「引き寄せの法則」はふわふわスピリチュアルなのか?
「引き寄せの法則」と聞くと、それだけで“地に足が付いていない人の生き方”と感じる方も、まだまだ多いのかな〜と思う。
そして、時々耳にする「ふわふわスピリチュアル」略して「ふわスピ」という言葉。
今回はそんな、「引き寄せの法則は“ふわふわしている”と捉えられてしまうのはなぜか?」さらには、「引き寄せの法則を味方につける生き方は本当に“ふわふわ”なのか? 」ついて、私の考えを書いてみたいと思う。
なるほどね!と、何か少しでも引き寄せの法則について誤解が解けたり、ポジティブな印象を持っていただけたら嬉しいなと思う。
それと同時に、
引き寄せの法則を意図的に使って生きたいな〜と実践中の方が、他者から「そんなのふわふわスピリチュアルだ」と批判されたときの、心の持ち方の提案になれば嬉しいなと思う。
では、早速いきましょう!
なぜ、引き寄せの法則を意図的に使って生きるその生き方が、ふわふわしていて、地に足がついていないという印象を与えるか?
一つは、それほどまでに、私たちは「行動ベース」の生き方が染み付いているからだと私は思う。
行動として何かをする、成し遂げる、それは他人からも見えやすく評価されやすいし、自分自身も「やってる感」を感じやすい。
一方で、引き寄せの法則を意図的に使う生き方をする上で、最も大切に扱うのは、幸せのための「行動」ではなく「波動」。行動も大事だし必要。でもその前に“自分の思考をコントロールする”ことが大事なのだけど、どれだけ自分の思考に注意を向けて過ごしているか、コミットしているか、どれだけの強い意志で取り組んでいるかは、他者からは見えにくいのだ。よく分からなくて当然だと思う。
もう一つは、引き寄せの法則を意図的に使って生き始めると、モノごとのポジティブな面にフォーカスする時間が増えるので、機嫌のいい時間が増える。
機嫌良く常に好きなことしかしていないので、何も頑張っていないように見えることも「ふわふわしたやつ」と思われる大きな要因なのかな〜と思う。(私としては、その評価は最高だな〜!と思うけど。)
それだけ、この社会では「行動」が分かりやすい評価軸なのだと思う。特に、我慢や犠牲を伴い、自分のお尻を叩いて動かし、始めたら最後までやり切るというように長期的に継続しているとさらに評価は増す。そういう世の中なのだ。
だから、行動よりも「目に見えないモノ」に意識を向ける在り方自体が、よくわからなすぎて「ふわふわしている」という印象を持たれやすいのかな〜と個人的には推測している。
では、本当にふわふわなのか?なのだけど、
例えば、何か物を売るときで考えてみよう。物を売るときには、マーケティングが必要だと言われる。SNSを見ていても、それ系の投稿はホンっとうに多い。引き寄せの法則を味方につけて物を売ろうなんて、そんなのふわふわしてる!最低限のマーケティングやブランディングは必要だよ!みたいなご意見。こういう文脈の中でも、「ふわふわ」という言葉が使われる気がするのだけど、
もちろん、マーケティングを学んで、成功者のセオリー通りに売るという方法も一つだと思う。でもじゃあなぜそれをするか?って、できるだけ効率よく、自分の商品を必要とする人に数多くお届けしたいからだよね??
しかしである。
エイブラハム曰く、私たちにとって「直感」以上に効率のいい道へ導いてくれるものはないのだ。
それを思い出すと、何かを学んだり、誰かに教えを乞うよりも、自分自身の直感が何よりも信頼できるものであることが分かってくると思う。その状態、その感覚が掴めるようになると、「結果」としてちゃんと現れてくるんだけど、その前に諦めて、慣れ親しんだ行動ベースの生き方に戻ってしまう人もすごく多いのかな〜とも思う。
直感力は、本来誰にでも備わっている。でも、それが働かないように、みんなと同じであることが「良し」、一人だけ違う行動をすることは「輪を乱すからダメ」と育てられた私たちは、なかなか自分の直感を受け取れなくなっているのだろうな〜と思う。
教育を悪く言いたいのではないのだけど、そうやって幼少期から私たちが直感をなるべく使わずに生きるよう訓練を積んできたことは事実で、だから忘れてしまっているんだよね〜直感の素晴らしさも、それを受け取る感覚も。
自分の直感よりも、“先生”など肩書きのある人、成功者のセオリーの方が信頼できると考えるのは、なんとも寂しいなぁ〜と私は心底思うのだけど、
でもそれは、私たちが肉体を持つ存在だから仕方がないというか、当然と言えば当然なんだよね。目に見えないものよりも、目に見えるもの、触れられるもの、実態のあるもの、既に成果の出ている方法に、よりリアリティや価値を感じるのは仕方のないことではある。
それに、私たちは赤ちゃんの頃から、寝返りをうったら喜ばれ、歩き出したら褒められ、あれもこれも「行動としてできるようになる」ことで評価されてきた。その何十年の刷り込みを覆すのが、そう簡単でないこともよく分かる。
そういう教えの中で育った私たちの目の前に、急に引き寄せの法則などという、目に見えないものを重視して扱う世界が現れても、そんな馴染みのない生き方、簡単に受け入れられないのは当然だし、誤解も誤認も仕方ないといえば仕方ないのだよね。
そんな背景も理解した上で、だからと言って宇宙の力を味方につけて生きることが「ふわふわしているか?」「地に足がついていないか?」と言われると、そんなことはないんだけどな〜と思う。
まず、引き寄せの法則を意図的に使って生きると決めるということは、己の人生の全責任を自分で持つと決めるようなもの。
自分の思考(波動)が現実となるわけだから、何が起こっても人のせいにはできない。(苦しみだらけの望まない現実を生きている方にとって、まずここを受け入れることが難しいかもしれないけど…)
望まない現実が現れたとき、自分の責任として引き受け、淡々と自分の思考をコントロールすることに専念するのみだ。(自分のせいだ〜!と自己否定するのとは全く違う。あくまで、私が引き越したと受け止め、望みの方に意識を向けるだけ。自分を否定したり傷つける必要はないし、自己否定はしないと決めることも大事だね◎)
そんな在り方を“ふわふわ”と呼ぶならば、じゃあふわふわじゃない生き方ってどんな生き方なんだろう??と思ってしまうのだよね、私は。笑
確かに、「行動」で見るとふわふわしているように見えるかもしれない。いつも機嫌良く過ごしているし、好きなことばっかりしているし、遊んでばかりいるように見えるし、マイペースだし、計画性もなく行動するし、それは整合性のない流れも多く、頑張っているそぶりはないし、努力とも根性とも無縁だから。
でも、引き寄せの法則を意図的に使って望みを叶えている人ほど、その内側は、徹底的に自分をコントロールし、目の前の現実を他人のせいにせず自分の責任として受け入れ、自分の人生は自分が創るのだと強い意志を持っているはずだ。
逆を言えば、そこに立たないと、引き寄せの法則を意図的に使って望みを叶えていくことは難しいと思う。都合のいいことだけ自分の引き寄せだー!と受け取って、望まないことは、あの人のせいだ!あいつが悪い!と自分を被害者にするならば、それは引き寄せの法則の本質を、それほど深く理解していないのだと思う。
そういう人たちが、引き寄せの法則なんてやっぱり上手くいかない…ふわふわスピリチュアルを信じても意味などない…と落胆半分に言っているのかもな〜と想像したりもするのだけど…
まぁ、そんな、しても仕方のない憶測はさておき、
もし、引き寄せの法則の直感に頼るその生き方を、ふわふわしているから怪しいな〜となんとなく敬遠しているならば、それは本当にもったいないことだと思う。
自分の機嫌は自分で取り、見た目はふわふわと柔らかく、内側では大きな愛と繋がり、自己信頼をし太い芯が通った人。
そんな在り方が、最高にかっこいい!と私は思う。
そんなわけで、引き寄せの法則を意図的に使って生きるとは、自分の人生を誰のせいにもせず、自分で責任を持つということだと、私は思っている。
ふわふわとは無縁の、真に自立した在り方だと思うのだ。
だから、引き寄せの法則実践中の皆様ーー!!
「宇宙の力に頼る?そんなよく分からないもの、ふわふわスピリチュアルだよ〜」とか「耳障りの良い言葉ばかりうさんくさい」とか
「ぬるま湯に浸かり続けていないでもっと現実を見なよ」とか。
もし、そんなことを言われても、気にすることはない。
むしろ、ぬるま湯最高だよー!!
なぜ最高なのか?は、バシャール(エイブラハムと同じような非物質世界の集合意識。チャネラーはダリルアンカ)の言葉にすべて詰まっていると思うので見てみよう。
「人間にとって1番難しいのは、物事は難しくないということを信じることです。
物事は、本当にシンプルだということを信じることが難しいのです。
育てられたときのビリーフによってそうなったのです。
私は頑張らなければ、苦しまなければ価値がないと思っているのです。
もちろん課題はあります。でも課題はネガティブである必要は無いのです。
もし、あなたが苦しんだりもがいたり痛い思いをしなくても、幸せになって良いのだと分かっていれば、もっとシンプルになるのです。
そしてあなたは気づくのです。私が分かっているならば、私は分かるべきことを分かっていると分かる。分かる気さえあれば、あなたがそれを真実だと分かっているのを正当化する証拠は他に必要ないのです。
あなたは、それが真実だと分かっているように行動しますか?
それはあなた次第です。」
いかがでしょう?
つまり私たちは、ぬるま湯に浸かりながら幸せになれることを、自分自身に許すだけ。
でもそれが何より難しいからこそ「ふわふわスピリチュアル」という言葉が生まれたのかな〜と私は思う。
ふわふわも、ぬるま湯も、ボルテックスの渦の中にいない他者が何を言おうと、私たちには関係ないしなんの影響もない。
私たちに影響を及ぼすのは、いつだって自分がそこに思考を向けたときだけ。
他人の言葉に惑わされず、今日も自分に集中しよう。
そして、自分で自分を幸せにしよう。