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ひとりでいられない

緊急事態宣言下のゴールデンウィーク。ひとりで家にいる、それが途方もなく続く…。それを考えはじめたら、おかしくなりそうで、恐怖を憶えてきた。

「私はひとりでいられないんだ」

ひとりで家にいても、意識高い系雑誌にあるような、おしゃれな普段着で、髪をかきあげながら、観葉植物に水をあげて、おしゃれなプレート朝食を食べて、おしゃれな部屋でおしゃれな音楽を聴くような、よくわからないキラキラした休日を過ごす人像があって、そうなれない自分を責めてる。

人といれば楽しさが湧いてくるのに、ひとりでいると湧いてこない。人といたら自分が感じた些細な楽しさをシェアしたり、人が感じる楽しさをシェアするのが楽しい。何かをするからじゃない、ただ人といると楽しいのに。ひとりでいると全然楽しさが湧いてこない。

ひとりで出かけても、その作業(例えば、買い物)をするだけの動作(注文して、またはカゴに入れてお金を払う)しかできない。お店の人と話せば新たな発見があったりするんだけど、遠慮したり、人の目を気にしたり、人に迷惑をかけないように、と最小限の動作だけしかしなくて、無機質な動作として終わってしまう。人といると楽しくなってお店の人に話しかけたり、するんだけどな。

だから、「私はひとりでいられないんだろうな」って思った。

しかし、簡単に人とは会えない緊急事態宣言下。ひとりの時間は続いていく。私も来月40歳になる。夫は超自立型でしかも遠距離。ひとりでいられない、なんて言ってる場合じゃない。いい年なんだから。自立しないと。ひとりでも楽しめる人間にならないと。

そこで「なぜひとりで楽しめないのか」を考えた。

行き着いた答えは「自分のために努力をしないから(自分を楽しませるための努力をしないから)」だった。

驚愕した。確かにそう、残酷に結局は自分のせいだ、他力本願だったんだとつきつけられた。

今まで、親や友達や恋人という私の周りにいた人たちが私を楽しませてくれていた。常に受身なわけじゃなくて、私が相手を楽しませることもあったけど、これまでの楽しみは人を、人といることを前提としていた。ひとりの楽しみ方を私は全く考えたことがなかった。

40歳目前になり、家庭環境も変わった、友達も馴れ合いの付き合いではなくなった、夫もひとりの生活を楽しむ人を選んだ、私の女性としての魅力も年相応になり、チヤホヤする異性の数も減った。私のひとり時間は確実に増えた。多分、これからはもっと増えていく。

楽しむためには、頑張りがないと味わえない。

人のために、人といると無意識に頑張るのは相手を楽しませたいから。目の前の人を楽しませたい気持ちがあるから。それが相乗効果になって、自分も楽しくなっていく。

それを自分に対しても同じようにしていくのだ。自分で自分を楽しませるために、人にしていたのと同じように自分をエンターテインする。

会社の同期の可愛い子が入社当時に言ってた「自分で自分をアゲてくしかない!」垂れ目メイクで可愛い容姿のいわゆるモテる女子だった彼女が言っててたからビックリしたけど、そういうことだったんだ。その子も自分をアゲるためにメイクしたり、可愛い服着たり、女子らしくしてたのかなぁ。

ひとりでいるために、自分で自分をアゲていくしかないし、自分で自分をエンターテインしていくしかない。そうやって自分を楽しませて、自分を楽しんで生きていくんだ。そっか。そういうことだったんだね。

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