さよならをするための、お産
前回、お腹の子とお別れしなくてはいけない、という記事を書きました。
いいね!とも言えないし、とっても反応しづらい内容だと思うけれど、読んでくださった方、個別にあたたかいお言葉をくださった方、本当にありがとうございました。
あれからしばらくして、赤ちゃんが自分の力で出てきてくれました。
繋留流産の、自然排出でした。
※この先、ちょっとグロテスクな内容があります。
苦手な方はご遠慮ください。
でも、できるだけ、こんなことが起こりうるということをもっとたくさんの人に(もちろん男性にも!)知っておいてほしいから、読んでいただけたら嬉しいです。
手術か、自然排出か
もし赤ちゃんがお腹にとどまってしまって、なかなか出てきてくれなかったら、全身麻酔の手術をすることになっていました。
ネットで色々な経験者の方の記事を読んでいたら、
「手術中に麻酔が切れて途中で起きてしまってめちゃくちゃ痛かった」とか
「手術が終わった後に気持ち悪すぎて吐いた」とか、壮絶な体験談がたくさんあって、怖くて仕方なかった。
とは言え、手術ではなく、自然排出でも、
・いつ排出が始まるかわからない
・大量出血になる
・陣痛のようなお腹の痛みが出る
・自力で排出しきれなかったら結局手術をすることになる
と、お産並のフルコースで、怖い気持ちに変わりはなく。
でも、やっぱり、できるだけ赤ちゃんの意思(?)、自分の体、自然の力を信じたくて、自然排出を希望していました。
いつ始まるかわからず、毎日生理用のナプキンをつけていたし、寝る時には布団に大きなゴミ袋を敷いて突然の大量出血に備えていました。
お別れの、始まり
出血が始まったのは妊娠11週2日の昼間。
外出先でのこと。
生理痛のような腰の痛みがあって、トイレに行くと茶色いオリモノが。
「あぁ、始まったかも」。
30分ほど経ってもう一度トイレに行くと鮮血が出ていました。
量はそんなに多くなかったし、痛みもそんなに強くなく、思ったよりも大丈夫、耐えられるかも!という感じ。
どこか上の空でソワソワしながらも用事を済ませて帰宅。
排出が始まったことがわかって、落ち込むかと思いきや、最初に思ったのは
「やっと出てきてくれる」
「早く楽になりたい」
「これで前に進めるようになるかも」
「私をこれ以上苦しめないように早く出てきてくれるのかな」
でした。
ちょっと落ち着いてから実感したのは
「これでお別れなんだな」
「いなくなっちゃうんだな」
「もう妊婦じゃなくなるんだな」
という寂しさ。
赤ちゃんが育っていないこと、いずれお別れをしなくてはいけないことがわかってから、約1ヶ月。
私だけ時が止まってしまったようで。
突然私の未来だけが暗くなってしまったようで。
(不必要なほどの)罪悪感と、喪失感と、悲しみと、苦しみと、不公平感、だるくしんどい体を抱え続けるには、長すぎる時間でした。
悲しい診断から2週間くらいは毎日泣きました。
いや「泣く」というよりも「勝手に涙が流れてくる」という表現の方が近いかも。
その後は2日に1回、3日に1回と徐々に感覚はあいていった。
私、毎日悲しみ続けられるほど強くはないみたい。
あんなに産後ダイエットに苦労したのに、あっという間に長女妊娠前の体重に戻ったわ。
(筋肉が減ってブヨブヨだけど!涙)
そんな悲しい1ヶ月を過ごしたから、「悲しい」よりも「やっと解放される」という気持ちの方が強かった。
さよならをするお産、前を向くためのお産
出血しながらも普通の生活をして、夜ご飯を食べていた時。
突然お腹が痛くなりました。
じっとしていられないくらい。
「あ、きたかも」と思いました。
すぐにトイレに駆け込んで。
ナプキンは真っ赤。
明らかに出血量が増えていました。
そこからは、血がさらさらと出てきて、夜用のナプキンが10分も経たないうちにいっぱいになっていました。
頻繁に変えました。
これはずっとトイレにいた方がいいのかもしれない、と思い、トイレに籠もって。
悶えながら1時間ほど経った頃、ドゥルっという感覚と共に、袋のようなものが出ました。
赤ちゃんが入っていたお部屋、胎嚢(たいのう)だったのかも。
前にお医者さんに、胎嚢とか出たものは病理検査するために持っていった方がいいですか?って聞いたら、時間があくとちゃんと検査できないのでトイレに流してくださいって言われていたので(※病院、お医者様によります)、しばらくじーっと見つめて、お礼とお別れを言って、流しました。なんだか複雑な気持ちだったな。。
でも、どこかほっとして、トイレを出ました。
それからは、不思議なくらい痛みもひいて、さらさらとした出血も落ち着いて、そんなに頻繁にナプキンを変えなくてもいい状態に。
(とはいえ1時間に1回くらいは変えてたかも。比較対象のすごさよ…)
感覚で、「あぁ、赤ちゃん、ちゃんと外に出られたんだな」とわかった。
体の中に、もういないって、しっかりわかった。
体って、自然の力って、すごいなぁ。
突然体が軽くなった気がして、意外に動ける!と思って、あろうことか洗濯し始めたわ。
(流石に娘のお風呂は夫にお願いしたけども。)
そして、出血しながらも淡々とその日すべきだった仕事もして。
もしかしたらお産の時みたいにアドレナリンが出てただけかもしれないし、何かしていないと悲しみに飲み込まれそうで無意識に何かすることを探していたのかもしれない。
(本当は体に負担がかかってるので会社にお勤めしている人とかは一週間特別休暇をもらって休むべき時期、なので動けるのが当たり前ではないです、みんなは休んで!支えるパートナーの方も、そんなに大変じゃないんだな、なんて、絶対に誤解しないで。)
いつくるかわからなくて、怖くて怖くて仕方なかった。
痛かった。
赤ちゃんも、私も、頑張った。
産声も聞けなかったし、
この腕に抱くこともできなかったけど、
あれは、私にとって、間違いなく、お産だった。
ちゃんとさようならを言うための。
前に進むための。
小さな小さな赤ちゃんだったけれど、命をかけて私に、妊娠、出産をすることは本当に奇跡的なことなんだって、教えてくれた。
体の細胞ひとつひとつが悲しんで苦しんだからこそ、体中で、心の底から、理解できた。
あなたのことを、忘れないよ。
また、来てね。
いつでも、待ってるからね。
短い間だったけど、あなたのママにしてくれて、ありがとう。