見出し画像

一歩また一歩 どこまでも遠くへ ー Poco a poco, uno camina lejos  (Little by little, One walks far)ー

はじめての翻訳絵本

絵本の発信をはじめたのは、今から十数年前、2011年の5月でした。それまで書き溜めていた山積みの翻訳絵本の企画書が、ある日、ただの紙切れに過ぎないことに気づき、FBIの秘密文書でもあるまいし、ええい、いっそ全部公開してしまえと、ブログで絵本レビューを発信することにしたのです。ちょうど東日本大震災の後でした。明日どうなるかなんて分からない、誰もがそう思ったにちがいありません。

誰かに届けたいというよりは、自分の気持ちに折り合いをつけたかったのだと思います。絵本を翻訳して出版する夢が叶わなくても、それまでの過程を残しておきたかったのです。今できることをすれば、明日、倒れて終わっても本望。そんな気持ちもありました。

ブログでラテンアメリカを中心に絵本の紹介レビューを細々とアップしていたところ、世界の絵本を定期的に刊行する絵本の出版社の方から、ある日、一通のメールが届きました。「絵本をいくつか見せていただけますか?」そんなお声がけだったと記憶しています。それまでも絵本の持ち込みは、いくつかトライしたことはありましたが、人脈もツテも実績もない私に、時間を割いてくれる編集の方はなかなかいません。たいてい「郵送してください」と言われて、絵本のコピーと企画書を送ってそれっきり。会うところまでいっても、「ラテンアメリカの絵本、めずらしいね」その先は進まず。そんな繰り返しを幾度か経験した後でした。

その日も、寅さんのように、スーツケースに詰め込めるだけ絵本を詰め込んで、いつものように絵本を紹介して帰る心づもりでした。ところが、その日はいつもと違っていました。「実は、版権を取ってあるんです。翻訳をお願いできますか?」と言っていただいたのです。その瞬間、涙がぶわっとあふれて止まらなかったのを記憶しています。

はじめての翻訳絵本は、コスタリカの作家の絵本で『まぼろしのおはなし』という作品でした。主人公は、図書館のかたすみでひっそりとかくれている一冊の本。「わたしは まぼろし。だれにも みえない。」それまで、だれひとりとして開くことのなかったその本を見つけたのは、本の背表紙を一冊一冊、指でなぞりながら本を探す目の見えない女の子でした。白いてんてんがページいっぱいにひろがる「まぼろしのおはなし」は、点字の絵本だったのです。

タイトル:まぼろしのおはなし 著者:作/ハイメ・ガンボア、絵/ウェン・シュウ・チェン、訳/星野由美 出版社:ワールドライブラリー

ー  こんなすばらしいおはなしは、ほかにはない。
   ただ、ちょっと ちがうだけ。
   色とりどりの鳥のはねのように。さまざまな人のかおのように。
   大きなイチヂクの木の、かぞえきれない木の葉のように。—

私にとって絵本探しの旅は、鉱山でダイヤモンドの原石を発見するようなものです。絵本を探しはじめた1995年以降、当時日本で紹介されていたラテンアメリカの絵本は、昔話や社会派の絵本が主流でした。その一方、ラテンアメリカでは、イマジネーションにあふれ心豊かになる素敵な絵本が、2000年以降、続々と目につくようになります。『まぼろしのおはなし』も、その1冊でした。

翻訳のお話をいただいたその日、表参道にあった出版社を出た後も、うれしくて泣きながらフラフラと、ゆっくり原宿の駅まで歩いた記憶があります。ようやく夢が叶ったのです。2014年8月のことでした。

遡ることさらに20年、はじまりは

今思えば、そのきっかけを作ってくれたのは、2014年からさらに遡ること約20年前の1995年、南米ネズエラに滞在していた時に通っていた、町の小さな本屋さんでした。
「Mi casa es tu casa (わたしの家は、あなたの家よ)」ベネズエラの友人のこの言葉を信じて、3年勤めた会社を退職してベネズエラへ渡ったのが1995年、26歳の時でした。旅行ではなく、現地で生活してみたかったのです。

南アメリカの北部、カリブ海に面する共和国ベネズエラ。彼らのスペイン語は、まるで歌っているように聞こえました。みんなとにかくよく笑い、涙もろく、たくさん喋ります。じっと目をそらさずに話すので、逃げ場がなくてどきどきすることもあります。刺激的な毎日ではありましたが、やはり私は日本人なので、時々ひどく疲れてしまいます。そんな時、首都のカラカスにある、スペイン人夫妻が営む小さな書店が、私には避難所となっていました。

今ほどではありませんが、当時もベネズエラは治安があまりよくなかったので、一人でほっとできる空間があまりありません。スペイン人夫妻のトマスさんとオルビドさんは、ご年配ということもあり、また、スペインから移住された経緯もあったのでしょう。口数は多くないけれど、いつもさりげなく気にかけてくれました。「いつでも寄りなさい」、「好きなだけいなさい」と声をかけてくれて、お茶をだしてくれたりしました。それでいて、放っておいてくれたりもします。ホームシックで泣いた時には、ぎゅっと抱きしめてくれて、本当に心の拠り所でした。

ベネズエラの本屋さんオルビドさんと

帰国する時、おふたりが1冊の絵本をプレゼントしてくれました。シェル・シルヴァスタイン作の絵本『おおきな木』でした。“ぼうやが大好きな木は、彼に幸せになってほしくて愛を与えつづけます。ぼうやは、やがて大人になり、そして老いてゆく。けれど彼にとって、木はいつだって帰ってくるところ。そして木も、幸せなんです。見返りのない愛だから。(筆者一部要約)”

私にとって、書店を営むスペイン人夫妻は、『おおきな木』のような存在でした。おふたりが私に与えてくれた深い安堵感は、この1冊の絵本にすべて凝縮されています。私にとって、この絵本は一生の宝物になりました。

タイトル:El arbol generoso
著者:作/ Shel Silverstein 出版社:Litexa Venezolana para la edición en español

そしておそらく、この頃からだったと思います。南米の絵本を意識的に集めるようになったのは…。残念ながら『おおきな木』は米国の作家でしたが、では、ベネズエラの絵本はどうなんだろう?

多様な人種から成り立つベネズエラには、色彩豊かな力強い作品が多く、優れた芸術文化があります。そこで私が強く惹かれたのは、自分を芸術家と意識していない人々が、労働の合間に制作するような大衆芸術の作品でした。今では、素朴派やアウトサイダー・アートに位置づけられるかもしれません。まさにダイヤモンドの原石のような作品。力強く、時に常識を覆し、時空を超越するもの。ラテンアメリカの幻想文学の特徴ともいえるマジック・リアリズム…。

たとえば当時、友人の絵描き志望のサムエルは、ベネズエラのシンボルを実に色彩豊かに描いてくれました(参照:Venezuela by Samuel Tovar)。エンジェルス・フォールを背景に、中央ベネズエラの平原のジャネーロ(カウボーイ)、アマゾンのヤマノミ族、美しいメスティーソの女性と白人女性、色鮮やかなコンゴウインコ、そしてカリブ海。豊かな自然、多様な人種、多彩な動物。この国の日常は色であふれているのです。

Venezuela by Samuel Tovar
アーティスト サムエル・トバル(お姉さんと一緒に:2021年)

こうして、私の絵本さがしの旅がはじまりました。当初、私が注目したのは、ベネズエラのエカレ社という子ども向けの出版社のラインナップでした。今では、活動拠点をスペインやチリにまで広げており、ボローニャ国際児童図書展でラテンアメリカの最優秀出版社賞も受賞しています。そこのラインナップの本は、既存のデザインやフォーマットを逸した魅力的な絵本ばかりでした。https://www.ekare.com/

さらにベネズエラには、バンコ・デル・リブロ(Banco del Libro:本の銀行という意味)という読書推進機関があり、毎年、子どもの本の優良図書を選定していました。そこで選ばれたラテンアメリカの絵本にも注目していきました。そして、当初ベネズエラという国にこだわっていた絵本探しは、その後、ペルー、チリ、コロンビア、アルゼンチンへと移り変わり、中米はキューバ、コスタリカ、メキシコ、もちろんヨーロッパのスペインまで広がっていきました。というのも、チリの作家がスペインの画家と組んでスペインの出版社から絵本を出したり、ペルーの作家がメキシコの絵本コンクールに応募して、入賞後メキシコの出版社から刊行したり等々、彼らの芸術活動はスペイン語という共通言語を通じて、容易に国境を飛び越えていくのです。多様性、インクルージョンという言葉は、日本ではここ十数年で使われるようになった言葉ですが、ラテンアメリカという文化圏に住む彼らにとってはもはや日常なのです。国という枠組についとらわれて本を探してしまう、自分のなんと視野の狭いことでしょう。

そのうち国にこだわるのではなくて、心を奪われる“人”や“作品”に出会うことが、なにより一番大切だと思うようになりました。今では「絵本」や「スペイン語」という枠組さえも、あまり気にならなくなりました。もちろん個人的に、スペイン語のほうが英語よりも好きというところはあるのですが…。

そんなわけで、ベネズエラから始まった絵本探しの旅は、今年でかれこれ30年になります。はじめて翻訳出版をしてからは11年、翻訳した作品は28冊になりました。数は少ないですが、どれもわが子のように愛おしい作品です。

また、絵本を通じていろんな出会いも生まれました。その間、ペルー大使館をはじめ、スペイン語に関する仕事についたり、結婚したり、双子を産み育児に追われたり等々、色々ありました。ただ、これからも変わらずにこだわり続けたいのは、自分が心を奪われた作品には、刊行できるできないにかかわらず、簡単に諦めないことだと思っています。たとえその時に実現しなくても、せめて意識の片隅に置き続けること。社会の流れ、人との出会いの中で、チャンスが訪れた時に、その本の魅力をまた紹介できるように。

たとえば、ペルーの著名な現代詩人ホセ・ワタナベさんとは直接の交流があり、残念ながら2007年に逝去されましたが、2003年にペルーを訪れた際、彼と交わした詩集の刊行の約束から日本語出版の実現に至るまで、プロジェクトとしてはトータルで15年余りの年月がかかりました。

タイトル:ペルー日系詩人ホセ・ワタナベ詩集 著者:ホセ・ワタナベ 共編訳:細野豊、星野由美 出版社:土曜美術社出版販売

また、メキシコの女性画家フリーダ・カーロが、人生最期の10年間に綴った絵日記『フリーダ・カーロの日記』は、かれこれ20年がかりのプロジェクトでした(2023年に刊行)。1998年、神保町のイタリア書房でこの日記の本を手にした時から、すっかり彼女の絵の迫力に引き込まれ、出版の道を探ってきました。

ところが、メキシコの文化遺産である彼女の著作物の版権は非常に複雑で、何度もこれまでかと思うことがありました。それでも諦めきれず、日本での刊行を夢見て、翻弄されながらも、何かに取り憑かれたようになって、ずっと模索してきました。そして、ようやく夢が実現したのです。

絵本から詩へ、自分の生き方と並行して訳したい作品も少しずつ変化してゆきますが、その時々に心奪われた作品は、できるかぎり積極的に、これからもこだわってゆければと思っています。その時、出会った本が、自分の最後の翻訳作品だと思って。

タイトル:フリーダ・カーロの日記 ー新たなまなざしー
著者:フリーダ・カーロ 共編訳:星野由美 細野豊 出版社:冨山房インターナショナル

最後に

私にとって絵本さがしの出発点となった絵本は、先ほどご紹介した『おおきな木』でした。無償の愛をテーマに、年代によって楽しみ方もさまざま、いろんな読み方ができる絵本です。シンプルでいて深い、絵の見方によって別のお話しが見えてくる。そんな絵本です。いつの日か、私も絵本を探していく中で、スペイン語圏の『おおきな木』のような絵本に出会いたいと、ずっと思っていました。そしてようやく、チリの友人を通じて、絵本『わたしたち』に出会いました。もし本屋さんで見かけたら、お手に取っていただけたらうれしいです。

タイトル:わたしたち 著者:パロマ・バルディビア、訳:星野由美 出版社:岩崎書店

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※ 上記のテキストは、2021年の10月、ALOHADESIGNさんのnote の「Stay Salty vol.17」にエッセイとして掲載して頂きました。今はもう見れなくなってしまったので、初心を忘れずにという気持ちもあり、こちらに再掲させていただきました(少し修正しています)。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集