疲れる言葉

仕事を上手くいくようにするには頭を使って努力する必要があるのだと思う。そういうことを発信する人もすごく多いですし。

「いかにすれば成功できるか」っていう話がネットには本当にたくさん溢れてますね。

でも、ひねくれた捉え方かもしれませんけど、そういう「成功するための意識の高い言葉」を日常的に浴びていると、自分なりに頑張ってみて、結果が伴わなかったとき、「成功していないのは頭を使っていないせい。努力が足りていないせい」と思ってしまうんです。

そうやって結構無意識に自分を責めてしまう。「もっと頭を使えばよかったんだ」「努力がたりなかったんだ」みたいな感じで。

それでまぁ疲れてしまって、首を吊ってしまったわけなんですが。

僕のメンタルを蝕んでいる原因のひとつは貧困です。そして貧困から脱したいから「いかにすれば成功するか」という情報を自分から収集するようになったわけで。でも、もう一方で、僕が疲れてしまったのは、自分に対して「もっと頑張れ。できないのは自分のやり方が悪いから」と言い聞かせ続けたからです。

別にそのこと自体はある意味で事実なんだとも思います。もっと上手くやれば、もっと頭を使えれば、もっと頑張れれば、貧困から抜けられたかもしれない。理論上は成功するまで頑張り続けたら成功するはずですからね(先に寿命が尽きなければ)。

でも、どうも僕のメンタルではそういう生き方はできそうにない。これ以上そのスタンスで生き続けたら、必ずどこかで自殺すると思うので。

今でもたまにそういう虚無に引き込まれそうな時がないわけではないんです。だから、そういう時は「今日一日死なないことだけを考えよう」と思い直します。明日以降の自分のことは放棄するわけです。どのみち今日死んだら明日は来ませんしね。

でも、と思うわけです。「今日一日死なないことだけ考えていたら、いつまでも貧困から脱出できないよな」とも思うわけです。

やっぱりどこかで仕事を軌道に乗せないと、僕はいつまで経ってもその日暮らしです。そしてその日暮らしをしているその時間にも僕は年を取る。だから、どこかで頑張れるポイントを見つけないといけない。

そのポイントがどこなのかな、加減がどこなのかな、と最近は思うんです。まだあの日からそれほど時間も経っていないので、基本的には今日生きることだけしか考えていませんし、明日以降のことを考えようとする自分を抑えてさえいます。死にたくなるからやめておけよ、と。

でもそういう時に、「こうやれば上手くいく」「このやり方は損する」いろんな人が、いろんな言葉で「賢く生きろ」と言います。僕はもう疲れてしまっているので、そういうことを考えたくない。でも考えないと生きられない世の中だと思います。能力がないと生きられない。

馬車馬のように働くという生き方もあるんでしょう。そっちでは既に失敗したので、そっちの生き方も疲れたので、そういう生き方もしたくない。

だから、とにかく一日一日生き延びながら、たまに元気がある時に考えます。どうすれば生きられるだろうと。答えはまだわかりません。

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