「毒親」は変わるのか?本当に望む関係を引き寄せた話
私の義母は、非常に難解な人物で、私は彼女との付き合い方にものすごく四苦八苦した。人生で出会ったことのないタイプの人で、終始理解不能だった。けれど、おかげでたくさんの学びを得た。
今回はそんな義母との関わり方を通して「苦手な人との付き合い方」について、エイブラハムの教えの視点で書いてみたいと思う。
義母は言ってみれば「毒親」というカテゴリーに入るような人で、夫もとても苦労したらしい。愛する母親、だからこその苦悩や悲しみは深かったと思う。
どんな人かというと、とにかくすぐ怒るし、常にイライラしてるし、自分の思い通りに他人をコントロールしてたくて仕方ないし、常に人の悪口ばっかり言っているような人。
ネガティブなことにフォーカスさせたら、義母の右に出る人はいないだろう。どんな幸せの中からも、不満だけをピンポイントでピックアップできちゃうのよ…いやほんとに。笑
けれども、エイブラハムに言わせると「毒親」という人格の人はいないらしい。というのも、ソースの視点でいうと、誰もそんなレッテルを貼れる人などいなくて、どんな人も基本は愛の存在なのだ。
でも、思考の癖によって、アライン(ソースの視点と一致)していない時間が多すぎるがために、それがまるでその人の人格かのように見えてしまう。それほどに大変な状況な人、言うなればそんな感じなのだ。
人格というより、あくまで一時的な状態なんだよね。その“状態”が、波はあれど生涯続く場合ももちろんあるのだけど…。
その考えを踏まえて、今私がそんな義母を「毒親」以外の言葉で形容するならば「不満にフォーカスすることが癖になりすぎて、自分でそれに気づけない人」であり「話す内容や波動に一切意識を向けない人」であり「無自覚にそれを撒き散らす人」であり「不機嫌に人をコントロールし続ける人」、まぁそんな感じだ。
そんな波動でずっと生きている義母は、大変な人生を送ってきた。人生で大変なことが起こり続けていたし、大変な人間関係を引き寄せ続け、人を信頼することがすごく難しい状態になっていた。苦しみを引き寄せ続けていたけれど、もちろんそれが自分の思考のせいだとは気づいていなかった。
私にとって、そんな義母との関わりは苦痛でしかなかった。考え方も感じ方も、何もかもが違い過ぎた。それだけならいいのだけど、義母は私にあらゆることを強要した。そのコントロールが何よりもしんどかった。
右に行けば「左や!」と言われ、左に行けば「そこは右やろ!」と言われ、「どうすればいいですか?」と事前に確認すれば「自分で考えろ!」と言われ、他人に相談したら「男に相談するな!」とキレるような人であった。…男っていうか、この件を一番把握している職場の人間なんですけど、っていう。もちろんそんな理由は義母には何一つ通用しない。
理不尽だし感情的だし、どーしろというの?という感じだった。
ただ、そんなコントラスト(望まない現実)はいつだってその反対が願望で、それはすぐにボルテックスに用意される。
私は、自由が好きだし、何でも自分で選びたいし、人に指図されることもコントロールされることも嫌=信頼して関われる人間関係を望んでいた。当時はそこまで認識できていなかったけど、ただ、自分が望みに対して無自覚でも、なんの言語化もできていなくても、望まない現実を体験した時点で、ボルテックスにはちゃんと望みが用意される、それが宇宙の法則。宇宙は賢いのだ。
それでも最初の頃は、私は言われっぱなしだった。
大好きな夫の母親だから、気に入られたかった。どんなに理不尽なことを言われても、我慢して義母を立て続けて言うとおりにした。
義母の理不尽な主張にもこちらが謝って、お詫びの品をプレゼントしたりもした。私は私で嫌われたくなくて必死だった。自分を押し込めてまで、この関係をぐちゃぐちゃにしたくなかった。上手くやりたかったのだ。
でもじゃあ、それはなぜか?と言えば、「いい妻」「いい嫁」でありたかったから。私自身が、人目や世間体を気にして本音を隠して振る舞っていたのだ。私のその思考が、さらに状況や関係を悪化させ、望まない現実を加速させたのだろうな〜
そのうち、義母はもっと細かく私をコントロールし始めた。とにかく何にでも口出しをしてきた。
その頃から、私に謎の胃痛が現れ始め、病院に行くほど痛みが増したので(結果胃はなんともなかったけど)、我慢しきれなくなった私は、ようやく自分の意見を義母に伝え始めた。
それは違うと思う、とか
それは嫌だから私はしたくない、とか。
義母はそんな私にますます腹を立てた。「あんたなんか嫁と認めん!」とか「ずっとあんたが気に入らなかった!」とか、まぁ書こうと思えばキリがないほどいろいろ言われたんだけど、私は全部無視をした。
鋼のメンタルがあったわけではなく、その逆。
言葉を心に入れたら、私が壊れると思った。
もう、無理だった。
あーーーこの人が単なる近所のおばちゃんだったら絶対に近寄らないのになーーーー!!と何度空に叫んだことか。なんで愛する人のお母さんなんだ。。。どうすれば良いか何もかもわからなかった。
悩んで悩んで、いつも義母のことで頭がいっぱいだった。強くフォーカスしていた。エイブラハムの教えからいくと、すごく良くない状態だったけど、この現実を無視することが、当時の私にはどうしてもできなかった。
私と義母の関係は悪化していったけれど、夫は1億%私の味方をしてくれた。あれがなかったら、私は今頃夫と一緒にいないかもしれない。息子も生まれてなかったかもね。ありがたかった。そんな夫の在り方が、私を支えてくれていた。
義母と何があったかを詳細に書こうと思えば書けるけど、今回伝えたいことはそういうことではない。
このように、信じられないくらい理不尽な義母が、今では私との電話口で「いつも本当にありがとねぇ〜」と言っては涙するような人になったのだ。驚きである。
人は皆愛の存在。ただその自分の中の愛と繋がっていないから、おかしなことになっているだけなのだなぁ、と義母を思うとよく分かる。
そして、この強烈な義母を引き寄せたのもまた私自身の波動だとしたら?私にできることは自分の波動を整えることだけなのだ。
ここまでに、私が何をしたかというと、少しずつ自分自身が楽になる選択をしていった、基本的にはそれだけ。
具体的には、まず着信拒否。電話が鳴るだけでビク!っとなるので、物理的に鳴らないようにした。
気分がマシになってきたところで、着信拒否は解除した。そこまでに、一年くらいかかったかなぁ。その間に息子も生まれたけれど、何せ着拒してるから連絡せず。後からめっちゃくちゃ怒られたというか、非常識!と罵られたけど、仕方ない。私は私の身を守らなきゃいけなかった、お腹に息子もいたし。
罵られはしたけど、距離を置き、連絡を絶ったことで、私は穏やかな気持ちで日々を過ごすことができた。それがやはり何より大切なんだよね〜
その後、義母の母が亡くなり、その頃からまた連絡を取るようになったのだけど、その後も接触は必要最低限。連絡がきても、絶対に自分の気持ちを優先させて、出るか出ないか決めた。
「どうしたい?」自分に聞く。いや、今は話したくない。
「どうしたい?」自分に聞く。いや、今はしんどい。
そんな感じ。基本的に話したい時なんてないんだけど笑、それでも毎回一応自分に聞いてみた。たまーーーーに、ちょっと話してみようかな?っていう日もあるのよ。またに。
私が電話に出ないでいると鬼電(何十回もかけてくる)をしてくるのだが、話してみると大した要件でもないことが常なので、私は尚更安心して?義母を放っておいた。
とはいえ、着信拒否は罪悪感との戦いだった。夫の大切な人なのに、世界で一人の母親なのに、私は彼女を大事にできない…申し訳ない…
ここで身につけた私の考えは「電話をかける自由もあれば、それに出るか出ないか決める自由もこちらに【等しく】ある」ということ。
義母はいつでも自分の好きなときに電話をかけていいけれど、それに出るか出ないかは常に私が決めていい。
これは他にも応用できて、例えば
相手が私を誘う自由もあれば、私がそれを断る自由も「等しく」ある、ということ。
もちろん、私が誘う自由、相手が断る自由、そっちもね。自分が自分に自由を許してこそ、相手の自由も心から尊重できる。そんな在り方が私は好きだ。
そんな風に、何をするにも「親だから」「嫁だから」だから「こうしなければ」と世間の価値観に自分を合わせて頑張ることをやめて、どうしたいか常に自分に聞きながら、一つ一つ決めていった。一歩一歩亀の歩みだったけれどね。
自分の気持ちを優先させることが少しずつでき始めたけれど、波動的にはとても不安定な状態だった。そんな時には、前向きなアイディアなんて何一つ浮かばないもの。
だから、義母とどんな関係になりたいか?と聞かれて、そんなものは浮かばない。もう嫌。関わりたくない。できるだけ遠くに離れて疎遠になりたい。それしか出てこなかった。
ソースの視点と一致していない時というのはそういうもので、なんのアイディアも湧いてこないのだ。だから、次のステップとして、私はそのアラインしていない状態(ソースの視点とズレた状態)から、アイディアを受け取れる状態になる必要があった。
私は、自分の気持ちを夫に正直に話た。しばらく距離を置きたい、できれば会いたくない、でもそう思うことで湧いてくる罪悪感との間で、何度も何度も揺らぐ気持ちを、その都度シェアした。一度や二度ではない、義母の件で私たちは何度も夫婦会議をした。
夫は私にたくさんの新たな視点を授けてくれた。私の中で凝り固まっていた「親とは何か?」「大切にするとはどういうことか?」「結婚とは?」「夫婦とは?」「家族とは?」今まで自分の家族しか知らなかったから、それが「家族だ」「家族は仲良くすべき」と無意識に決めつけていた私に、その形はもっと自由なんだ、と夫は自分自身の経験を元に私に話をしてくれた。
夫と話すたびに、私の小さくなった意識はふわりと拡大する感覚になった。本当にありがたかった。夫との絆や信頼関係が、義母の一件で深まったのは確かだ。この人は、この先何があってもきっと一生私の味方でいてくれる、そう思えた。
だか、夫が優しくしてくれればくれるほど、こんなにも愛のある人の親を私は大切にできない…夫はこんなにも私を大切にしてくれるのに、私は夫の大切な人を大事に思えない…と罪悪感も増した。私が頭の中で勝手に増殖させていただけだけど、、、今振り返っても、その罪悪感を手放すことが、何よりすごく難しかった。「親は大事にしなければならない」という観念は、自分が思っている以上に私を縛っていた。
罪悪感に耐えきれず、義母に会ってみる、出かけてみる、でも結果嫌な気持ちになる、落ち込む絶望感する…そんなことを繰り返す時期も長かった。
自分の波動を整えずに行動したらそりゃそうなるよね、と今では分かるけど、当時はそこまでエイブラハムの教えも腑に落とせていなかったので、とにかく何もかもが手探りだった。
罪悪感を手放す方法として、私は世間の価値観に揺さぶられないように、自分の意見を持とう!と思った。
親だから大事にしなきゃいけない、目上の人は敬いましょう、建前で仲良くすればいいじゃん、嫁姑なんてどうせ仲良くなれないんだから我慢してやり過ごしなよ…
私は自分の気分が悪くなる、そういう世の考えを心の中で全て葬った。この状況に対して、私がホッとする解釈を見つけることが必要だと思った。(こういう前向きな発想が生まれるのが、アラインした状態。少しずつそんな時間も増え、アイディアを受け取れる状態の時間が増えていった。)
私は、嫁姑だろうと、腹を割って話せない人間関係は自分の人生には要らないんだなぁ、まずそこに気づいた。だから、表面的に喜んでいるふりをしたり、ニコニコして傷ついていないふりをしたり、そういうことはしたくない。たとえ喧嘩になっても、意見を言い合うことは私にとっては大切なことなんだ、そこに気づけたことは大きかった。
それから、私はシンプルに「大切にしたい」と思う人を、心を込めて大切にしたい。お互いが、信頼関係で繋がりたいと望む相手と、信頼しあって繋がりたい。そして、お互いの自由を尊重し合いたい。
そんな望みがある。
あなたにはあなたの表現の自由があるぶん、
私には私の選択の自由が等しくある。
私はお互いの自由を大切にしたい。
自分の貴重な人生の時間を、温かい気持ちで関われる人たちと過ごしたい。
そんな人生の軸というか、信念をもつことができると、多少誰かに何かを言われても、でも私は私の自由があると思うし、意見を言い合える関係が私は嬉しいから、と自分の心を自分で守ることができる。
義母から、たくさんの理不尽なことを突きつけられる中で、今まで考えもしなかったことに対してまで「私はどう考える?私はどうしたい?」と自分に問う機会が増えた。自分の意思で、自分の望む信念を構築することができたのは、今思えば私がより自分らしく生きる上で、たくさん助けになっているな〜と今では思える。
じゃあどうやったら望む関係が築けるか?
問題はここなのだけど…それが分からない。
私たちが良好な関係を築いているイメージが一切わかない。義母と信頼関係…無理だわぁ…、それしか思えなかった。そんな状態で「どうすればいいか」なんて何一つ分からなかった。
そう、分からないんだよね。
私たちはどんな望みに対しても「どうやって?」を考えると、途端に気分が悪くなる。そんなもの誰にも分からないから。だから望みが遥か遠くに感じるのだけど、策や方法を考えるのは私たちの仕事ではない。それは宇宙にお任せ。策や方法は、インスピレーションとして受け取るのみなのだ。
とにかく私は、自分がラクになる思考を選択しながら、大丈夫大丈夫、これでいいと自分に言い聞かせて過ごしていた。
自分自身をいたわりながら、自分がより安心できる選択をし続けた。そして、徹底的にホッとする、安心する、自分と繋がることに集中した。
自分自身が緩んだことで、義母との関係性にも少しずつ柔らかさが出始めた。
気づけば義母との電話に緊張しなくなっていた。人の話をびっくりするくらい聞かない人なんだけど、そんなところも「やれやれだわ〜」と軽く受け入れられるようになっていき、大事な話は「ちょっと聞いてね」と伝えて、私の話や意見も聞いてもらう機会も増えていった。
すごく時間がかかったけれど、聞いてもらえる、耳を傾けてもらえる、そこまでこれたことが嬉しかった。普通に話ができるだけでも、充分だと感じていた。
今までは、私たち家族と義母は、同じ市内で暮らしていた。自転車で行き来できる距離から、義母が引っ越して電車で30分くらいのところになり、ついには私たちが県外へ引っ越すことになった。
今思えば、そうやって物理的な距離ができていったのも、私の引き寄せなのかな〜と思う。
私たちが島に引っ越しをしてからは、年に一度、年末年始に義母が家に遊びに来てくれるくらいで、会う機会はすごく減った。我が家に滞在中は、まぁ細かくはいろいろはあるんだけど笑、それでも以前からは想像できないほど優しい時間が流れた。
毎年、今年はどれだけ義母に反応せずに、自分が調和し続けられるかチャレンジを密かにやっていた。面白いことに、私は年々腕を上げていき、今年は最高に穏やかだったわ〜と、毎年友達に報告するほど成果を上げていた。(自分比)でも、意識とは面白いもので、そうするぞ、と決めたらなぜかそうなるのだよね。
夫も、義母に対しては、大切な母親でありながら、たくさんの理不尽によって苦労してきたので、義母となかなか素直にコミュニケーションが取れず、私が二人の間に入って「まぁまぁまぁ」と仲裁役をすることも多かった。
最初の頃はそれが苦痛だったけど、今では「どれだけ夫と義母が素直な気持ちを表現し合えるかチャレンジ」も私が自分の心の中で勝手に開催していて、「本当に幸せだよね〜」「いい息子がいて幸せだね〜」「親が元気でいてくれるってありがたいよね〜」と話しながら、二人の「そうやなぁ」を引き出すことを密かに楽しんでいる。心に余裕ができた証拠だね。本当にありがたい。
義母との関係が少しずつ緩み始めた頃から、私は私という人間を、もっと義母に知ってもらう必要があるのでは?と思い始めた。その一つとして、私は義母に、自分のこだわりや好きなものの話をするようになった。添加物のこと、農薬のこと、身体にいい習慣のこと、そしてマインドのこと。
精神的にも肉体的にも、いかに「自分を大切にすること」が大切で、幸せに生きるために必要なことなのか、そんなことも話せるようになっていった。
というか、会うたびにそんな話をしていたと思う。
私は、義母にも自分自身をもっと大切にして欲しいと願うようになっていった。人の目や世間の価値観よりも、自分の気持ちや自分自身の幸せを、何より大切にして生きて欲しかった。人生をただただ楽しんで欲しかった。だからそんな話もたくさんたくさんした。
もちろん、素直に聞いてくれる時ばかりではなかった。はいはいはい、とあしらわれる時もあったけど、もはやあまり気にならなかった。あの頃に比べたら、会話ができるだけでグッジョブだった。
そんなある日、義母は私宛に小包を送ってくれた。
そこには、無添加カレールゥとか、ハーブティーや身体に優しいお菓子なんかが入っていた。
箱を開けた瞬間、義母が膝の痛い足を抱えて、デパートを歩き回って、私が好きそうなものを一生懸命探して選んでくれたことが伝わってきて、私は涙が出た。
私の好きなものを、いつの間にかこんなにも知ってくれていたんだなぁ…私を喜ばせようと思って探してくれたんだなぁ、、、嬉しくて胸がいっぱいになった。
すぐに義母に電話をしてそのことを伝えると、義母は電話の向こうで泣いていた。そんなに喜んでもらえて嬉しい、と言ってくれた。
ありがとうね、ありがとうね、と二人で電話越しに泣いた。
出会ってから今まで、いろんなことがあった。お互い頑固だから一歩も譲らずに自分を表現してきた。お互いにたくさん腹を立てたけど、何度も言い合いをして、その度に何度もハグをして、ここまで来た。実の母とだって、こんなにケンカをして、涙しながら仲直りしたことなんてないよ…。
雨降って地固まるとは、まさに私たちのことだと思った。
「ありがとうね」お互いにその言葉だけで、何もかも十分伝わった感覚があった。
義母は寂しいんだと思う。
それが人を傷つけていい理由にはならないけど、心の通った言葉で愛を分かち合いたいだけだったんだろうなと、今では分かる。
いろいろあった私たちだけど、「おかあちゃん」と呼び、タメ口で偉そうに話し、自由奔放に振る舞う私を、義母は娘として可愛がってくれる。
今は、月に一度、仕送りのタイミングで電話をするくらいの距離感。もっと会いたいだろうな〜寂しいだろうな〜と思うことはあるけど、今はこれでいいと思っている。
電話のたびに、義母はいつも電話口で泣いて笑っている。「いつもありがとうね〜元気な声聞けて嬉しいわぁ」涙声でそんな声をかけてくれる。
時々、「友達と旅行に行ったよ〜」とメールをくれたりもする。「おかちゃんが楽しいのが何より嬉しいよ〜」と返す私。本当に心からそう思うのだ。平和である。
この未来を、私は想像だにしていなかった。
欲しいとさえ思っていなかった。
無理すぎて、そんな希望さえ持てなかった。
ただ離れたいと思っていたから。
でも、離れたい離れたい離れたい…と考えずに、自分がホッとする思考(これでいいんだ)を選び、義母にフォーカスせず自分と繋がって好きなことをする、これをし続けたことで、気づけば想像もしていなかった関係が今ここにはある。
人間関係で悩んでいる人に、私はああした方がいいよこうした方がいとは何一つ言えないし、いう気もない。
具体的な行動ベースのアドバイスはできない。あなたの答えは常にあなたのインナービーイングが知っているから、それを受け取って従う方が、簡単で効率がいい(時間がかからない)のは、人間関係でも一緒なのだ。
その上で、もしこの経験から私に言えることがあるとすれば、それは「自分自身と繋がってください」ということだけ。
徹底的に自分と繋がって、望みを叶えるためのインスピレーションを受け取って欲しい。あなたの直感が、あなたを幸せに導いてくれるから。
私たちは他人をコントロールすることはできないし、力づくで他人を変えることもできない。
でも、自分がボルテックスに入ることで、私たちはどんな望みも叶えることができる。
今回の義母のように、毒親などと言われるほどの「ネガティブなことにフォーカスすることがクセになった人」というのはつまり、「創造のボルテックス」から外れている人。
そういう人には、波動的には何の影響力もないということも分かっていると、気が楽になるかもしれない。
ボルテックスから外れた人がいくら大勢集まっても、明晰さも力も解決策も得られはしない。
常に「創造のボルテックス」の中にいる人が1人いるほうが、そうでない人を何百万人も集めたよりも大きな力になる。byエイブラハム
だから、だから!
自分自身が幸せに生きるためにも、
大切な人の幸せのためにも、
私たちは、瞑想して、自分の無償の愛と繋がって、自分自身がボルテックスの中に入ることが何より大切なのだ。
そうしていたら、
苦手なあの人は、
苦手じゃないいい人に変わるかもしれないし、
もしかしたら、苦手なあの人とは
自然と接点がなくなる展開になるかもしれない。
どうなるかは宇宙がちゃんと「私の好みの通りに」上手くやってくれるのでお任せしよう。
私たちがやるべきことは、いつだって、瞑想してボルテックス、インスピレーションからの行動、これだけなのだ。
夫が幼い頃に、義母は離婚をした。長い間独り身だった義母は、去年パートナーを見つけ、今はパートナーと二人で一緒に暮らしている。
70歳を超えた義母に、日々を分かち合える人ができたことに、驚き半分、嬉しさ半分。義母が寂しくないように気を配らないとなぁ…この期に及んで、その役目を私がやらなきゃいけないんだ、と一人で背負おうとしていた自分にも気づいた。そうか、こんな展開もあるんだ、と思った。
ユニバースの計らいは、いつだって想像を越えるのだ。
でもこれが、引き寄せの法則の面白いところ。
私が我慢して、世間の価値観の通りに振る舞っていても、義母とのこの関係は得られなかっただろう。そればかりか、今頃、私の人生のすべてが上手くいっていない可能性すらある。
それくらい、自分の波動の影響力は大きい。
というか、自分の波動が全てと言っても過言ではないのよね。
自分の波動を整えることさえできれば、すべてを幸せな方へ導いていける。
それも、自分には想像もできないほどの、大きな大きな幸せが、ボルテックスにはいつも用意されているのだ。
人間関係でお悩みの方は、ぜひ自分自身を最優先させてあげて欲しい。誰かのアドバイスも、世間の価値観も、それらはあなたを救わない。あなたがどうすれば望みを叶えられるかは、あなたしか知らないし、あなたがちゃんと知っている。だから、大丈夫。
とにかく、まずはホッとして、安心して、くつろいで欲しい。そのために、環境や思考を選択して欲しい。自分を安心させてあげる選択ができたことを誇りに思って欲しい。その選択が、世間の価値観とはズレていても、自分を責める必要はない。
そのうち、自分自身が自分の内側にある愛としっかり繋がったとき、幸せの道へのアイディアを受け取ることができるから、だから大丈夫。
人間関係で悩んでいるときには「強烈な嫌な人に意識を向けない」というのが、第一ステップとしてすごく大切、
だけど、それこそが最大の難関ポイントと思うほどに、「現実を無視する」ことや、「嫌なことにフォーカスしない」ことが、どれほど難しいか私にもよく分かる。
でも、何より大切なのがその思考のコントロールなのだ。
なぜなら、自分の頭の中で活性化した思考が、常に自分の現実を創っているから。
だから、望まない現実は一旦無視でいい。現実を無視するために相手と距離をおく必要があるならそれもいい、他に環境が選べるならそれもいい、その時に罪悪感は持たなくていい。絶対に罪悪感は持たないぞ!と決めるくらいでもいい。
あなたがホッとできるなら、それ以上に正しい選択などないのだから。
自分の思考(波動)がホッとするものになったとき、現実もホッと安心できるもので溢れていくだろう。
大丈夫、私たちはどんな望みも叶えていけるのだから。
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