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第八話 祖父の葬式【note創作大賞2024】
先日、祖父が亡くなりました。五年ほど前に病院の待合室で脳梗塞で倒れ、手術したのち肺炎にかかり入退院を繰り返していましたが、今年に入ってからは容態が落ち着き、介護老人施設に入ったばっかりでした。享年八十六歳です。
まだ亡くなったことに対して実感が湧かないでいます。今週もオムツに名前を書いて病院に持っていかなくちゃなぁ、とか身についた習慣が抜け出せないでいます。
話は戻りますが、祖父が暮らしている場所では今でも村の習慣が残っています。
私が祖父の家に帰った時には見慣れない掛け軸がかけてありました。大きさは横幅六十センチほどで長さは二メートルぐらい。
本紙には金色で雲に乗った大きな観音様が一尊《いっそん》。その周りを囲むように一回り小さい観音様が二十尊。そしてさらに遠くから迎えに来たように描かれた観音様が十尊。
背景は藍色で塗りつぶされており、観音様の金色がよく映えていました。代々受け継がれてきたのか近くで見れば年季があり、ところどころヒビ割れています。
この掛け軸は亡くなった時に村から借りる掛け軸だそうです。とても立派な掛け軸でした。
「おじいちゃん、立派な掛け軸だねぇ」
棺に入っている祖父の顔は眠っているようでした。死に化粧をしてもらったのもあり、今にも起き上がりそうな表情です。
祖父の顔に触れようと手を伸ばせば、透明のアクリル板に手を弾かれました。村にはお坊さんが一人しかいないため、予定が合わず亡くなった三日後がお葬式でした。だから、ご遺体をドライアイスで冷やしています。そのため、触れることはできませんでした。
お葬式の日は台風が近づいている日でした。雨でびしょ濡れになる覚悟でしたが不思議と傘を差したのは一度だけでした。
朝、十時。自宅出棺の時刻がやってきました。霊が視える従姉妹の母のみっちゃんが朝早くに帰ってきています。みっちゃんがいれば、祖父も寂しくないだろうなと思いました。
家の外では雨で足元の悪い中、村の人たちが総出で祖父の見送りのために集まっていました。雨の中、乳母車を押しながら歩いてくるおばあさんもいます。
父が村の人たちの前で挨拶をし、棺を車に乗せる時間がやってきました。
自宅出棺では男性が棺を持ち上げる役目があるそうで、私の父と弟、従姉妹の父が棺を持ちに行きます。
棺を持ち上げた途端、出て行きたくない、という祖父の意思なのか打ちつけるような激しい雨が降り始めました。私と従姉妹のみっちゃんはビニール傘を持って棺と父が濡れないように傘をさします。
霊柩車に棺を入れて、遺影を持った祖母が霊柩車に乗ります。ファー、と霊柩車のクラクションが鳴りお茶碗が割れる音がしました。
私たちは戸締りをしっかりしてから祖父母が待つ会館に向かいます。田舎なのでキチンと戸締りをしていないと葬式泥棒がでるそうです。
近くの会館まで着いた後は、嘘のように晴れていました。お葬式が始まって午後ニ時まで何も食べることができないので、私とみっちゃんと従姉妹の父と一緒に近くのコンビニへ飲み物とお菓子を買いに行きました。
私の父は喪主のため、十一時からの打ち合わせに母と従姉妹の父と向かいました。祖母と私と弟とみっちゃんだけが控え室に残ります。
その間、ここにはいない従姉妹の話をしていました。従姉妹は現在宮城で暮らしており、都合が悪くこっちに帰ってくることが出来なかったそうです。
連絡先は知っていてもあまり連絡を取り合わないため、従姉妹の話はだいぶ盛り上がりました。
しばらくして、みっちゃんと目線が合わなくなりました。
「おじいちゃんに会ってくるね」
ふと、みっちゃんが立ち上がりました。
「ここにはいないの?」
私たちがいるのは、親戚一同集まる控え室。私は祖父がいるとしたら、この場にいるものだと思っていました。
「こっちにはこないで、葬式会場にいるみたい」
みっちゃんはフラリと部屋を出て行きます。
「そうなんだ」
私は後を追いかけようか悩みました。ですが、私には霊感がありません。それに、みっちゃんも私に聞かれたくない話があるかもしれません。私は控え室に残りました。
十二時になり、導師お迎えの時刻がやってきました。お盆になるとお経をあげにいらっしゃるお坊さんが車で会館にやってきます。
午前中もお葬式があったようで、祖父のお葬式を次の日の土曜日にしてくれないかと頼まれましたが、祖父は水曜日に亡くなったため、いくらドライアイスを入れていたとしても遺体がもたないと金曜日でお願いしたそうです。
お布施を渡しに父は席を外せば、親戚の方が二人来ました。六十代男性と女性です。夫婦でも兄弟でもなく独身同士だそうです。祖母の姉の娘さんにあたる方と、祖母の兄の息子さんにあたる方。
祖母には兄弟がたくさんいるらしく、全ての方にお会いしたことはありませんがお布施は親戚だけでも六枚以上あったように見えました。コロナ禍もあり、家族葬でしたが近くに住んでいるらしく親戚代表として来たそうです。
弟と一緒に軽くご挨拶をし、静かにしています。すると、両親が打ち合わせから戻ってきました。気づけば、もう午後一時前です。葬儀開式の時刻が迫っていました。
葬儀は会館の小ホールにて行われました。親戚や父の勤め先の会社からの供花に、村の自治会の旗。孫一同からとして、淡く青い光を照らす盆提灯が置かれています。宗教が違うのか、母方の祖父母の葬式では見慣れないものが棺の前に置かれていました。
両親や親戚は前の席に座り、私と弟とみっちゃんは後ろの席に座りました。
みっちゃんは少し涙ぐんでいるように見えました。去年の十二月からお葬式が続いているらしく、体力的にはとてもつらそうに見えました。祖父となにを話したのかはわかりませんが、祖父と話せるみっちゃんが少しうらやましかったです。
まともに会話をしたのは去年の五月。いつもスッピンで会っていたため、化粧して行ったら私だとわからなかったみたいで戸惑っていました。たわいもない会話をし、祖父のリハビリの様子を見守ります。元々細かった祖父は見るたびに痩せているように見えました。
もう、会えなくなるかもしれない。だけどもし、私がコロナ無感染症で祖父にうつしてしまったら、と思えば怖くて会えませんでした。
「お優しく怒ることは少なかったそうです」
司会の方が両親が話した情報を元にして祖父の思い出を話しています。
小さい頃はよく田舎の祖父母の家に預けられていました。祖父母は優しかったですが、同い年の子もいないため、いつも一人で寂しかったのを覚えています。
祖父と一緒に畑を桑で畑を耕したり、育てた枝豆を切ったり、枝豆を出荷する袋に判子を押したりなど、当時はスマホどころか携帯もゲームもなかったので、よく土にまみれていました。
私なりに祖父を手伝っていたつもりでしたが、几帳面な祖父は私のやること全てに影で怒っていたと両親は後で教えてくれました。どちらかといえば、祖母の方がおおらかで許していたのかもしれません。
御焼香が始まり、お坊さんのお経に熱が入ります。小ホールの外から日差しとミンミンゼミの鳴き声が聞こえてきました。父から順番に御焼香をあげていきます。順番と御焼香のあげかたを確認しようと前を見れば、村から預かった旗が風もないのに大きく揺れていました。
葬儀が始まる前に私は両親と一緒に小ホールを訪れています。その時は冷房がついていたとはいえ、旗は動いていませんでした。
旗、といっても風でそよぐような薄い旗ではなく優勝旗のような立派な旗です。ちょっとそっとの風では揺れることはないはずです。旗は不自然なほど大きく揺れていました。まるで、祖父がここにいると叫んでいるようにも感じます。
私はなにも見えないですが、みっちゃんには別の世界が見えているんだろうなと思いました。
その後、お花や遺品を入れて最後のお別れをしました。閉じていた口は少し開いており、大好きだった生ビールを紙コップに入れて榊の葉で飲ませました。
午後二時になりました。斎場への出棺時刻です。車で二十分ほどのところに斎場へ自家用車で移動します。その前にまた男手で祖父が入った棺を霊柩車に運びます。
「棺、重たかった?」
私は後ろにいた弟に話しかけます。弟にとっては葬式は初めてで、祖父の遺体が怖いのか、幼い子どものように私の後ろをついてまわっていました。
「軽かった」
弟はそっなく言いました。
最後に会った去年の五月よりも祖父の頬は痩せこけていて、胃に穴を開けて、直接栄養を送り込む手術や装置の胃瘻《いろう》になってからはさらに痩せたと思います。
私は棺を持つことはなかったのですが、見た目よりも軽いのでしょう。なんだか、少し切なくなり涙が出ました。
車で二十分ほどのところにある市営斎場へ出発します。祖父を乗せた霊柩車の後ろにお坊さんの車、父の車、従姉妹の車の順番で出発しました。
「綺麗に咲いてんな」
一緒の車に乗っていた祖母が窓の外を見ています。
「ほんとうだ、めちゃくちゃ咲いてんね」
斎場に向かうまで道ばたには多くの彼岸花が咲き乱れていました。手入れされているのか田んぼの脇道に花道のように咲いている彼岸花があります。斎場に近づくにつれて、彼岸花の数が増えているように感じました。
「彼岸花を持って帰ったら火事になるんやんね」
母が思い出したかのように言いました。
「そうやで、やから持って帰ったらあかんねん」
祖母は外の景色を見たまま返事をします。以前、母が変な花が咲いていると言って彼岸花を持って帰ってきました。それを見た祖母が家に持って帰ったらあかんと言った記憶が蘇ります。
斎場に行く途中で信号に引っかかり、霊柩車とはぐれました。右側のトンネルから別の霊柩車が通り過ぎていきます。
「他の方もいるんやねぇ」
祖母は前を走る霊柩車を切なそうに見ました。霊柩車の後ろには私たちと同じ様に続く乗用車が三台通ります。
今年の彼岸入りは九月二十日。
「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉があるように、季節が急に移り変わる時期です。先週、父が稲刈りをしたばかりでした。
信号が青になり、車が発進します。途中ではぐれた霊柩車とお坊さんが乗った車と合流し斎場に到着しました。
斎場に着くと、どんよりと空が曇っていました。一雨きそうな雲が頭上にあります。駐車場から斎場まで坂道があり、私たちは二列になって斎場へ続く坂道を上りました。
「ん?」
顔に細い蜘蛛の巣がかかったような感覚がしました。坂道の脇には草むらが生い茂っており、蜘蛛の巣が飛んできてもおかしくありません。
ただ、手で振り払ってもなにもない。手の平を見ても蜘蛛の巣らしきものはついていませんでした。実際の蜘蛛の巣なら手になにかついているはずなのに。こういう時はなにかが通り抜けている可能性が高いです。祖父でしょうか? ふと、後ろを歩くみっちゃんを見ればつらそうに坂道をのぼっていました。
坂道を登り切ると、斎場が見えてきました。建物の前には祖父が乗った霊柩車が止まっています。斎場は数年前に一度建て直したらしく、まだ新しい建物でした。
電動の担架が祖父の棺を運びます。火葬場の手前の部屋でお坊さんがお経を上げ、御焼香をしました。ここが最後になる祖父との別れの場です。
ご収骨のため再び斎場へ向かいます。また赤い彼岸花が目に入りました。緑の雑草の中で生える彼岸花はよくも悪くも目に入ってきます。
斎場の駐車場につき、また坂道をのぼります。雨雲レーダーでは雨が降ると出ていましたが、まだ晴れていました。斎場に向かうみっちゃんの隣に立って、気になっていたことを聞きに行きます。
「ここに霊はいるの?」
私は祖母のいとこに聞こえないように聞きました。
「ここは変なやつはいないみたい……あ、変なやつって言い方はよくないね。霊はいるけど、悪い人じゃなさそう」
みっちゃんは苦笑いをしました。
斎場でご収骨します。祖父の骨は畑仕事をしていたこともあり、かなり綺麗に残っていました。足の骨は太く立派で、細かった祖父にあったものとは思えないぐらいです。印象的なのは下あごです。標本のように美しく綺麗でした。
火葬場のスタッフは揃わない箸を父に渡しました。そして、三人分の箸を台の上に置いていきます。
箸を使うのは故人を「この世からあの世に橋渡しをする」という意味が込められていると言われています。
骨上《こつあ》げには長さが揃っていない竹製と木製の箸を一本ずつ使用します。揃わない箸を使用するのは、葬儀の際に日常の常識を真逆にして私語の世界を正反対の世界ととらえる『逆さごと』に由来します。
箸でつまんでも砕けることなく丈夫で原形を留めていました。祖父の遺骨を足から腕、助骨、歯、頭蓋骨と下から上に入れていき蓋をします。これは生きている時と同じように足がしたになるようにするためです。
頭蓋骨を収めた後、最後に喪主である父が喉仏を骨壺に収めます。喉仏はその名が示すとおり仏様が座禅を組む姿に似ているため、最後に収めるそうです。こうして、骨上げの儀式が終わりました。
西日本では全ての骨を収めるほどの骨壺ではありません。残った遺骨は石川県まで運んで供養されるそうです。
骨壺を弟が持ち、また会館に戻ります。そこで、初七日法要をあげ、ご散会しご自宅飾りをしました。全てが終わったのが七時頃。外は雨が降り始めていました。
台風が来ている中での葬儀ということもあり、びしょ濡れ覚悟で葬儀に挑みましたが、私たちが濡れたのは自宅出棺の時だけでした。
「ご飯、食べて行きなよー」
母は帰り支度をするみっちゃんを呼び止めます。
「ごめんね、家にいるオカメインコが朝早く起こしてご飯あげたんだけど、ご飯食べてないんだ。鳥さんって二十四時間食べないと死んじゃうんよ」
みっちゃんは申し訳なさそうに目を伏せました。
「そっか、鳥さん飼うの大変なんだねぇ」
「そうなんよ、世話してるの私なのに。不思議と世話してない叔父には懐くんよ。帰ってくるだけでもピヨピヨと羽ばたくんよ」
みっちゃんはパタパタと手で羽ばたくジェスチャーをします。そして、叔父とともに帰っていきました。
残った私たちは晩ご飯の買い出しに行くことになりました。父が運転する車で近くのスーパーへ向かいます。二十パーセント引きのお寿司とアイス、おつまみなどを買って帰りました。ご飯を食べてお風呂に入り、お布団へ。
たいして動いていないのに、私と母はふくらはぎが痛かった。慣れていないヒールを一日中履いていたからかもしれません。
朝が来ました。私は二階から一階の階段を下りてトイレに向かいます。廊下を歩いていれば父と会いました。
「夢ん中におじいちゃんでたか?」
父はみんなに聞き回っているようでした。話によると、みんなは出なかったみたいです。
「ううん、何回か暑くて起きたけどなんにもなかった」
台風の影響で強い雨風を防ぐものがない二階。窓を閉め切っていたため、夜には涼しい盆地といえど、寝汗をかくほどで何度か起きては寝ていました。それでも夢の中におじいちゃんは出てきません。
私の祖父は優しいおじいちゃんでした。