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京成線各駅停車駅②京成中山駅には大きな大きな寺院があった!

まずは小さな寺社を巡って、鬼越駅の東方向へ


日蓮宗 常開寺

普通の(ごめんなさい)お寺だった
道しるべがあった。高石神社へ。

坂を下って高石神社へ

高石神社

裏側から入った

正面に回って

本社の創建年代は不詳であるが、「中山法華経寺文書」永享三年(1431年)十二月二十四日の条と「折伏正義抄」永享十年(1438年)の条に当社の記載あり、その創建はこれ以前である事は分明である。」社伝より

江戸名所図会にも描かれている。

木下街道から上がるのが道筋だった。
坂を下ってきた神社はまだ高台だった。

写真の手前が 木下街道

東隣の駅の方が近くなっていたので、一つ東の「京成中山」駅へ

線路沿いの道は駅まで続かずあっちこっちと歩いた


京成中山駅に着くと
北へ一直線に参道がある。長い。
200m進んで、一つ目の門だ。

大本山法華経寺 黒門

案内所があった

もっと進む

また、200m進んでようやく

山門 赤門(仁王門)

ここからが境内か。広い。

先がまた遠い

左側に 

日蓮宗大荒行堂

【日蓮宗大荒行堂について】

 當山では毎年11月1日から翌年2月10日までの100日間、日蓮宗大荒行堂が開設されます。この修行には全国から約100名の僧侶が挑戦します。全ての日蓮宗の僧侶に課せられる修行ではなく、秘法を身につけたいと自らが志して挑むものです。この修行を終えた僧侶だけが、日蓮宗の御祈祷を行うことができます。
 荒行堂では、毎朝2時に起床、寒水に身を清める水行を1日7回行い、お堂の中でひたすらお経の読誦と写経を続けます。
 麻の清浄衣(死に装束)を着用し、足袋をはくことは許されず、常に素足で修行します。食事は朝夕2度の白がゆ、家族や友人と連絡を取ることも許されず、もちろん、テレビや新聞から情報を得ることもできません。
 寒さと飢えと睡魔に耐えながら、外界から完全に遮断された環境で、ひたすら修行を続けることによって、力を習得するのです。
 12月6日からは、一般の方も荒行僧から御祈祷を受けることができるようになります。詳しくは荒行堂事務所までお問い合わせ下さい。

HP

右側に時代がかった小物屋さん

正中山法華経寺

大本山だった。それにしても広い。地図を見るともっと奥へ15分歩けは中山競馬場に出られる。

入母屋造りの屋根

祖師堂

五重塔

奥に鐘つき堂

誰もいないのに、正午だからか、鐘が鳴り響く。

鐘つき堂

左奥を見る

もっと奥に行くべきだった。帰ってきてから、正面奥に鬼子母神堂があったと分かった。

鬼子母神堂

文永元年(1264)11月11日、大聖人は房州小松原において法難に遭われ、眉間に疵を負う危急の折、鬼子母神さまが出現され、大聖人の一命を救われました。中山に避難された大聖人は鬼子母神さまの霊験を深く感じ、その尊像を御親刻開眼されました。

 爾来、「中山の鬼子母神」は法華経行者擁護の守護神として、さらに天下泰平、万民快楽、所願成就、子育ての神様として全国のご信者の皆様によって篤く信仰されています。

HP

鬼子母神堂が大事だったのに、帰ってきてしまいました。
予習なしに偶然お参りしたのです。帰ってきてそんなにスゴイお寺に行ったんだって気づきました。

日蓮宗と浄土真宗は互いにそれでは救われないと言いあってケンカしていたイメージがあります。浄土真宗に縁があり、日蓮宗を敬遠していました。

まだまだまだまだ、知らないことばかり。


少し戻って 案内がある

市川市東山魁夷記念館

少し遠いようなので行けませんでした、
じつは、美術についてそれほど深い興味はなく、、時間もなく、、

帰り道の左手参道の東側に

達筆 ではない 
「そんな事してると明日も空振りだ」

「そんな事してると明日も空振りだ」

やらなければいけないことは掃除だ
という卑近なでもとても大事なことを思った。
たぶん、この掲示はもっと高尚なことを言っているのかもしれない。
掃除をして悟りを開いたお弟子さんがいる。
悟りとは程遠い私だが、違う解釈かもしれないが、
掃除から逃げないで、明日は頑張ろう・・・と思う・・・


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