11歳年下の同級生たち 逝った友を偲んで
今日、7人で同級生の墓所に行った。40年前に和裁学校へ3年通った仲間。
みんな61歳 私72歳
亡くなる前の日の写真
亡くなった翌々日に、えっちゃんと交流を続けていたNさんから連絡を受けた。3月下旬に、亡くなる前の日の車いすで微笑むえっちゃんの写真があった。
亡くなる前々日から一泊でメトロポリタンホテルに、えっちゃんとNさんとTさんの3人で宿泊し、翌日自宅で亡くなった。葬儀は家族葬ですると。
今日、詳しく話を聞くことが出来た。
余命6ヶ月
亡くなった「えっちゃん」は80歳台後半の父親と二人暮らしだった。
Nさん:癌が転移し、余命6ヶ月と分かってからこの墓苑を自分で探した。
だいぶ前に亡くなっていた母親の墓じまいをして、ここに移し、自分と父親が一緒に入れるように手続した。
Nさんは受診に同行しえっちゃんを支えていた。
すい臓がんの手術を受けた某大学病院。手術後も外科医師が抗がん剤治療を継続していた。10月頃に転移を告げられセカンドオピニオン提案したらどうぞと。築地癌センターに主治医を変更。体調波あり、入院あり、
2月に退院数日後に、父親と金沢へ日帰りで行き、親類と会ってきた。
旅行に行きたかったが体調や入院で伸び伸びになっていた。訪問診療の医師に確認を得て3月下旬1泊で、NさんTさんと3人でホテルへ一泊旅行。好きなメニューで食事し、湯船で足浴できた。
足から水が滴っている状態でパッドをあてて靴下を履く状態だった。
帰宅後、痛みが出て血圧低下し、訪問診療受け、翌朝亡くなった。
いつも笑顔だったが
結婚後、妊娠をきっかけに膠原病を発症。治療で子供はあきらめた。
離婚。
友人としては、夫や夫の親に対して思う所はあった。
夫の商売を一生懸命手伝っていた。私たちもできるだけ応援していたのに。
膠原病治療。ステロイド剤による後遺症もあった。
和裁はもとより、洋裁も得意。細かい丁寧な所が和裁学校時代からの特徴。
着物地で小物を作っていた。
亡くなって
Nさんは、エンゼルケアの場面に丁度行って、看護師が
地味な服を着せようとしていたので、可愛い着物を着せることが出来た。
えっちゃんが縫った着物だと思う。
お父さんの負担になるので
Nさん:その後の葬儀や自宅での焼香も遠慮した。
納骨された墓所へ、今日、友人たちとお参りした。
クラス会
その後会食。
久しぶりのクラス会になったが、えっちゃん見ていてくれたかな。
昔の写真をみんなで見る。いつも笑顔のえっちゃん。
在宅で様子をみる時
大学病院にかかり続けるより
癌センターの方が良かったとNさん。抗がん剤コントロールを外科医がしていたことは変だったらしい。
※ 訪問看護・訪問診療・緩和ケア病院手配を進めるのも慣れているのかもしれません。
Nさん:緩和ケアの病院へは、亡くなった日の翌々日に同行して手続きに行く予定だった。亡くなる前日に痛みが出て、訪問診療の医師が痛み止めを処方し楽になっていた。翌朝、お父さんが気づくと、亡くなっていた。訪問看護師さんがすぐに来てくれ、その後医師も来てくれた。
余命宣告
※ 余裕のある余命宣告があれば、先日癌で亡くなった中学校の同級生ともっと良い別れが出来たかもしれない。
※ まだ元気なうちの余裕のある期間での余命宣告が大切だ。入院していて悪化してあと2週間持つか、というのは癌の余命宣告としては最悪だ。
※ 6ヶ月を受け止め、体調の波のあるなか、樹木葬を探し手配し、やりたいことをした。えっちゃん頑張ったね。Nさんがいて本当に良かった。
※ ちょっと疲れていて、まとまらない書き方になりました。