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「母子像」とジェンダーバイアス🤱

皆様、こんにちは!
杉並区議会議員の小林ゆみです。

東京では近ごろ気温が上がり、花粉もビュービュー飛んで(^_^;)すっかり春めいてきました。🌸
皆様のお住まいの地域においても、少しずつ春の訪れが感じられる頃かなと思います。
コロナなど心配な事もありますが、時間のある時にお散歩に出かけて陽の光を浴びるなど、明るい季節の訪れを楽しみたいですね。🌳🌷

さて、杉並区議会では、今月のはじめから予算特別委員会が開かれています。
杉並区長をトップとする区の執行機関(行政)から出された来年度(今でいうと、令和4年度)の杉並区予算案の内容を、議会(立法)がじっくり読み込み、予算案に対して賛成/反対を表明します。
小林ゆみは今回、予算案のほぼ全てのジャンル(財政状況、総務費、保健福祉費、教育費…etc.)で質問に立つことになったため、毎日質問作りや登板で、とてもバタバタしておりました。
故に、委員会において行った質問についてnoteに書こうと思っていましたが、今日まで書けておりません…。😢
本日から少しずつ綴っていこうと思いますので、またご覧いただけますと嬉しいです。✏️

本日は、ジェンダーバイアス(性別的な偏見)のお話をしようと思います。

過日の予算特別委員会において、他会派の複数の委員(いずれも女性)が杉並区が区役所本庁舎に木彫りの「母子像」を設置したことを問題視しました。

この母子像は、長年杉並区在住で昨年1月に逝去された彫刻家で、文化功労者である橋本堅太郎氏の作品のようです。

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「区役所の設置場所を通りかかると、嫌でも目に入る。ジェンダー平等を唱える杉並区が、『女は子育て』という固定観念を体現するような像を庁舎内に置くのはおかしい」ということが、問題視した委員による主張のようです。

これに対し、杉並区長はじめ区の執行部は、「杉並区にゆかりのある文化的功労者の、貴重で価値のある芸術作品を区が購入し、広く区民に親しんでもらうという意図で設置したもの。ジェンダーバイアスを助長するものと思っていない。そもそも芸術品について、一部の人の意見が反映されていないからといって批判をすることは、作者と作品に対するリスペクトに欠けるのではないか」という主旨の答弁をしました。

私は一議員として区政に対して是々非々の立場ではありますが、今回の件に関しては区長や部長の仰ることを聞いて、ウンウンと頷いてしまいました。

私は7年前の初当選以来、議員として、男女関係なく、そして一部だけを利するような政策提言に偏ることなく、杉並区民全体のためになるような質問を心がけてきました。
杉並区の財政健全化、教育の質向上が主な質問内容ですが、福祉やまちづくりなど、様々な分野でバランスを取りながら政策提言をしてきたつもりです。

しかし一昨年、子供を産んでから、女性にしかわからないこと、女性の身体にしか起きないことが身に染みてわかりました。
これまでもこれからも、男女関係なく杉並区民のために働くということに変わりはありませんが、生物として身体が女性であるため、女性特有の問題、子供の問題がよりリアルに感じられるようになり、その視点は政策提言に活かせるようになりました。

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ここで、問題になっている母子像を見てみると、まず抱く印象が、「出産、子育て、我が子への愛情」です。
先述の他会派の委員から「子育ては母がするものだというイメージが古臭い」と言われていましたが、女性が子供をお腹の中で育てて産む、(母乳が出ない・出づらい方は少なからずいらっしゃいますが、)母のお乳から母乳が出てそれを子供が飲むという構造は、太古の昔から変わらず、今後もきっと変わらないでしょう。

男性がミルクやりやオムツ替えをしてくれることは大変ありがたいですし、私自身、子育ては男女問わずすべきものと考えておりますが、どれだけ時代が進んでも、女性の身体は子育てに適するようにできています。

例えとして挙げることが正しいかわからないうえに、話が横道に逸れてしまいますが、現在ウクライナにおいて基本的に男性のみが戦闘に参加することになっていますが、世界中の男女同権論者(フェミニスト)はこれに対してダンマリです。
仮に同権を主張するのであれば、戦争に駆り出される時も同権ではないのでしょうか。

もう少し身近な例で言うと、杉並区役所本庁舎内の警備員の皆様も、全員男性です。
フェミニストの方々が、これについて問題視したことはありません。

私には、彼女たちの理屈がよくわかりません。

私個人の考えとしては、例えば職場や学校の入試などでの明らかな性別による差別などはあってはならないと思いますし、私がよく読む昭和の時代の漫画に出てくる、今ではギョッとするような女性に対するセクハラ、パワハラ、モラハラを見るにつけ恐ろしく感じますが(一方で、昭和の漫画においては、男性に対するパワハラや虐め、いわゆる飲みニケーション強要や、ブラック部活の描写も酷いです)。
そういった問題を良くないと感じるという意味では、私は自身を男女同権論者であると思います。

しかし、何度も言いますが、母親が子供をお腹の中で育てて産む、母乳が出てそれを飲んでもらう、という事実は未来永劫変わりません。
女性にしか分からない気持ちがありますし、同様に、男性にしか分からない気持ちがあるでしょう。
その生物学的な事実に従って、住民のためのサービスを自治体が用意する。
命を懸けて我が子を産んだ母親を思いやる。
子供を愛し、成長を慈しむ。
そのことに、一体何の問題があるのでしょうか。

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故に、今回の男女同権論者(?)からの「母子像批判」は、的外れかつ非論理的であると感じます。

お母さん食堂の件(※平成29年からファミリーマートで発売されていた、香取慎吾さん扮する慎吾ママがトレードマークの家庭料理をモチーフとしたお惣菜が、そのネーミングにより昨年、販売中止まで追い込まれたこと)でも同じことを思いましたが、「お母さんが子供に愛を持って接する」という事象は、単純に「愛に溢れた美しいこと」であると私は思っています。
それなのに、それを商品や作品に表明すると批判され、人々の目に触れないよう闇に葬られる…。
これには、表現の自由の侵害や、全体主義のような恐ろしさを感じます。

素朴な疑問ですが、フェミニストの女性の皆様は、旦那様がずっと専業主夫で家にいても全然OKなのでしょうか。

「いやいや、うちの夫に限ってはエリートで、バリバリ働いて稼いできてほしいわ!」
と思っている自称フェミニストの皆様がいるなら、それは既にご自身の意見が論理破綻しているのではないでしょうか。
少なくとも、私が知る著名なフェミニストの皆様方は、旦那様が一般的に高収入を得ているような職業に就いていることが多く、見ていてとてもモヤモヤしてしまいます。

長くなりましたが、今般の予算審議において感じたことのうちの一つについて綴りました。
論理破綻を感じるとモヤモヤしてしまうので、今回noteとして残すに至った次第です。

人間という生き物は、思考をすることや理性を身に付けることで生物的な本能などを超えられることもありますが、身体的な特徴(性別、身体の健康状態など)を全く度外視して議論を進められるほど「ロボット」的な存在ではありません。

政治や社会においても、「政治的な正しさ」、ポリティカル・コレクトネスも大切かもしれませんが、それ以上に、人間である私たちに必要かつ適切な政策を進めることが大切ですね。

予算審議の内容について、また色々とnoteに書かせていただきますね。📝

読んでいただき、ありがとうございました。🌷

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杉並区立 桃井原っぱ公園にて昨日、我が子と。


杉並区議会議員 小林ゆみ
令和4年3月14日

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