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神頼みとかお礼参りとか

流産手術から4日が経過した。
正直、まだ気分の浮き沈みはある。
術後の出血が思ったように進まないこともあるし、ホルモンバランスが急激に変化していることもあって、フラフラである。

愛犬との散歩は、暑くてすぐ心拍数上がるし、しゃがめば立ち眩みが起きるし、帰宅したら全身痛くて疲れている。
でも愛犬は楽しいみたいだから、わたしも嬉しい。



なにか気分転換がしたくて、夕方の散歩のあと、愛犬にはお留守番をしてもらい、夫と夜コメダへ。
車で向かう途中、神頼みとかするかって話になった。

実は2回目の妊娠がわかったとき、愛犬と散歩で寄った神社で、赤ちゃん無事に生まれてきますようにってお願いしていた。
今日またその神社の前を通ったので、愛犬といっしょに流産したことを報告して、また赤ちゃん戻ってきますようにってお願いした。

そんな話を夫としていた。

神様にお願いするとか、祈れば叶えてもらえるとか、信じれば良いことが起こる、みたいなことはわたしは考えないんだけど。
やっぱり努力ではどうにもならないような、運命みたいなものに直面したとき…そのときは都合よく祈ってしまう。
一方で、流産したことで、神様に見離されたとか、ちゃんと日ごろから信仰していないから叶えてもらえなかったとか、そうゆうふうには解釈していない。
もし無事に出産できていれば、叶えてもらってありがとうと、お礼参りをしただろうし、かといって叶わなかったから神様を恨むこともない。

何が言いたいかわからなくなってきたけど、とにかくわたしは都合が良くて、それ以上でもそれ以下でもなく、そのとき祈りたいと思えばお願いする、その程度。都合の良い適当な奴だと思われたらそれまでだが、わたしはそうゆう人間。

ただ、やっぱりどん底や不安から自分を浮上させる方法として、それが信仰の人もいると思っている。
要は、信仰でもなんでもいいから、どん底から自分を浮上させる方法を持っていることが大事。その方法は多ければ多いほど良い。信じることで救われるのであれば、それはその人に合っている。

偉そうに語るわたしには、自分を浮上させる方法がまだ見つかっていない。恥ずかしながら、まだぜんぜんどん底にいるし、このままいつまでも底にいられそうですらある。

わたしは、浮上したいと思っている。愛犬のためにも、夫のためにも。時間がかかっても必ず浮上したいし、これから先の人生でまたどん底に突き落とされても、何度でも浮上してこられるように、今はその方法をがむしゃらに模索している。

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