
用意はいいか?
違和感を覚えつつもそのままの状態にあることは、セルフネグレクトなのかもしれない。
それが家の有様であるならば、私ならばそのことに気がつけるけれど、それが人間関係であったり仕事の関係だと、その関係を解消する勇気がなかなか持てないことにはたと気が付きました。
気が付いたならばすぐさまに行動を起こせばいいものを、そこは現実世界のあれやこれやが複雑に絡み合っているわけなので、その意図をハサミでばっつりと断ち切るわけにも参らぬというもの。
血管が絡み合っているところを断ち切ると、出血してたいへんなことにもなります。
違和感を違和感としてまず認識しておくこと。見て見ぬ振りはせずに、この関係性をなんとかするのだと、自分に課題を出すことをします。
すぐには名案は浮かばないかもしれないけれど、俎上にあげておくことで、処理をする必要があることを自分が認識できます。
その場に身を置くことで、なんとなく不快までは行かなくても、居心地の良くない思いをしているのなら、そこは自分のいるべき場所ではないのかもしれません。
自分から求めて手に入れた場所であっても、そこにいる人が醸し出す気によっては、自分の気と合わないということもあるかもしれません。
辛抱が足りない場合もあるかもしれないけれど、合わない相手が何かを自分に教えてくれることもありますけれど、その見切りは自分がいちばんよくわかるはずです。
これは学びなのか、これは試練なのか、ここから離れてゆくことは甘えなのか、自分を守るためなのか。
自分の気持ちに向き合って、しっかりと問いかけてみると良いです。
過去に離れた場所を思い起こすと、それぞれに「潮時」があったことがわかります。
最初の頃の「こんなはずではなかった」は、それこそ自分の甘さゆえの未熟さゆえの勘違いでした。
そこから自分も成長して、黄金期を迎えて、ピークが去ると、少しずつその場との関係性も緩くなってきます。
かつての情熱も冷め、義務感が先行する関係性となります。
やがて、そろそろ潮時かもと思う時がやってきます。
その時は、どちらからともなく去るべき時が来たのだと思える何かが起きるように思います。
自分の側に何か続けられない事情が起こるか、その場からなんらかの勧告を受けるか。
自分から働きかけて断ち切らなくても、自然にそうなる流れが向こうからやってきます。
今の自分は、なんとなくですが、その流れをほとりで待っているような状態です。
いつでも準備ができているように、常に何があっても動じないように。
そういう自己を自覚しておきたいと思っています。