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七福神のゴム印集まりました。改めて、仲町氷川神社と慈眼寺に行きました。

どう組み立てるか、思案中です。

1月5日(日)ゴム印押し忘れの仲町氷川神社を再度お参りしました。


仲町氷川神社


三峯神社を勧請していました。

稲荷神社

右の狛犬 正面から

左の狛犬 正面から

保存樹林

数は多くないが

仲町のすぐ北側、千住1丁目のお寺に寄っていきます。

不動院を載せた時「浄願寺」は写真2枚だったので、少し深掘りします。

浄願寺

大きなお寺「不動院」の左側にあります。

向かう通路に、唐突に立っている

ここは千住1丁目。すぐ南側が発見された仲町です。

○『自然真営道』発見の地(西) 足立区千住仲町21-1
 司馬遼太郎が「日本が世界に誇りうる唯一の社会思想家」と評した江戸時代の医師・安藤昌益の著作『自然真営道』が、千住仲町の橋本家から発見され、その説明板が掲示されています。

「千住宿「自然真営道」説明板横にあります↑」
(説明板)

「『自然真営道』発見の地
 作家・司馬遼太郎さんが「日本における唯一の独創的な社会思想家」として絶賛した江戸時代の医者、安藤昌益が書き残した『自然真営道』の原稿本百一巻を、この地(本褐示板の北側一画)にあった穀物問屋薬屋橋本家が所有していました。橋本家の明治期の当主は橋本律蔵*、橋本知宣で、中組の戸長、千住町長を務めていました。

 稿本『自然真営道』が明治中頃に第一高等学校校長、初代の京都帝国大学文科大学長になる狩野亨吉によって見出され、世に紹介されて以来、今日では国内はもとより中国・韓国をはじめ欧米諸国でも研究の輪が広がっています。そうした意味で、千住の地は安藤昌益研究の原点と言えます。

この山門に向かう道の右側に、安藤昌益の案内板が立っていました。

千住宿は、財力だけでなく知的レベルも高かったのだろう。

慈眼寺

山門「千龍山」

唯一戦災で焼けなかった、山門


日限地蔵尊

日限地蔵 (ひぎりじぞう)は日本各地に存在する、「日を限って祈願すると願いが叶えられる」といわれる地蔵菩薩日切地蔵と表記する例もある。

安土桃山時代蘆名盛氏へのある夜の夢のお告げで黒川城の堀から見つかったとされる3体の地蔵菩薩像を日限地蔵として祀った西光寺(会津若松市)をきっかけとし松秀寺(東京都港区)から全国へひろがった[1]

Wikipedia
日限地蔵と書いてある

地蔵尊堂

永代供養堂?

「庚申」「寛文七」と読める

古い庚申塚が多くあるようだ

写真に無いが、藤棚が二か所ある。

サザンカと金柑

本堂

千住消防組

昭和7年10月1日、足立区の誕生とともにこの地にあった千住町消防組屯所は、足立消防署となり、近代消防が発足した。

看板より

千住消防記念碑

猫の足あと より

この南側の大踏切通りに面して長く千住消防署があったが、現在は西隣の千住中居町へ移転している。

豊川稲荷祠

猫の足あと より

薬師堂

猫の足あと より

保存樹木 イチョウ

1100字です。
ではまた。

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