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終わりよければ

当初予算案の市長会見見た?
市長やる気満々だったわよね
目玉施策もたくさん打ち出してたけど
昨年言ってたアレはどうなったのかしら
#ジブリで学ぶ自治体財政
 
令和6年度の当初予算に関する自治体からの公表が相次いでいますね。
福岡市でも昨日2/15に市長会見が行われました。
2/19から市議会定例会が開会され、令和5年度の補正予算と合わせて3月末までほぼ1か月にわたり審議されることになっています。
 
この記者発表と議会への予算案の送付の時期になると、財政課在籍時代のこの季節独特の解放感を思い出します。
10月末から始まる予算編成は、予算要求調書の分厚い束を各部局から受け取るところから始まります。
曜日も昼夜も問わず、財政課職員一丸となって経常的経費、投資的経費の順にヒアリング、課長審査、調整を行い、局部長審査を経て年内に局長案をまとめ、内示、復活調整、市長・副市長査定を経て1月末に予算案が固まる編成のゴールが2月の記者発表と議案送付なのです。
 
閉ざされたタコ部屋で過ごす長い冬が終わり、やたら長い拘束時間とただならぬ重責から解放され、軽くなった心と体で春の訪れを感じ、命のありがたみ、家族の温かみを感じる、人間らしさを取り戻す日。
毎年繰り返されるこの「解放の日」には、予算編成の現場を離れた今でも、財政課だけでなく予算編成に携わったすべての方々に「お疲れさまでした!」と言いたい気分です。
皆さん、無事の生還おめでとうございます(笑)
 
特に私は、財政課の係長5年間のうち2年「記者発表」の担当をしており、課長時代の4年間も含め、6回も市長会見のための資料とりまとめをやりました。
現場とのやり取りでは「これは本当に必要か?」とマイナス要素ばかり色眼鏡で見ておきながら、年が明けて編成も終盤になると「こんな素晴らしい事業がはじまります!」とキラキラした目で外向けに見せていくための資料作成に没頭し、二重人格のような気持ちの切り替えを毎年していたことを思い出します(笑)
そうしてめいっぱい“素晴らしいでしょう”オーラを醸し出すよう装飾、味付けし、首長に自信たっぷりで発表してもらうわけなのですが、その振り付け、演出の作業も含め、担当された皆さんを労いたいと思います。
 
しかし、予算編成の現場を離れてもう10年近く経ち、ふとこの一連の作業を振り返ってみたときに一抹の違和感を覚えることがあります。
それは「予算の記者発表、力入れ過ぎじゃない?」ということです(苦笑)
各自治体の予算案公表資料はどこもとても力が入っていて、市民に対してわかりやすく、興味を持って読んでもらえるように工夫されています。
自治体としてどこに力を入れるのか、それによって市民の暮らしがどのように変わるのか、期待を持たせる内容になっていますが、自治体の経営の評価は「何をやるか」ではなく「何をやったか」。
これから取り組むことを声高に叫び、市民の期待歓心を高めることも市民がそのまちに暮らすことに夢や希望を持つことができるという意味で必要な情報発信だとは思いますが、個々の施策事業の取り組みが期待どおり遂行できたのか、得ようとしていた成果はきちんと得られたのかということについて、発信する自治体も、それを報じるマスコミも、そしてその情報を受け止めて評価すべき市民も、今一つ関心が薄く、取り組みも予算のそれと比べるとお寒い状況ではないかと思うのです。
 
もちろん、行政の施策事業は単年度の取り組みで成果が出るものではなく、毎年の決算公表時に個々の施策事業の実績や成果を公表することにどの程度の意味があるのか、というご意見もあるかとは思いますが、毎年の決算時においても評価できるKPIを立て、予算案公表時に示すことで決算時にどのように事業評価を行うべきかが議会や市民と共有できますし、そのKPIが妥当かというロジックモデルを議会で検証でき、事業実施にあたっても成果を意識した事業構築が可能になります。
よく「役所はPDCAではなくPDPDだ」と揶揄される所以は決算審査の脆弱さにあり、無駄遣い、バラマキと批判される施策事業が散見されるのも、予算時点で決算審査、事業評価を見据えて布石を打つという視点が欠落していることが一因ではないかと思います。
 
そういう意味で、決算公表資料を予算案公表資料なみに市民目線でわかりやすくするという動きがでてこないかなあと期待しているところです。
歳入歳出の目的別執行状況や各種財政指標といった自治体財政の全体像についてはかなりわかりやすく表現する自治体が増えてきましたが、予算執行の目的はお金を使うことではなく、市民サービスを提供し市民福祉の向上を図ることで、予算執行はその手段にすぎません。
それなのに、予算執行の結果としての市民福祉の向上についての表現を工夫し、市民への理解浸透に腐心している自治体が見当たらないというのは、予算案の公表に比べ、バランスを欠いていると思うのは私だけでしょうか。
予算案公表資料に掲げるそれぞれの施策事業が1年後にどのような社会変化を引き起こしているかを、測定できる指標で目標値を掲げるだけでいいのです。
予算案の公表は長い予算編成のゴールではありますが、事業を始める最初のスタートラインに立っただけ。
予算を執行し、自分で見定めたゴールにちゃんとたどり着いて初めて評価されるべきものです。
全国の財政課職員の皆さん、事業の成果や評価について市民、議会への情報提供が必要だとお感じの皆さん、ご一考願います。
 
事業評価の必要性については以前こんな記事を書きました。

 事業の目的は何をどのような状態にすることでしょうか。
その目的は達成されているでしょうか。
それはきちんと測定できているでしょうか。
 
多くの場合,「良好な」「適切な」「積極的に」といった定性的な語句で飾られたポエムのようなあいまいな目標水準を掲げていて,「推進する」「目指す」「図る」などその到達を名言しない逃げ道を用意しているおかげで,目標達成について定量的に測定評価しないで済ませている,逆に言えば定量的に評価することができないのではないでしょうか。
そして,評価をあいまいにすることで,やり方も体制も投入資源も見直されず,ただ事業概要に掲げられた「やるべきこと」の実施だけに意義を見出し,粛々と「やるべきことをやるだけ」が継続されているのではないでしょうか。
 
予算を何にいくら使ったのかではなく、それで何が実現できたのか、それは当初から目指していた効果なのか、それは最も効率的な手法だったのか、という議論が行われ、その議論がより良い予算編成につながっていくことを期待したいと書いていますが、その前提として決算時点で議論し評価できるよう、予算編成、公表、議会での審査のそれぞれの段階で、何を目指しているのか、それは何がどう変化することなのか、それはいつだれが測るのか、を明らかにするクセをつけていく必要があると思っています。
 
ここまで書いて2年前に同じ趣旨の記事を書いていたことに気づきました(笑)

参考までにどうぞ。
 
★2018年12月『自治体の“台所”事情“財政が厳しい”ってどういうこと?』という本を書きました。
https://shop.gyosei.jp/products/detail/9885
 
★2021年6月『「対話」で変える公務員の仕事~自治体職員の「対話力」が未来を拓く』という本を書きました。
https://www.koshokuken.co.jp/publication/practical/20210330-567/
 
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