにわたしはだいぶ早い段階から(左利きという)”少数派”なのだから、その要素が新しく1つ加わったって大したことない気がする。映画「his」で、”誰がだれを好きになってもいい”を知ってから、さっきのことを考え始めたから、あんまり怖くない。

そのままでいる

改めて言うが、わたしは悩んでいるわけではないと思う。自分が同性愛者だと認識してもなにも変わらない(とおもう)。幼馴染の同性Yとの関係も、これまで通り(だとおもう)。

至極シンプルなことを言えば、望みを言うなら。
Y(か、わたし)が死ぬまで関わりあっていきたい。1つでも多くのことで笑い合って、しんどいときはただそばにいて。
それ以外は必要ないし、取るに足らないことでしかない。

”好きなひと”を大切にする。そんな自分でいたい。それだけ。

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