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下手だと思ったときこそ伸び時
今更ながらnoteの魅力にはまり、最近はもっぱらnoteを徘徊しては、色んな方の記事を読ませていただいている。
徘徊していると本当にびっくりするのだけれど、皆さん本当に文章がお上手。時として化け物かと思うほどの天才を見つけては、ひとり夜な夜な興奮し読み漁っている。(ハマり方あってます?)
楽しくて夢中になり、つい時間を消費していることも多々あるのだが、時として文章の化身か?!と驚くほど力を持った方がアマチュアだったりすると、若干傷ついてしまう。私はプロなのにこのザマか、と。
そうやって時に自分を痛めつけながらnoteを楽しむようになって、ふと思い出したことがあった。何年前だろうか、たくさんの可能性を秘めた若いフリーライターの少年から、こんな相談をされたことがあった。
「Twitterやnoteを見ていると、凄い人ばかりで嫉妬してしまうし、自信がなくなるんです」
私は彼の仕事ぶりがとても気に入っていて、頻繁に仕事をお願いしていたので不思議だった。だけど会うたびにこの相談をされたので深刻なのだなとは思った。
正直にいうと、私はその頃仕事もプライベートも絶好調で、その気持ちが全然わからなかった。フリーランスってこんなに楽しくて自由なのに、そしてあなたはまだまだ若くて可能性は無限大なのに、なぜそんな風に思うのだろう。というのが率直な感想だった。
とはいえそんな返しをするわけにもいかない。ベタだが「私はあなたの可能性を信じているから仕事をお願いしているし、今後もお願いしたい。周りと比べずに、自分と向き合ったらいいんじゃないかな」とか「SNSをちょっと休んでみるといいかも」みたいなことを言った気がする。我ながら、寄り添う能力の乏しさが恥ずかしい。
そして多分(というか絶対)彼はその回答に納得していなかったと思うけれど、それ以上の励みになる答えは当時の私からは出なかった。元々マイペースだし壮大な野心があるわけでもないので、嫉妬に苦しんだ経験がないのだ。(恋愛においては百回くらいあります)
だけど最近になって、少しだけその気持がわかるようになってきた。そう、note徘徊によって。
自分の下手さに気づくということ
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とはいえ、それなりに歳を重ねてきているので、一夜にして目に見えて成長するなんて無いことは知っている。自分の下手さを感じたところで、まぁコツコツやるしかないかと思うのだけれど、変な話、自分が下手だと思う機会を持てたことが私は少し嬉しかった。
というのもフリーランスになってから、自分の下手さを垣間見ることが格段に減ったからだった。私のクライアントは皆さんとても仕事ができる方ばかりなので、極力私が最高の状態で仕事ができる環境を整えてくれる。つまり褒めてくれたり、あなたにお願いしたいという姿勢を全力で示してくれるのだ。私はいつも気持ちよく仕事ができた。
だけどそういえば、20代の頃を思い返してみると、私なんかよりはるか彼方上にいる上司が、半径5メートル以内に存在していて、毎日とても悔しがっていた。早く〇〇さんみたいになりたいです!と公言しては「まだ早い」「結果を急ぐな」と上司たちになだめられていたではないか。
当時近くに「なりたい像」がいたことによって、自信喪失や自己嫌悪には日々悩まされてきたけれど、自分がどうなりたくて、そのためには何が足りないのかは明確にできる環境だった。つまり「自分が下手だ」と思うことは、成長できる環境に恵まれているということ。可能性なのだ。
本当に下手なときは、自分が下手なことがわからない
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私の好きな漫画に、こんな台詞がある。
本当に下手なときって、自分が下手なこともわからない。ゆがんでたり間違ってたり、はみ出しても気付かない。それに気付くのは上達してきたからなんです。だから、下手だと思ったときこそ伸び時です。
この言葉に加え、下手な人の周りにいたら、自分が下手だと知ることもないということも付け加えたい。
noteを見て確かに圧倒的才能にショックを受けることはある。あるんだけれど、井の中の蛙大海を知らずで気持ちよくも退屈に生きていくよりは、大海を知ってショックを受けながら成長し続けたいと私は思う。そしたら少なくとも、井の中で人生を終えることはないだろうし、飽きない。
あと、幸福物質と呼ばれるドーパミンは自己成長したときに多く分泌されるらしい。(参照:精神科医の樺沢紫苑さん著書:ムダにならない勉強法)
いいこと尽くし!
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それにしても、なんで相談されたときにちゃんとnoteを見たりしなかったんだろう。少年よ、ごめんなさい。今は彼は沖縄を離れてしまったのでなかなか会えないけれど、きっとどこかで大活躍しているはず。だって私なんかより早く、多くの自信喪失を経験したのだから。