贈り物の気持ち
プレゼントというのは、その人のセンスもさることながら、念いを感じるものでもあります。
誕生日であれ、記念日であれ、お祝いであれ、お相手のことを念い、その人の喜ぶ顔を想像し、時間を掛けて脚を棒にして選ぶことの愉しみがあり、また受け取る側も、お相手がそのようにして選んでくれたのだろうという、大きな愛を感じるものでもあります。
モノはモノであってもモノではない。プレゼントにもそれは当てはまります。
だから、朽ちないモノに乗った相手の念いは、いただいたその時の「今の心」なのに、時間が経っても乗っかったままのように、受け取った側は感じてしまいます。
受け取ったその時の「今の心」はその時のものであるにもかかわらず、モノには念いが張り付いたままで、いつしか「重い念(ねん)」になってしまいます。
ですから、私は今はプレゼントは「消えもの」「体験するもの」を選ぶようにしていますし、そんなプレゼントをいただくのがとても嬉しいです。
お花や美味しいお菓子、一緒に過ごす素敵なレストランでの食事など。またはディズニーランドや観劇やコンサートなど。
誰と過ごすかって、とても大切な要素だし、花言葉に込められた念いを知ることで、プレゼントに深み(重み?)が増すし、美味しいお菓子が口中に滞在しているホンのひとときの口福が、愛おしいです。
つい最近いただいたこちらのポテトチップスは、口の中に入れた瞬間、驚くほどのおいしさに痺れました。
https://www.aromatruffle.jp/shop
これをくださった方は、娘の誕生日に「かき氷チケット」をプレゼントしてくださいました。
私たちの贔屓にしているかき氷屋さんをGoogleレンズで探し当て、そこのお店と交渉して、かき氷のチケットを作ってもらい、プレゼントしてくださいました。
ある意味、ちょっと怖いくらいのサプライズです。
ご本人も、気持ち悪くてすみませんとおっしゃっていましたが、それくらいの気持ちでプレゼントを選ぶ心意気が素敵だと思いました。
そういえば、夫もセンスの良いプレゼントをする人でした。(←過去形 笑)
いろいろあったにせよ、それは認めます。
義務感で仕方なく選ぶなら、むしろプレゼントはいらないと思っています。喜んでもらいたいな、気に入ってくれるかな、そんな気持ちで選ぶプレゼントは、相手の方がどう受け取るかよりも、相手を念うその時の自分の気持ちを自分が楽しんでいるのではないかしらん。
プレゼントを差し上げたい気持ち、受け取ってもらってありがとうの気持ち、プレゼントを差し上げる状況を感謝する気持ちなど、プレゼントは差し上げる側の満足なのです。
それを喜んでもらえたなら、さらにおまけのようなものです。
次にプレゼントを考える時のハードルを、この文章を書きながら上げてしまったことに気が付きました。