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無口な祖父は、他界してもそこにいるような存在感を放っていた。
先日、祖父が他界しました。
92歳だったそうです。
元々シングルマザー家庭だったため、日々働く母の代わりに祖父が子守りにきてくれており、実質育ての親のような存在でした。
無口で背が高い(2mくらいある)祖父は、どう接していいのかわからない存在だったけど、全然怒らない穏やかな人だったなぁ。
...と思っていたら、実は母いわく「怒って嫌われたら子守りができなくなるから、我慢してた」らしい(笑)。その話を聞いた時は、じーちゃん、ごめん!と思いつつ、妙にうれしい気持ちになったのを覚えています。
(我慢がうれしいじゃなくて、母のためだったという点ね)
なんとか調整でき、帰省することができた上に、
なんとカナダに移住してるイトコも偶然帰っていたそうで、かなり久しぶりに集合できてうれしかった。
「じーちゃん、きたよー」と言ってもなんの返答もなかったけど、生きてる時からそうだったから、なんだかまだ信じられません。
お通夜の夜は、みんなでじーちゃんと一緒の部屋に泊まったけれど、生前から無口だったから、終始普通にそこにいるような不思議な感覚でした。
お葬式では、母がお経を唱えるシーンをサボっていたので、祖父のお骨にそっとチクりました。
もろもろが無事終わり、泣くのも笑うのもたくさんやり終えて、さあ帰るぞと高松空港で母とバイバイした後のこと。
抱っこしていた息子が急にわたしの背中をぽんぽんと叩き「だいじょうぶ、だいじょうぶだからネ」と言ってくれました。「え?なに?どうしたの?!」とテンパるわたしにまた「だいじょうぶダヨ」とぽんぽんしてくれて、
何?!それ何ーーー?!と涙が溢れてしまい、そしたら急にトイレに行きたくなり、トイレに行ってたら時間ギリギリになって、空港呼び出しアナウンスをくらいました。
#CAさんがトイレまで来てて恥ずかしかったーー
というtheとんぼ帰りだったけど、ちゃんとお別れができてよかった。
と、達成感もありつつ、お葬式という場で感じた「家制度」的なものに正直モヤりました。
喪主が、1番祖父のお世話をしていた母ではなく、叔父だったこと。そしてその後ろに続くのが叔父の妻で、母は3番目を歩いていたことに、なんだかとてもモヤモヤしてました。
まぁでも母は、喪主なんてやりたくないタイプだろうし、わたしがモヤッても仕方ないことだよなと思ったけれど、帰りの雑談中、母がぽろっと言ったことにびっくり。「わたしも死んだら、ばあちゃんとじいちゃんのお墓に入りたかったなぁ」。
え?それダメなの?
聞くと、基本的にばあちゃんとじいちゃんのお墓に入るのは、長男である叔父と、その奥さんだけらしい。そういう常識を全く知らなかったわたしは驚愕。母は、夫の親族(わたしにとって継父側の祖父母)のお墓に入ることになるらしいけど、継父の親たちと母はとても仲が悪いので、そんなことはさせられません。
そしてちょっと待った。それってもしかして、わたしも母と同じお墓に入れないってこと?夫の親族のお墓に入ることになるの?夫のご両親のことは大好きだけど、それはちょっと嫌なんですけど。生まれ育った家族と一緒のお墓がいいんですけど。
結婚したからって、わたしの親はわたしの親しかいないのに、どうして最後に一緒にいられないのか。どうして結婚したからといって、長男じゃないからといって、生まれ育った方の「家族」が改変されてしまうのか。家制度と一括りにされても、とうてい納得できません。
わたしは母に、それだけは死守すると約束しました。もしも一緒のお墓が無理でも、わたしと弟で、ばーちゃんとじーちゃんのお墓の近くに新規で建てるよと。そしてわたしもそこに入りたい。(弟に言っとこ)
ずっと、男性でありながら家事育児をずっとやってきた祖父の存在は、もしかしたらわたしに、こういう理不尽を理不尽だと思わせてくれる存在1号だったかもしれません。
そして無口な人のかもしだす温かさのようなものを教えてくれた存在でもあったなぁ。
祖父のおかげか、わたしは無口な人が割と心地いいから。
ひとつ反省していることがあります。外からは見えにくい家事労働的な営みに、ちゃんと感謝を伝えられなかったこと。そのことだけが今、心残りです。
いつかまた会う日に、ちゃんと感謝を伝えようと誓いました。
長文にお付き合いくださりありがとうございます。
喪中につき、新年のご挨拶は控えさせていただきます。