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ヘルパーさん達との生活

夫が倒れてから私は自分の生活のことも考えなければならなかった。

私はほぼ全ての動作に介助が必要。
手も手先が少し動かせるが、腕を上げることができないので、髪をとかすことも出来ない。

親も高齢だし、持病があったりで頼ることはできない。
夫が倒れてから、義母や父が泊ったりもしてくれていたが、ずっと頼るわけにもいかない。

以前から同じ病気仲間で一人暮らしを実現している友人がいたので、介護を受けながら一人で暮らすことが可能なのは知っていた。

父はよく知らないので、私は施設に入った方が良いと言っていたが、私の中でその選択肢はなかった。
元々自分で自由に決めて動くことが好きな私に、管理された生活など到底無理だと思っていたし、夫と暮らした家を手放すことなど考えられなかった。

というわけで、同じ場所でヘルパーさん達にサポートしてもらいながら生活することを決意した。

独り暮らしを実現するためには多くの介護時間数が必要になる。
障害者総合支援法において介護時間数は、役所の担当者が利用者の状態・状況や各自治体のルールなどに基づいて決定される。
ここが私たち利用者にとっての第一関門となる。

こちらが必要とする時間数をすぐに認めてくれる自治体なら良いが、財政状況が良くなかったり、前例がない自治体だと難しい。
私の住む地域もこれに該当するので、安心して一人暮らしを送るために必要な時間数をなかなか認めてくれなかった。

私はこういう状況でどんなことができないからこれだけの時間数が必要なのだと何度も訴えた。
ある地域では、私よりも軽度な症状の方が私が求める時間数よりも遥かに多い時間数を認められていた。

地域によって格差があるのは全くおかしな問題だと思う。
人はみな平等だとか言うけれど、この地点で平等でなくなっている。

役所との話し合いを重ねる度に、私たち障害者は社会の負担でしか思われてないのだろうなと感じた。
私の時間数を増やすと他の人の時間数を減らさなければならないとか、私に罪悪感を抱かせるようなことも言われた。
私はただ普通に安心して暮らしたいだけなのに・・・。
夫を失ったばかりの状況で、こんな事を言われて本当に辛かった。

私だって夫がいた生活の方が良いに決まってるじゃん。
でも一人で生きていくしかないからお願いしているのに。

役所との話し合いは半年ほど続いた。
途中でらちが明かなくなり、知り合いの市会議員さんに相談したところ、役所の態度がコロッと変わり、時間数も最初よりは大分多く認めてくれた。

議員さんがミーティングに入るようになってから、役所からの参加人数が急に増え、ミーティングに来る時間もめちゃくちゃ早くなった。

私と相談員さんだけの時はギリギリだったり、遅刻してくることもあったのに。

人によって態度をここまで変えるなんて、この人たちに平等という言葉はないのかと思った。

色々話し合いには苦労したが、最終的にはなんとか一人暮らしができるくらいの時間数をもらえたので、重度訪問介護というサービスを提供してくれる事業所に連絡し、ヘルパーさん達を派遣してもらうことになった。

重度訪問介護を提供してくれる事業者を見つけるのも利用者にとっては難関。
地域にもよるが、私の暮らす地域では、重度訪問介護利用者が少ないらしく(多分時間数をなかなかもらえないからだと思うが)、事業所も少ない。
私も役所と話し合いをしている時から事業者探しも行っていた。
幸い、少し離れた地域の事業所が受け入れてくれていて、事前に話をしていたので、連絡をしてからわりとすぐにサービスを提供してくれた。

これでようやく私も、父親による介護から解放され、自立した生活を送れるようになった。
最初はよく知らないヘルパーさん達と長時間共に過ごすことは慣れずに疲れたが、気の合うヘルパーさん達と楽しく話しながら過ごす日々が快適になっていった。

重度の障害者でも地域で1人で暮らすことを諦めないでほしいと思うし、それが実現できる環境が地域に関わらず整ってくれることを願う。

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