プチテラス東六月 足立区には有名な俳句の寺「炎天寺」もあった 11 yumiパンダ 2024年8月27日 00:36 自費ヘルパーの仕事に通う道、気づかず通り過ぎていた。この夏、足立区のプチテラス探索を始めている。百日紅(さるすべり)好きになったきっかけの場所を見に行ったら「プチテラス」だった。「プチテラス」のアンテナを張ったら、仕事の通り道、「ここプチテラスだった!」西側入口夕方仕事で北へ向かう。南から接近するとこの道筋は、大きな木がある。この木でも小さい方。南側の句碑炎天寺は、ここから相当遠い。ちょっと不思議。「六月」という地名だが東西に遠い。「六月」といえば「炎天寺」なんだ。足立区「炎天寺」 炎天寺 公式ホームページ 炎天寺は幡勝山成就院炎天寺といい、 平安中期の武人・八幡太郎義家や江戸時代後期の俳人・小林一茶ゆかりの寺です。 俳句寺とい www.entenji.com 真言宗豊山派の寺院で、幡勝山成就院炎天寺と号します。八幡太郎こと源義家が奥州討伐でこの地を通った頃が旧暦六月の炎暑の最中であったことから、村名を六月村、寺を炎天寺と名付けたということです。本尊は阿弥陀如来坐像で、両脇に観音菩薩・勢至菩薩を配します。他に薬師如来像と不動明王像が安置されています。文化13年(1816)頃に発表された一茶の作品集『七番日記』の中にある「蝉なくや六月村の炎天寺」「やせ蛙負けるな一茶是にあり」の句碑が境内に建てられ、俳句で有名な寺です。毎年一茶忌(11月19日)に近い11月23日に奉納蛙相撲が名物の「一茶まつり」が開催されています。6月には著名俳人を招いて青葉まつり記念俳句大会を開いています。隣接する八幡神社は六月村の鎮守で、江戸時代には炎天寺が別当を勤めていました。あだち観光ネットあだち観光ネットあだち観光ネット 炎天寺 - Wikipedia ja.wikipedia.org 31 身近な一茶の句 江戸時代の俳人、小林一茶は、1763年に信濃町柏原に生まれました。北信地域にお住まいの方は、一茶を身近な存在として捉えて www.weekly-nagano.com 雀の子 そこのけそこのけ 御馬が通る我と来て 遊べや親の ない雀痩蛙 まけるな一茶 是にあり名月を とつてくれろと 泣く子哉雪とけて 村一ぱいの 子ども哉やれ打つな 蠅が手をすり 足をする ダウンロード copy #足立区 #六月 #一茶 #炎天寺 #プチテラス 11 この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか? サポート