人生で「やりたいことだけ」やる方法
「やらなきゃいけないことをいかにやるかが個性だ」
これは、私が大好きな元サッカー選手日本代表の中田英寿氏の現役時代の言葉。
今から20年前、大学生の頃に本で読んで、心底意味わからん!!と思っていたけど、なぜだかずっと胸に残っていて。
それが、最近この言葉をエイブラハムの視点で見てみたら、なるほどねぇ〜と腑に落ちることがあった。
私はこの人生、やりたくないことは、なるべくやりたくない。役割として(世間的には)やらなきゃいけないとされることも、それをしなくていいならやりたくない。
心が「やりたい!」と叫ぶこと以外、やりたくないなーと思っている。
そんな人生観も、今は割と一般化しているんじゃないかな〜と思うのだけど、みなさんはどうですか?
やりたくないことで、やらなくてもいいことなら、人は悩んだりしない。
問題は、やりたいくないけど、やらなきゃいけないこと、これなのだ。
やらなきゃいけないことに対して、どう対処しているか?には、いくつかのパターンがあると思う。
1️⃣嫌だけどやる
①嫌だけど仕方ないから不機嫌になりながらやる
2️⃣嫌だからやらない
①放置する
1、結局自分がやる
2、奇跡的に誰かがやってくれる
②自分以外の誰かに頼む
1、無償でしてくれる人に頼む
2、お金を払って頼む
何かを「やらなきゃいけない」と思っている時点で、実は「やりたくない」けど「自分でなんとかしないといけない」という、相反する思考が活性化していて、頭の中は結構複雑な状態だ。
すでに複雑な頭の中も相まって「気分が悪いけどやる」しか選択肢がないと思い込み、我慢して頑張って「やる」ことを自動的に選択している人も多いかもしれない。特に家事とか育児とか。
金銭的に余裕がある人は、それを外注するかもしれない。現に家事の外注は、最近では珍しいことではなくなっているよね。
外注は、その“すべきこと”が心底嫌いでいつもいつも苦痛だという場合や、それを手放していくことが楽しい!と感じる人にとって、お金によってタスクを手放すことができるので、とても便利な方法だと思う。
タスクを手放すというのは、
やりたくないことをできるだけや辞めることで、人生を「やりたいことだけ」にしていくための一つの方法だ。
すごく取り組みやすいし、真似しやすいので、楽しいアイディアだと思う。
ただ、大っ嫌いなことならそれでいいけど、別に嫌いじゃないし、やりたいときだってあるんだよな〜と感じていることだったり、
育児のように、息抜きで時々子育てから離れたいけど、全部人に任せたいわけでもないし、、、みたいなものに対して、
でも「あぁやらなきゃ…」という気持ちになることを、どうしたもんかな〜と思いつつイライラしながらなんとか取り組んでいる…つらたん。という方に、今日は素敵なシェアになればいいなと思う。
エイブラハムは「やりたいことしかしない」という生き方について、「嫌なことをしない(手放す)」とは、また全然違った解釈をしている。
エイブラハムは
「やらなくてはいけないことを、もっとただ楽しんでください」と言うのだ。それによって、人生はやりたいことだらけになります、と。
どうでしょう?こういうの、余計イラつく?笑笑
これは、上のパターン表に書き記すならば1️⃣ー②嫌だけど気分よくやる、となるのかな。
例えば、お皿洗い。
嫌だな〜めんどくさいな〜というところに思考を向けず、楽しんでみる。
次にあれしてこれして〜と考えたりとか、今抱えている問題についてあれこれ考えたりとか、誰かに言われた悲しい言葉を頭で何度も反芻したりとか、
そういうのはやめて、今、目の前の一枚のお皿に集中してみる。
お皿の手触り、色、それらを味わってみる。絶え間なく出てるお湯の温かさを感じて感謝してみる。そして、一つ一つ洗ってみる。
そうやって、この一瞬の目の前のこと、感覚、それによって湧く思考に意識を向けてそれをしていると、自然と感謝が湧いてきて、それが楽しくなるだろう、とエイブラハムは言うのだ。
結果として、人生の中で「やっていて楽しいこと」しかなくなる、
これが「やりたいことしかしない人生」に対するエイブラハムの捉え方なのだ。
ソースの視点と一致して自分と繋がると、楽しむことが得意になり、結果として「人生はやりたいことしかなくなります」と。
私はそれを聞いて、めっっっちゃオモロい!!フォーーーー!!!!ってなった。笑
やりたいことって、頑張って探すもんじゃなくて、目の前のことをどれだけ深く味わって、ポジティブな面にフォーカスできるか、それだけなんだ〜って思ったら、すごく気が楽になった。
そして、その感覚が、最近少し分かるようになった。
例えば家事。私はもともと家のことをするのが好きだから、それ自体はあんまり苦じゃないんだけど、それでも
やらなきゃ、と思ったり(義務感)
時間がない、と考えたり、(焦り)
溜めてしまった、と思うと(自己否定)
途端に気分が悪くなる。億劫になる。
だからもちろん、気分が良くなるように思考をコントロールことは必要なのだけど、プラスアルファ「今この瞬間を味わう」をすると、
人生は「やりたいこと」しかなくなるんだ〜✨って目から鱗。
でも確かに、この目が見えること、この手が動くこと、この耳が聞こえること、私という肉体がこれだけ優秀に機能してくれている、だからこそできるお皿洗い。尊いではないか。
結局これって、自分という存在に対して、自分が深く感謝しているということで、無償の愛の視点で見ている状態。
そうやって、ソースの視点と一致すると「やらなきゃいけないことさえ、楽しくなる」
これがね〜なんかもう。すごい。
エイブラハムのこの視点、理論的には分かりやすいんだけど、でも感覚として腑に落とすのが結構難しいと私は思っている。
だから頭で「今、今」と考えて逆に自分を焦らせたり、「楽しんで楽しんで!」と自分を追い詰めたりしやすいので、
そこは注意だな〜と思って自分自身取り組んできた。
あくまで『波動的に』、楽しいな、ありがたいな、そう感じられるように、
瞑想をして、
自分に優しくしながら、
のんびり構えて過ごしながら「今に集中する」。
子どもの頃は誰でも“それしかできなかった”くらいに得意だった「今にいる」こと。
その感覚をまた取り戻していくことを、焦らずに、取り戻すプロセス自体を楽しめたらいいんじゃないかな、と思いながら私自身も日々コツコツやっているところ😊
お皿洗い一つでも、私たちは自分の能力を開花させられるってことよ!
「やらなきゃいけないことをいかにやるかが個性」
自分の感性を使って、やらなきゃいけないことの中に、自分だけの楽しみを見つけていくことができたら、もはや人生は楽しみだらけ。
何をしていても頭の中が楽しければ、引き寄せの法則によって現実もあっという間に“そのように”変化していくだろうね。
さ、頭緩めて、今ここから楽しんでこ〜♪
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