母子手帳
72年前の母子手帳がある。私の。
次女の私が生まれた時に、父は「また女か」と言ったと母が言っていた。
今の時代にそれを言ったら一発退場です。
今の時代は女の子を喜ぶ人も多いのかもしれない。介護をしてくれる?
それも、その子次第だが。
母子手帳だけが私の記録?
50年前に実家の建て替えがあり、荷物を整理した時に見つかり、私が今も持っている。長女の姉の物は幼児の時の絵から始まり沢山出てきた(結局捨てた)が、次女の私の物は無かった。母は、ちょっとすまなそうにしていた。しまった、という感じ。そうだよね。仕事が忙しくても長子のことは気持ちが向くらしい。子供のいない私はその辺は分からないが。
交付
12月生まれだが、交付は7月。※私の前の子を流産している。安定して申請したのかもしれない。
私の名前、両親から一文字ずつ。暮で忙しかったからと漏れ聞いた。
姉の名前は神主さんに付けてもらった凝った名前である。別に良いけど。
出生地は東銀座だ。自宅ではなく、産院で生まれた。
指導記録は一行だけ
予定日より、1ヶ月早産だ。2737グラム。小さめ。
産後の母の健康状態 記録なし
育児の心得
こどもの記事 記入なし
学校に行くまでの幼児の健康状態 記入なし
配給物資は、ほぼ終わりかけの時代かも。でも貰ってる。
乳児用砂糖券交付 とある。赤ちゃんに砂糖が要る?と思ったが、人工栄養の場合牛乳に砂糖を加えるという記述が10頁にあった。
身長体重グラフ 書き入れなし
取り扱いの注意
8か月で指導を受ける
2日前に申し込み明後日に保健所で判定を受ける。
1000円って、高い! いや、10円か。「.」がある。
虫歯予防の指導
私は、甘いもの食べ放題で、虫歯だらけで育った。母は忙しかった。
母子手帳について
学校に行くまで、何事もなく育ったのだと思う。
八丁堀界隈では、母親が商売にかり出されている子も多かった。そうでなくても母親が子供に係わる風潮は無かったように思う。授業参観に来る親は少なかった。毎回来る親は子供たちにも特別視されていた。あの親変なんて。
路地裏で子供だけで遊び、そろばん塾に通った。
他の子供たちの「母子手帳」は、もう少し記録があったのかなあ。
※九星術を本でかじっていた時期がありました。若いころ算命学とか流行していました。専門家に鑑定して頂いたような気もします。私の生まれ星(年・月・日のそれぞれに九星があります)が、親の星との組み合わせで観ると私の前に子供がいないとあり得ない数字じゃないかと。母に聞くと流産した子がいました。
いつだったか、占いに左右されて生きるのはやめようと、占い関係の本を処分してしまいました。方角、姓名判断、四柱推命、天中殺等々。
手相と姓名判断は、話題の種になるので、使っています。
方角と年回りを考えたら、夫と私は引越しできなくなります。共通の良い方角はほぼありません。結婚する時に、姑が占いに見てもらって二人で「方違え」をしました。1年後に引っ越すときに姑が選んだ日が夫には最良でしたが私に最悪だったのです。其の日から夫が調子悪くなりました。
なんで私の具合が悪くならないの?
わたしの一番困ることは、具合悪い夫の面倒をみることなのです。
このことについては、また書きたいと思います。
具合悪い人に申し訳ないのですが、同居する人は大変なんです。
自分の病気なら自分でどうにか対処します。
元気なことを揶揄され、労われと言われると・・
あら、1400字超えました。ではまた。