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夢歌2 ペンギンたちの秘密

 私たちは年に一度船に乗る。

 大草原を離れ大海原を旅するのだ。

 陸で親しくしていた人たちには誰にも告げてはならない。私たちが海へ行くことを。

 ある日ひっそりと姿を消す。

 私は寂しかった。必ず戻ってくるから待っていてほしいと伝えたかった。忘れられたくない。私は泣いていた。

 毎年夏になると海に出る。いつからなのか覚えていない。だけど、海にいて知らないはずの夏の草いきれの匂いを覚えている。海風は心地いい。それでも私は陸が恋しかった。

 ひとりの青年が私に言った。

「僕たち家族はみんなこの船に乗るんだ。」

 私は青年を見上げて尋ねる。

「私たちは家族なの?」

「そうだ。」

「この船に乗っているのはみんな家族?」

「そうだよ。家族で繋がるために乗るんだ。」

「あなたは私のお兄さんなの?」

「そう。」

 私に兄なんていただろうか?

 差し出された手に信用したふりで自分の手を預ける。家族で乗るには大きな船だ。客室が並ぶ左舷のデッキを手を引かれ歩いてゆく。

「旅に出たらここで休むんだ。ペンギンになるまで。」

 ペンギンになる?

 入っていった広間は家具やベッドなど一切なく、床には青くて固いカーペットが敷き詰めらていた。その床に何人もの人たちが寝転がっていた。その様子は魚河岸のマグロのようであり、ペンギンのようでもあった。

「僕たちも寝よう。」

 兄だという人はそう言って床に直接横になった。

「僕の上に乗ってもいいんだよ。」

 そう言って彼は私をお腹の上に乗せた。そのお腹は既にペンギンのように流線形になっていた。この人は信用出来ない。嘘をついている。

「ううん、やめとく。」

 私は疑っていることを悟られないようにしてペンギンになりかけている男の腹から下りた。

 ここは危ない。

 そう思って私は広間から逃げ出した。デッキに戻り、右舷に回ると幾つもの檻が並んでいて、一つの檻に1人ずつ人が閉じ込められていて波しぶきを受けてずぶ濡れになっていた。大きな波をかぶる度に息が苦しいのか手足をばたつかせてもがいている。私は近くにいる男に声をかけた。

「ここは水がかかるから苦しそうだよ。出してあげて。」

 男は心配ないという風に歯を見せて笑った。

「こいつらはもうすぐペンギンになるんだ。大人になるときはみんなこうするのさ。」

「大人になるってこんなに苦しいことなの?」

 それなら私はペンギンになんかなりたくない。

 私は広間に戻って床に突っ伏して泣いた。

 そしてハッとする。しまった!横になってしまった!

 私の身体は痺れてだんだん動かなくなっていった。なんとか起き上がろうとしたが逆にごろんと転がり仰向けになってしまった。天井が見えるばかりで全く動けない。早く起きなくてはペンギンになってしまう。

 私は自分が起き上がる手順を具体的にイメージしてその通りに身体を動かそうと試みる。まずは手だ。両掌を床につける。肘もついて身体を左右に揺らしてみる。次は足だ。膝を立てて足裏を床につけ、足指で床を掴む。腿に力を入れる。腹筋を使う。首に力を入れて頭を持ち上げようとする。

 ほら、天井が近づいてくる。

 なんとか和式トイレに座っているような姿勢まで身体を起こせた。次は立ち上がる。

 膝の上の筋肉に力を入れて立つ準備をする。腹筋と背筋を使って俯いている上半身を起こそうとする。途端に景色が変わり、私の目には再び天井が映っていた。私はさっきと全く同じ仰向けの姿勢で寝転がっていた。

 あぁ、私はイメージをしただけで身体を動かすことはできなかったんだ。

 疲労感でいっぱいになった私は仰向けのまま眠りに落ちた。


 気がつくと、私は広間を出て船の中のサロンの受付前に立っていた。さっきの広間よりはずっと居心地がいい。広間は毛足の短い擦り切れたような薄いカーペットだったけど、ここは赤紫色を基調としたふかふかと柔らかい絨毯が敷かれ、温かく落ち着いた空間だ。ベルベットのカーテンにゆったりとしたソファ。

 受付のカウンターの奥に女性が立っていた。この船で女性を見たのは初めてだ。

 女性は言った。

「アルバイトをお探しですか?ここでは誰にも秘密で紹介することができますよ。」

「アルバイト?」

「そうです。誰にも言わないというのが唯一の条件です。」

 この船はなんて秘密が多いんだ。

 船に乗るのも秘密。ペンギンになる秘密。ペンギンになるための秘密の儀式。この船に乗るのは見ず知らずの家族だけという秘密。そして秘密のアルバイト。

「どんな仕事なんですか?」

「ここでは人間になっていただきます。」

「人間になれるんですか?」

「誰にも言わなければ」

「私、そのアルバイト、します!」

 待って、人間になるということは私はもうペンギンなの?

「こちらへどうぞ。」

 受付の女性は私をベルベットのカーテンに囲まれた試着室へ案内した。

「この服に着替えて下さい。そうしたら準備は完了です。」

 渡されたのはワインレッドのロングドレスだった。そして黒のボレロ。どちらもベルベットだ。夏にベルベット?

「外は寒いですよ。冬ですから。」

 眠っている間に季節はすっかり冬になっていたらしい。渡された服に身を包むととてもしっくりきた。毛並みがまるでペンギンのように滑らかだ。私はこれを気に入った。

 この船を下りても、船のこともアルバイトのことも言わないでおこう。沢山の秘密を抱えながら人間として生きてゆく。

 だけど、もしかしたら秘密を抱えているのは私だけではないのかもしれない。もしかしたら、あの人はアルマジロであの人はミーアキャットなのかもしれない。

 ただ、私が知らないだけで。




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