自己紹介その①自衛官時代〜独立まで
こんにちは〜。皆さんはじめまして。
文章を書くことが好きで自分の思ったことを好きな時に好きなだけ発信したいなと思いnoteをスタートすることにしました〜!
自己紹介
・1992年生まれ九州出身(方言めっちゃ出ます)
・2児のママ、バツ1
・趣味はカメラ、Netflix、セルフネイル
・しゃべり大好き、人懐っこい
・考えるより行動派
・人の役に立つことが好き
これまでの経歴
私の原点・自衛官時代
父と兄が自衛官だったこともあり高校卒業後、自衛隊に入隊。2018年に退職するまで7年半勤務していました。組織の95%は男性。ゴリゴリの男社会で、よく7年も働いたなと自分でもびっくりしています。
きっと高卒すぐだったから乗り越えられたことで、今はもう無理ですw
厳しい規律とハードな勤務内容で心が折れたこともありましたが、たくさんのことを学ぶことができました。社会人1年目が自衛隊で本当によかったです。
20歳で結婚・21歳で母に
社会人3年目の春。仕事も楽しくなってきて、これからキャリアアップのために頑張ろう。と思っていた矢先に妊娠。
妊娠が分かってから職場に報告。上司からは、めちゃくちゃ怒られました。当時私は妊婦は勤務できない部隊にいたからです。
「お前には期待してたのに。なんで今なんだ。」
そう言われたことが衝撃的でした。
「プライベートなことなのになぜそこまで言われないといけないの?」
20歳になったばかりの私はこんな解釈をしてしまいました。今思い返すと、自分の状況を全く理解していなかったなと反省しています。
そして、妊娠を機に結婚。21歳で母になりました。
退職と離婚
23歳の時に次女も産まれ、働きながら育児をする選択をしたのですが、当時はまだママ自衛官の働きやすい環境が整っておらず、
「組織には私の代わりはいくらでもいるけど、子供たちを守れるのは私だけ。」
と考え、26歳の時に自衛隊を退職。同じ時期に離婚したこともあり、実家に帰ることにしました。
新しい世界でチャレンジ
自衛隊退職後、実家の九州に戻り、初めて一般企業に勤めます。
入社したのはWEB制作会社。特にやりたいことがなかった私は求人票にある「服装自由・髪型・ネイル自由・ウォーターサーバー完備」この言葉だけで入社を決めました。(自衛官として縛られた生活をしてきた反動ですねw)
暇だからライターやります!
入社後、企業HPの運用担当としてテキストの修正や画像の差し替え作業などをメインで行っていました。
しかし、クライアントから作業依頼が来ないと仕事がないので暇を持て余していたある日、隣の部署の話している声が聞こえてきました。
話を聞いていると、「WEBマガジンのライターを探している」と言うのです。その時初めて、入社した会社がWEBマガジンを運営していることを知ったのですが、
「なんか面白そう。どうせ暇だし、文章書くのも好きだしカメラも持ってるからやってみよっかな!」
ただこれだけの理由で、「未経験だけどライターをしたいです!」と他の部署のリーダーに直談判しました。
「教わる立場」から「教える立場」へ
私の熱意が伝わったのか、部署異動をしてWEBマガジン編集部のライターとして働く日々。
・アポ取り
・取材(インタビュー、撮影)
・写真の編集
・記事の作成
・WEBへの掲載
・取材先とのやりとり
これ全部を1人でこなしていました!取材先は、飲食店・革靴専門店・道の駅などライススタイルに寄り添った内容が多かったです。
編集部に加わった当初はライターの仕事をしていたのですが、徐々に他のライターの記事チェックや取材に同行して「教わる立場」から「教える立場」に成長できたことが、とても楽しかったです。
夢の沖縄移住を決意
もともと海が大好きなので将来の夢に“海の見える家に住むこと”を掲げていた私。子供が小学生になるタイミングでの沖縄移住を検討していたのですが、新型コロナウイルスの感染が拡大。
1度は断念したものの、やっぱり諦めきれず2020年7月下旬に娘2人を連れて沖縄へ移住しました。
さらっと書いていますが、本当に悩んでいろんな人に相談して移住を決断しました。詳細についてはまた後日。
私に合った働き方って?
沖縄に移住しコロナも少し落ち着いた9月に、WEB広告のライターとして企業に入社。
しかし業務量の多さ、家庭との両立が難しいことから、わずか2ヶ月で退社することに…。退職後、次の仕事を探し始めたのですが
「また会社員として働くの?」
と悩んでいる自分がいました。この時すでに会社で働ける自信はなく、入社しても絶対すぐやめるだろう。と思っていました。そして、
「家庭と仕事を両立するためには与えられた環境で働くより、私が私に適した環境を作った方がいいのではないか。
自分の納得するように動いてダメだったら自己責任。リモートで仕事をする働き方が当たり前になりつつあるし、沖縄にいても首都圏と同じ仕事ができる。これが私に合った働き方かもしれない。」
と考え、複数の仕事を本業とするパワレルワーカーとして独立を決めました。
2020年11月ノープランで独立
意気揚々と独立宣言をした私ですが、収入の見込みはゼロ。本来であればきちんと事業計画を立てて独立をするべきですが、私はノープラン独立をしてしまいました…。
しかし!考えていても仕方ないので、クリエイターが仕事を見つけるサイトに登録し自分にできそうな求人があれば片っ端から応募しました。その甲斐があり、独立して1ヶ月目からなんとか売上を立てることができました。
先ほど「沖縄にいても首都圏と同じ仕事ができる。」とお話ししましたが、現在私が一緒に仕事をしているのは全て東京の企業です。
沖縄は所得が低いと言われていますが、今の時代を逆手に取ってリモートで仕事を見つけて首都圏価格で請け負うことも可能です。これについても今後少しづつお話ししていこうと思っています!
Yumi
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