一人の大人として接する
子供扱いされた時の悔しかった思い
皆さんは、幼い頃、子供扱いされて悔しい思いをしたことは、ありませんでしたか?
我が家の三兄弟はまだまだ「子供」と言われる年齢です(執筆時、長男中一、次男小六、三男小二)。
しかし我が家では早いうちから、「一人の大人」として接するように心がけてきました。
なぜかというと、子供だろうと大人だろうと、人間は自尊心の塊であり、人から認められたい、褒められたい、承認されたい、という生き物だからです。
もちろん大人になるに連れて、子供扱いは減っていきます。大人になってからは子供扱いではなく、「軽蔑」に近いものになるでしょう。
三兄弟一人一人に対して、早くから「大人扱い」をすることで、自由と責任の概念を植え付け、将来、メシが食える大人になるように育てたかったのです。
いくつか具体例をご紹介します。
約束は必ず守る
三兄弟が小さい頃から「子供との約束は必ず守る」ことを意識してきました。「約束」は子供でも大人でも大切なものですし、約束したことはしっかりと守る人間になって欲しかったからです。
なので、出来ない約束はしませんでしたし、一度約束したことは、難しい場合でも必ず守るようにしました。クリスマスプレゼントでサンタに頼んだオモチャが売り切れていた時も、近隣になくても、地域を広げて在庫を確認し、何とか間に合わせたこともありました。
子供の欲求はコロコロ変わります。「○が欲しい」、「映画を見たい」、「○が食べたい」、「○に行きたい」、「○をしてみたい」・・・・。
このうち、子供の本気度を確認し、こちらも責任を持って応えられると判断したものは必ず約束を守りました。
例えば、長男が夏休み1ヶ月キャンプに参加したがった時も、約束したので(費用のことは考えないようにして)、快く送り出しました。
これからも同じく継続して約束を守っていきます。
あれこれ言わない(やっぱり言っちゃうけど)
別note「「勉強しなさい!」、と言わない」でも書きましたが、「勉強しなさい」を筆頭にして、一般の家庭よりも「○○しなさい」を言わないように心がけています。
理由は単純に「言われたらイヤだから」です。
言われてイヤイヤやることは、決していい結果を生みません。気持ちもネガティブなままです。
それよりも「自発的に」「主体性に」「勝手に」「放っておいても」、やってくれたら最高ですよね。
そのために、我が家では
○を「した場合」に将来予見されるメリット、デメリット
○を「しなかった場合」に将来発生するであろうリスク
を、分かりやすい言葉でイメージさせるようにしています。
例えば、「玉ねぎが嫌い」とか「ご飯をあまり食べない」に対して、「食べても食べなくても自由だけど、好き嫌いなくたくさん食べたら背が伸びるかもよ」なんて話します。その上で「○の人生だよ。どうする?任せるよ」などと言うと、大抵は食べます。
メンドくさ!あーメンドくさ!私もそう思います。でも子育ては親の押し付けではやっぱりうまくいかないんです。
表面上、うまくいっていても、子供心には反発心が残るんです。
我が家は、「ああしろ」「こうしろ」ではなく、子供が自分で考えて判断して決定して自分の人生の責任を取っていって欲しいんです。
まとめ
・子供との約束は必ず守る
・「○○しなさい」とは極力言わずに、イメージさせる。