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谷岡ヤスジ氏のこと しょのに
前回、谷岡さんが毎週毎週キッチリ時間通りに原稿をあげていたかのように書いたけど、〆切日を超えることこそなかったものの、実際のところはそうスムーズでもなかった。ネタに詰まってしまい約束した時間にあがらず、谷岡さんの自宅で待機することもたびたび。正直、これが僕にはとても意外だった。全盛期には毎日のように(あるいは複数の)〆切りを抱えていた方だから、さくさくすらすら悩むことなく豪快に描きとばしているのかと思っていたのだ。
でも、谷岡さんも普通の漫画家さん(という言い方も変だけど)と同様に展開に悩み苦しんだり、下描き中に別のアイデアを思いついてオチを変えてみたり、気に入らない絵を最終的に切り貼りで差し替えたりしていた。一見メチャクチャなようだけど、繊細な作業の積み重ねによって谷岡さんの漫画は作られていたといえる。…と思う。
自宅で待機している最中は、奥さんと喋ったりテレビを観たりカツ丼をご馳走になったり…待機時間は長くても2〜3時間といったところだったろうか。仕事場である2階から原稿を乾かすドライヤーの音が聞こえてくれば、それが原稿アップの合図。間もなくドシドシと谷岡さんが降りてきて、満面の笑みで「待たせたな! あがった!」と言いつつ、コピー用紙に描かれた原稿を差し出してくるのだった。
原稿をいただく際、谷岡さんからいつもキツく言われていたのは、
「俺の目の前で原稿を読むな。枚数の確認だけにしろ」
ということ。
著者の目の前で作品を読んだ後の編集者は、必ずといっていいほど「面白いですね!」なんて言う。でも、毎回毎回そんなに「最高」であるはずはないので、編集者はどこかでウソをついていることになる。かといって、正直に「今回はイマイチでしたね」なんて言われるのも非常に不愉快。だったら、最初から俺の目の前では読むな、というわけ。なので、いただいた原稿は即、画稿ケースかカバン(B4原稿が折れないくらい大きなカバンを、僕は常に持ち歩いていた)の中へ入れる。
その後、時間に余裕があれば谷岡さんとちょっと雑談したり…やっぱりビールをご馳走になったり。飲んでる最中の話題は、谷岡さんの肉体鍛錬話と、「女の口説き方」が多かった。だから、谷岡さんから直接原稿をいただいたあとは、ほろ酔いで印刷所に向かったことも少なくない。当時の漫画サンデーはなんというか非常にゆるやかな進行で、原稿を大日本印刷の出張校正室に届けたらそれでその日の業務終了、なんていうことが普通だったのだ。
ところで、昔の夏目房之介氏の日記にも書いてあるけど、谷岡さんは普段からよく自分の肉体自慢をしており、僕も何度も「豊田君、俺の腹筋触ってみろ!」って言われたことがある。毎日毎日腹筋をこなし(ある時期まで合計回数を記録につけていたはずで、当時の原稿の枠外には「腹筋XX万回到達したど!」とか描き添えたりしていたように記憶している)、暇があれば水泳にも通っていた谷岡さんの腹筋は、たしかにビックリするくらい堅かった。なので「堅いっすね」と僕が言うと、これまた満面の笑みで「だろ? 太ももも触ってみるか?」というのがお約束だった。
そんな「肉体自慢」とともに強烈に印象に残っているのは、谷岡さんから観せてもらったあるビデオ映像だ。
「豊田君、すげえもん観せてやるよ。びっくりするぞ!」
そう言って谷岡さんが取り出したビデオの内容は、「豊田商事事件」のNHKニュース映像。僕と同年代以上の人は憶えてると思うけど、悪徳商法で知られる豊田商事の社長がマスコミの目の前で惨殺された事件の、その惨殺シーンがばっちり生放送で映し出された当時のビデオを観せてくれたのだ。
「悪い奴が殺されちまってさぁ。すげえよな…!」
なんて言っていた。
やっぱりどこか過剰なモノ、過激なモノに興味があったのかな、と今になって思う。
ちなみに、非常に調子がよく〆切前日の午前中に原稿アップした場合、自宅の裏口に原稿を置いておいてもらって、あとでそれをピックアップするだけ、ということもあった。そんな時の谷岡さんは大抵、ご自慢のジープでプールへ泳ぎに行っていたようだ。
「幌あげたジープで渋谷走ってるとな、みーんな俺のこと見るんだよ」
そして、裏口に置かれた原稿には、僕宛てのちょっとしたメモが書いてあったりして。(当時ガラケーで撮った写真なのでめちゃくちゃ小さい…)
とてもチャーミングでしょ? なんてことないただの封筒なんだけど、ずっと取っておいてある。僕の宝物。
豪快でおおらかで、とてもチャーミング。
それが僕にとっての「谷岡ヤスジ」だ。(続く)