(掌編)バックドアの黒山羊
長年連れ沿ったセクサロイド(愛称:ぐらたん。髪型がグラビヤギっぽいから)が故障したが保証書をなくしてしまったようだ。
真っ当な修理屋に依頼するには金がかかるし、俺の変態的なプレイの記録を第三者に見られるのは気が引ける。「なんとかならないか?」
「なんとでもなるさ」
旧知の友はこともなげに彼女の修理を承諾した。間隔を空けず2本の細長い棒が天井に向かって伸びている。一つは石灰でできているがもう一つは真鍮をペンキで塗りたくったものだ。血液型はR-O型を自認しているがすでに彼は彼女ではない。元は優秀なエンジニアだったがバックドアにダマスカスヤギの群れを放ったことで磔刑に処された。きっともう長くはない。手のひらから突き出した鉄杭からほとばしる血が真っ白な真鍮に伝っていく。
「お前と俺が穴兄弟か」
「使ったらちゃんと洗えよ」
「小学校の絵の具セットじゃねーのよ」
つか勃たねーし。バカじゃねえの。
前腕の皮膚から採取した細胞を培養して形成した陰茎は神罰を受けた蛇のように項垂れている。
人身事故の影響でダイヤの乱れた列車を国民的アニメのオープニングを編曲した発車ベルが送り出す駅のホームは遠い地上の出来事だった。ホームにはODした女が昏睡状態で倒れていたらしい。もう終わりだよこの国。
数日後、エンジニアが電話をくれた。
「ハードの損傷が激しすぎる。お前これ勝手に分解しただろ」
俺は悪びれず答える。
「そっちのが興奮すんじゃん、胸だけとか尻だけとか」
「きっしょ」
本当に機械としか思ってないんだろうなこいつ。
「初期化していいか聞こうと思ったけど無駄な配慮だったみたいだな」「え、記憶とか消える感じ」
「別にプレイに支障はないよ、腰の動きや息遣い、瞼の動き。プレイの演出に必要な情報はハードに直接記録される仕組みだ」
「ぐらたんはセックスの道具じゃねえ!」
「道具だよ。」
誰だよぐらたん。
白痴のようにヘラヘラ笑って求めに応じてよがって見せる。それ以上の内面も人格も期待していないくせに彼氏面しないでほしい。
「バックアップは取っておくよ、ソフトさえ移し替えればパソコンでいつでも起動できる。音声会話は可能。Vtuberみたいにガワがつけたきゃ追加料金な」
一時期グラビヤギの写真がダマスカスヤギの子供として広まったことがある。こんな綺麗なヤギが悍ましい神話生物みたいになってしまうなんて、とか平気で酷いこと書いてあってビビる。遺伝子の話じゃんね。
プールサイドでは水着姿の少年たちが皆一様にピカピカのバットを構えて、男の怒声に従い一斉に素振りを開始する。バットが空気を切断する音に驚いて鷺が飛び立ち、狂乱気味に天井付近を旋回したのち、河川敷を渡す鉄橋のシルエットをくぐり抜けると、くちばしに咥えられた小魚のなまめかしい銀色がひらひらと輝いた。鷺は目が眩み、砂浜に小魚を取り落とした。
その小魚が干物になるまでの数日間、俺は彼女ではなくなった彼の提案を飲むかぐらたんの死を受け入れるかの二択を迫られた。だが実際に、小魚が干物になってわかったのだが、内臓のついた干物はとても食えたものじゃない。反射的に吐き出した腹部と食べ残しを放置していたら、匂いにつられて例の醜悪なダマスカスヤギがやってきた。
当然ながらヤギは草食であり、シリアのダマスカス地方は海の向こう。ここがどこかを察するのにそれほど時間は要らなかった。
俺がバックドアから寄せ返す波を踏み締めて海の底を覗き込むと、水面を通過した俺の視線は石灰の柱と白塗りの真鍮の柱になった。海底にはどんな生き物も認められず、ただ暗い闇が続いているようにしか見えなかったが、そのうち真っ赤な蛇が這い上ってくるように真鍮の柱が色を変え始めた。そこはかとない不安に襲われつつも、俺は目が離せなかった。
無意識に手のひらが股間へと向かっていた。あるいは恐怖に対し原初的な性欲が刺激されたのかもしれなかった。俺は股間を握りしめようとした。
しかしそこに肉の感触はなかった。指先をずらしても、微かに温かい空気の塊に触れるばかりだった。
ふざけるな。俺の体はこんなんじゃない。誰かが俺の股間を分解して、陰茎を持ち去ったに違いない。しかしその確信を裏付けてくれる根拠がない。生身の人間には、はじめから保証書など付いてはいないのだから。