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光を観る旅ファイナル
まだ記憶が新鮮なうちに、この二泊三日のことを思い出して書いています。今は福岡空港のターミナルで、ゴンチャを飲みながら。
そもそも五島列島の教会を観たいと思ったのは、NHKの番組がきっかけでした。
テレビはやっぱりテレビであって、本当の姿というよりは、ディレクターの意図と意志がふんだんに盛り込まれた番組です。
それはひとつの作品なので、真実や事実とは違っていても、それもアリだと思います。
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テレビが虚構の世界であるというのは、もう誰もが気付いていると思うので、それが自分の観た実物と違っていても、とやかく言うことも無いだろうとは思うのです。
自分が見たものを、自分は信じれば良くて、それを人に強要するものでも無いので、この雑文もその程度にお読みいただければ幸甚です。
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五島列島は、潜伏キリシタンの集落群と、その歴史込みで、世界遺産に登録されました。
木造の打ち捨てられたような教会の建物だけでは、世界遺産とは認められないことが数年続いたそうです。
世界遺産に認められても、地元全体が潤うわけでもなく、ほとんどの地区を観光客は通過していくだけで、私たち以外は何の恩恵もないと、タクシーの運転手さんは話していました。
この文の中でも、隠れキリシタンと潜伏キリシタンという書き方をしていますが、隠れキリシタンは、仏教徒を装って、仏像や観音様を実はマリア像に見立てて信仰をしていた人たち。潜伏キリシタンは、キリスト教をずっと潜伏しつつ信仰していた人たちです。
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ガイドの方は、よく勉強されていて、知識もアップデートされていて、素晴らしいガイダンスを提供してくださいました。
この仕事に誇りをお持ちなのだなぁと観じることが多々ありました。
そうこうしているうちに、飛行機は福岡を飛び立ちました。
離陸の順番を待ちながら、窓から先の飛行機が空に向かって飛んでいくのを見ていると、頑張ってねという気持ちになります。
やっぱり飛行機が好きだし、雲が好きだし、空も好きです。
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大氣は意志を持って動いているし、雲も何かのメッセージを伝えようとしています。
光は本来、私たちの魂の本質であり、光を観ることは、そこで自分の魂が何に反応するかを観じることなのではないかと思うのです。
私たちが着く前の週末は、線状降水帯が停滞して、大変な豪雨だったそうです。ニュースを見ないので、そんなことも知りませんでした。
もし知っていたら、出かける前から要らぬ心配をしていたと思います。
知らぬが仏です。
世界遺産に認められた潜伏キリシタンの歴史は、悲劇であったかもしれないけれど、彼らがそれを選んだとも言えるような氣もします。死んでハライソに行った彼らは、イエスキリストに逢えたでしょうか。そこで永遠の命を得たでしょうか。
秀吉や家康は、なぜキリスト教を禁じたのでしょうか。
日本にこの教えが広まれば、やがて日本は外国に侵略されると予想したのではないでしょうか。他のアジアの国々のように。
一神教のあやうさを、秀吉も家康も直感的に観じたのではないでしょうか。
神が最高位の存在だとしたら、身分制度が崩壊します。
身分制度は、自由のない、上が下を搾取するだけの制度のように思われますが、本当にそれだけだったのでしょうか。
身分制度は、ある意味ではそれぞれの生活を守るためにあったのだと考えられはしないでしょうか。
飛行機の窓からは、刻々と変わりゆく光と雲と、眼下の日本列島が見下ろせます。
時々飛行機に乗って、この体験をすると、日常とは違う視点を持つことができます。
歴史の教科書で知っていただけの、キリシタン弾圧の現場に立ち、何かを観じたかと言えば、人間には誰にも生まれてきた意味がきっとあるのだと言うことです。
弾圧を受けて亡くなった方達には、彼らが背負った使命があったのでしょう。彼らを弾圧した側にも、引き受けたくなくてもせざるを得なかった立場があったのでしょう。
納得はできないけれど、理解はできます。歴史は、複合的で多次元の要素をふんだんに含みます。
先月の宗像大社に続き、九州方面の旅で、これまで知ろうとしなかった歴史の一端を垣間見ることが出来ました。
名もなき人たちが築いてきた歴史を、自分も名もなきひとりとして、次世代に繋ぐ使命があるのだと、そんなことを今回は觀じてきました。
富士山が見えてきました。
まもなく羽田に降下を開始します。
それからもうひとつ、東京の夜景を観て思ったことは、私は人間が創ったものに感動するのだということ。
ディズニーシーのソアリンに乗って、最後に東京の夜景を飛んで、ディズニーシーに降り立つシーンが、いちばん感動します。
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自然からは大いなる癒しとインスピレーションを受けますが、それを元に、住みやすい、より良い世界や、芸術を作り上げる人間の叡智を、本当に素晴らしいと思うのです。
まもなく着陸です。長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。