できる自由よりできない不自由のほうが良かった
流産手術をして5日経った。
処方された薬も全部飲みきった。お腹が痛くなると思うから、とロキソニンも処方されたけど、けっきょく2回飲んだきり、そんなにお腹は痛くない。
昼間は久しぶりに1人で買い物へ。
肉も魚も野菜も、惣菜やすれ違う人の香水のにおいも、まったく気にならなくなった。八百屋に大きなゴーヤが158円で売っていて、
「あ、食べたいな。ゴーヤちゃんぷる」
と思って夫に電話をした。お店に入ること自体久しぶりだったし、食材を見て、「食べたいな」と思う感覚が久しぶりだった。
ほかに必要なものを揃えて帰宅した。
お寿司が食べられるようになった
コーヒーも紅茶も飲めるようになった
お酒が飲めるようになった
なんでも美味しく食べられるようになった
においが気にならなくなった
愛犬と散歩に行けるようになった
ネイルができるようになった
遊びの予定を入れられるようになった
夜ふかしできるようになった
服の締付けを気にしなくて良くなった
体調が良くなった
こんなに早く自由にならくても良かったのに。まだぜんぜん、我慢できたのに。
でも、ほんとはそんなことない。
久しぶりにゴーヤちゃんぷるを食べたいと思ったのは、お腹の赤ちゃんのためじゃなくてわたし自身のためだ。
体は前を向いているということだろうか。自分に必要な栄養や自由を、摂取することを欲している。
不自由な時期(妊娠)が続けば良いと思っていたけど、現実は、自由にできるようになったことを、次々と消化している。
お酒以外は全部やった。
たぶん、体は前を向いている。