「奇跡の海」と原発ー突如浮上した中間貯蔵施設計画ー
元旦に発生した石川・能登半島沖地震。志賀原発は運転停止中だったので、原発事故を起こすことはなかったが、次々と問題が明らかになっている。
仮に事故が発生した際、原子力災害対策指針に基づき避難をすることになるが、実際はそれどころではなかったと。〝原発災害〟は免れたものの、改めて〝安全神話〟は虚構だといわざるを得ない。政府は、それでも原発を推進するのか?という問いを多くの方がお持ちではないだろうか。
遠く離れた山口・上関でも、この〝スイシン〟をめぐる議論が突如再燃。
今、「奇跡の海」で何が起きているのか。
「奇跡の海」ー上関で〝分断〟を生んだ原発
山口県の南東部に位置する上関町。人口2,269(町HP)規模で、風光明媚な町。
歴史を遡ると、海上交通の要衝として栄えていた記録もあり、さまざまな人・文化の交差点だったと。
東京からは、新幹線徳山駅で下車。さらに、車で約1時間半ほどの距離だ。
町から約3.5キロ沖には祝島、別名〝ハートの島〟。
ハートの形をしているゆえであるが、同地周辺は“奇跡の海”でもある。
それは、新鮮な魚が取れるという一般的なことではない。
動物の進化の歴史を辿る鍵とされ、絶滅が危惧されているナメクジウオ。
同様に、巻貝の進化を辿る上で重要なヤシマイシン近似種。
さらには、日本で見られるクジラ目の中で一番小さいスナメリ。
国の天然記念物で国際自然保護連合絶滅危惧種の鳥カムリウミスズメ。
など、世界にも類を見ない貴重な海洋生態系が維持されている。
しかし、今に至るまで守られているのは、1982年浮上した原発立地計画を経てということを忘れてはならない。
上関では、2011年の東日本大震災福島第一原発事故後まで、中国電力による原発建設計画が進められてきたが、同時に〝スイシン〟と〝ハンタイ〟という住民の分断をも生んできた。(現地では、このように表現されるとのこと)
現地に何度も赴き、状況を具にまとめられた山秋真氏の著書『原発をつくらせない人びとー祝島から未来へ』(岩波書店、2012年)によれば、親戚付き合いも冠婚葬祭も、お祭りも…あらゆる日常の人付き合いが、〝原発〟をめぐる議論で分断されてしまったことが鮮明に記されている。
住民の分断、事業者と町(行政)などあらゆる軸・構造の中で、〝ハンタイ〟派は、一貫して、〝奇跡の海〟を守り、将来世代が安心して暮らせることを願っていたという純粋な想いであっただろう。
事業者の作業を止めるため、海上(船)で抗議をしたり、またお年を召した方も〝デモ〟に加わり、さらには役所や関係各所にまで足を運ぶなど、29年にもわたる歩みは1F事故を契機に終焉したと誰しもが思っていた。
しかし、昨夏8月に中国電力が原発建設のために取得していた土地に「使用済燃料中間貯蔵施設」(以後、中間貯蔵施設)を設置する計画が突如浮上した。
「原発が無理なら、中間貯蔵施設でいいのか」
「また町を分断せようというのか」
この声を事業者と町はどう受け止めているのだろうか。
初めは拒まれた国会議員の視察
今回は、上関の自然を守る会共同代表、高島美登里さんをはじめとした地域の方からのお声がけで実現した視察。
高島さんは、上関の自然を生かしたまちづくりのため様々に尽力されている。その一つの、「上関ネイチャープロジェクト」、同HPには、「上関の自然を100年後の子どもたちに」と。
〝奇跡の海〟を眺めながら昨秋には、上関海峡ゆうやけマラソン大会が開催された。〝オール上関〟で上関を将来へ守っていくことの重要性を多くの方が感じられたのではないだろうか。
ここから視察の様子を紹介する。
1月18日早朝、道の駅上関海峡に集合。
山崎誠(衆・立民)、大島九州男(参・れいわ)、そして上関も含んだ選挙区で活動される平岡秀夫元法務大臣の3名に加え、地元県議会議員・町議らと超党派での視察となった。
マスコミ各社も参加。記者の方に伺うと、地元での関心度も少しづつ高まりつつあると。以下ニュース映像もご参照されたい。
午前中は、中間貯蔵施設の建設計画が浮上した中国電力の敷地へ向かう。
前述のマラソンコースとしても使用された道からは、広大な海と煌々とした太陽のコントラストが非常に美しかった。
今回の計画では、上関町の長島エリア、長島の南端にある海岸”田ノ浦”地区に隣接する中電社有地に建築しようとしている。元々、田ノ浦は原発予定地で、中国電力が土地を買収していたが、〝ハンタイ〟派の住民の方も共同で土地を押さえ、計画が進まないよう活動されていた。〝共有地〟を広げ、監視小屋も設置していたと。
道を進むと、道中10枚前後だろうか、中国電力が設置した看板がある。看板中、色が薄いところが中電の土地ではないところ。ここを避けて原発建設計画を進めていたというが、そもそもボーリング調査などを開始した時点で自然破壊につながると言える。
さて、ここで驚いたのは、中電側は敷地内視察を当初断ってきたということ。
国会議員であろうともなぜなのか?
「公開質問状を出してその理由を示されたい」と高島さんが言ってようやく立ち入ることができた。
しかし、立ち入れるのは、国会議員のみ。すなわち、私を含めた数十名はゲート前で立ち尽くすことに。これに対し、現職議員らが〝粘った〟ことで、平岡前大臣は入れた。理由は、「座席が空いているから(※敷地内は車で移動)」と担当者。確かに原発を含めた関連施設がまだ設置されてはいないものの、1Fのような厳しいセキュリティチェックは実施されず…なぜ入れる人とそうでない人が分けられたのか。また、当初は国会議員ですら拒まれたのか。
読者の皆様のご感想をお聞きしたい。
敷地内視察は約1時間。その間、筆者を含めた視察団は、記者さんや有識者と意見交換をした。
地質学の先生からは、「活断層とは今は断定できないもの、平地がほとんどなく地滑りが起きる可能性があるところに、施設を建設すべきでない。軟弱であることは明らかだ」と指摘。
植生・自然生態系の先生からは、「(前述した)希少生物の生態系を破壊することはもちろん、中間貯蔵施設建築に係る土砂搬出入だけでなく、使用済み核燃料の輸送や貯蔵時に使用する金属キャスクを運び入れる大型タンカー用の係留スペースの建築・土地埋め立ても予想される。ボーリング調査着手の段階で自然破壊につながる」と警鐘を促された。
様々な知見をご教示いただき約1時間、議員らが帰ってきた。
山崎議員は、「基本的には、現場を回っただけ。敷地内の事務所(プレハブ)で説明を受けただけ。まだ、建築規模などの計画は見えない。樹木などもそのまま」と。
だが樹林の伐採が24日(水)に実施され、早くも自然破壊が行われてしまった。
このまま計画が進んでしまうのか…。
海上から予定地を見る
車に再び乗車、四代漁港へ移動。
ここからは船に乗船し、海上から建設予定地へ。
寒空の中、雨も心配されたが、水飛沫の中無事到着した。
現地に到着すると、まだ何もない小高い山。
しかし、ここに中間貯蔵施設建築となると、風貌は一変。
仮に放射性物質漏れなどが起きたら周辺海域・地域へも汚染は広がる。
〝ハートの島〟祝島にもだ。
公開されていないだけかもしれないが、〝青写真〟すら見えない計画で、住民の思いを再び分断させるどころか、処理できない核のゴミを押し付けるとしか言いようがない。
ボーリング調査は10箇所以上で実施されるという。
採掘などもされるが、その岩や土壌はどこへ運ばれるのか。
計画そのものがその場限りではないか。懸念の声が上がった。
もし有事が起きた時の避難経路は?
原発事故が起きた時にどのような避難をするかは、冒頭でも言及した通り指針等に基づいて行われる。
上関では、原発建設は無くなったものの、仮に事故が起きた時の避難経路はどうか。
本土と長島(上関:立利計画がある島部)を結ぶのは、上関大橋しかない。
地震よる土砂崩れで道路が寸断されたとして、本土に渡ろうとも橋が一つ。海上を経由して船で、といっても津波も想定される。
もし原発事故が起きたら1F以上に対応が危ぶまれることとなったのではないか。
↓ここまでの視察の様子(動画)はこちらから
原発のゴミを押しつけるな!
帰港後、各種メディア取材とお昼を挟んで意見交換を開催。
冒頭のみマスコミオープンだったので、概要のみ紹介する。
はじめに、山崎議員ら3名からの敷地内の様子。中電の説明などについて報告がなされた。
今回の中間貯蔵施設計画は、中電によればあくまでも町からの要請だったとのこと。以下、議員らが説明時に渡された資料より引用。
町からとはいえ、町民の声は何処へ。
他方、町議会では、2019年から密かに「秘密会議」が行われていたという報道も。突如浮上したというより、知っている人は知っていた。「原子力ムラ」の力が働いたのか。笑い事ではないが、どうも原発政策は、後出しジャンケンが多い。
意見交換では、「あくまでも〝中間貯蔵〟というが、国の核燃料サイクルが破綻している以上、永遠の貯蔵施設になるのではないか。」
「増え続ける使用済核燃料、それに伴う最終処分場と中間貯蔵施設が今後どれだけ必要とされるのか。そうしたバックエンドの議論無くして、〝スイシン〟ありきのGX政策は、未来世代に〝ゴミ〟を押し付けるのではないか」との声も。
そして、国会の議論の場で、上関で起きているこの問題をぜひ取り上げてほしいと。
これは国策なのか?一事業者がゴミを押しつけるだけなのか。政府・経産省の姿勢も現地任せであってはならないが、いずれにしても事業者の十分な説明は今後も求められよう。
奇跡の海を生かすため
視察終了後は、体験型宿泊施設「マルゴト」へ。
高島さんらが「上関の自然や暮らしを体験するための来訪者にとっての拠点」として作った場所だ。これまでも多くの方が訪れているという。
夕食までの時間が空いたので、上関海峡温泉 鳩子の湯へ。
寒い中の視察で身体が冷えていたので、疲れがかなり取れた。とはいえ、建物には「原子力発電施設等立地地域特別交付金」と記された石板がある。捉え方は読者の皆様に委ねたい。
夜ご飯は、地元の漁師である小浜鉄也さんが捌いてくださったお刺身を囲んで懇談。数十年にわたる原発の是非で分断してしまった町民が、ようやく共に町づくりをというときに、なぜこの計画が進められようとしているのか。
町議会では、全議員10名のうち、3名しか〝ハンタイ〟の意向を示せていないが、議会の採決=民主主義のプロセス上、本計画は何ら問題ないと言われるかもしれない。一方、住民100人を対象に共同通信が実施した調査では、「反対」「どちらかといえば反対」と回答した人が計59%に上った。
「原発は賛成したけど、それがなくなったから中間貯蔵というのはおかしい」とかつて〝スイシン〟だった方の中からも行政と中電への怒りを露わにされているという。
何よりも、この議論を上関だけでなく、国が原発再稼働の方針を決めた以上、責任を持って取り組むべき。これ以上、住民の分断を生んではならないと痛感させられた。
今必要なエネルギー政策は?自然保全は?
上関がどのあたりにあるのかも、筆者は原発政策に携わるまで知らなかった。もちろん、中間貯蔵施設についてもだ。
しかし、そこには筆者が生まれる前から住民の分断を生んだ国策という名の原発政策が進められていた。
原発がなぜ危ないのか。
いや、CO2を出さないエネルギーで温暖化対策に資するから良いものだ。
私たちが政策を論議することはどこでもできることだ。
しかし、忘れてはならない。そこに暮らす人々の生活、自然環境があるということを。
破綻している核燃料サイクルを押し付けて、最後は誰が責任を持つか?
〝政治とカネ〟で破綻している与党との論戦で大いに議論されることが望まれる。
(参考文献)
・山秋真『原発をつくらせない人びと 祝島から未来へ』(岩波書店、2012年)
・山戸貞夫『祝島のたたかい 上関原発反対運動史』(同、2013年)
(参考記事)