私がマッサージが上手い訳
御朱印の記事を書こうと、「納経帳」を探していたら、
父親のことを社員や家族が偲んで作った冊子が出てきました。
42頁の厚さ5ミリ A5版
平成元年12月に亡くなって、1年後にできている。
姉は「父とマッサージ」を載せている。⇧ ⇩
姉も私ものんびりとした内容です
姉は父をマッサージしたこと、私はせっかちな性格だった父のことを書いている。母も、私たち姉妹も、父が死んだときに普通には悲しかったが、「良い死に方をして良かった」という気持ちが強かった。母もたぶんほとんど泣いていなかった。バブル後期で会社は順調で、業界につくして叙勲をして、長患いをせず(手術2回はしたが)、食べて歩けて話せて。検査入院をした翌日に病院でポックリ亡くなった。70歳。亡くなる数日前に髙島屋へ行き自分で快気祝いを手配していた。大好きだった福砂屋のカステラ。訃報の直後に快気祝いが届いて驚かれた。
さすがにもうすぐ介護が必要になる気配があり、私の家のそばのマンションに越してくる予定だった。夫婦はいろいろなことがあり、母は股関節を病んでいることもあり、私が一番父と気が合ったから。
父は仕事や業界につくし、子供の成績や進路や結婚等に関して干渉したこともなかった。母もである。と言うかほっておかれたのか。子供はほっておかれる方が良い。忙しいから自分でやってくれと言うのはありがたい状況である。お金の援助は黙ってしてくれた。これは母がしてくれたのかも。
社員は、みんな「仕事には厳しかったが良くしてくれた」と書いてくれている。
良い人だった。夫としては分からないが。
自彊術教室で他彊術を習った
30台40台の時に10年位。教室で、二人で組む療法を習った。
自己流でなく、基本を学べた。
我ながら人より上手いのではないかと思った。父親のおかげだった!
正しい自彊術を習得し「療法」を習うために教室に通った。
療法から体操ができている。組む人によっては下手な人がいる。
相手の気持ち良いだろうというポイントが分からないのだ。
整体院で
施術者の上手下手が分かってしまうのは困ったことだ。
あまり下手だと、入れ替わってやってあげたくなる。
2か月ほど前、お尻のつぼを押して自慢する下手な施術者に出会った時に、父親を思い出した。父の大好きなツボだった。50年前から知っています!
この図より、ちょっと上が父のツボだった。私のツボでもある。