冬を越せなかった山繭の話
茶道の先生宅。その日の室礼に山繭が荘られていた。養殖のお蚕と違って、繭が緑がかっているのが特徴だ。
最初見た時、食虫植物かと思った。
先生が「これはヤママユよ」とおっしゃられなかったら、何だか分からなかった。
この繭を振ってみるとカラカラ音がするそうだ。きっと上手に羽化できなかったのだろう。春の訪れを感じさせる室礼の中に、この山繭だけは、春の爽やかさと死への切なさが抱き合わさっていた。
蚕は古事記の頃から神格化された虫である。
あの特徴的な白くふわふわした毛並みと、ふっくらした身体。前足で触角を『くしくし』する姿は、虫嫌いの私でも可愛らしいと思うくらいには好きである。(山繭の成体は正直苦手だ)
そんな蚕の作る繭は昔の農家の人の大事な収入源。副業として養蚕をすることが多かったのだろう。『お蚕さま』と大切に崇めた気持ちはよく分かる。
柳田國男の遠野物語には『おしらさま』という伝説が書かれている。
娘と馬の異類婚の物語だが、そこにも蚕が登場する。人間と蚕は切っても切り離せない関係だったのだ。
いずれにしても蚕は昔から民間信仰の対象だったのである。
現在、日本の養蚕地は化学繊維や中国製の絹に押され、衰退の一途を辿っている。
元々私の地域でも養蚕は盛んだったらしい。しかし、今は見る影もない。時代は変わり続けるのだから、しょうがないのかもしれない。
けれど、昔の日本に住む人が大切にしていたものを、現代を生きる私も大切にしたいのだ。
守りたい理由はさまざまだが、古事記から続くお蚕さまの信仰と、それを崇めた人たちの心を蔑ろにはしたくない。
とはいえ、私に出来ることといえば、日本製の絹で作られた着物や絹製品を買うくらいなのだか。
山繭から随分と話が展開してしまった。
このように、山繭ひとつ取っても沢山の物語を含んでいるのだ。「知らない」で済ませてしまうのは、形容し難い寂しさを感じる。
こうやって誰かに話したくなる程、私の心を切なくさせた原因は、山繭が、現代に置いて『忘れ去られつつあるもの』のひとつだからなのかもしれない。
それを見つけることができた私は幸運だった。
日の長さに春の兆しを感じる今日この頃、学びの中にある小さな気づきを今後も大切にしたいと思う。