第1回「謎多き夢二の台湾訪問」
竹久夢二は、大正時代を象徴する存在として活躍しました。
その50年に満たない短い人生を終える1年前の1933年(昭和8年)秋、2年余りの米欧への外遊から帰国後した夢二は、旅の疲れを癒す間もなく台湾に渡航して個展や講演会等を開催しました。
しかし、展覧会は不調に終わり、彼は帰りの船に乗り遅れたばかりか、持って行った絵などの所持品がすべて盗まれてしまうという不運に見舞われ、夢二の台湾での行動はいまだに謎につつまれたままとなっています。
2013年に機会があって夢二に関心を持ちはじめた私は、「夢二研究会」に籍を置いて愛好者や研究者とのおつきあいを始め、その後偶然台湾ツアーの企画の仕事についたことで夢二が訪台したことを知りました。
上記のとおり、夢二の訪台は、持って行った絵のほか、夢二研究で最も頼りとなる日記やスケッチも全く行方不明であることから、関係資料も極端に少なく、分からないことだらけで、とにかく今ある資料を集めて読み解くことから始めるしかありませんでした。
2020年になり、台湾ツアー企画の仕事はコロナ禍により中断となりましたが、2023年頃には落ち着くだろうと無謀な判断をして「夢二と台湾2023」というプロジェクトを掲げて座学の調査活動を続けていました。
幸運にも夢二研究会で活躍していた王文萱氏(京都大学大学院卒、現国立台湾師範大学講師)が2018年に帰国して夢二研究を継続しており、夢二展の開催や台湾初の夢二専門書の著作活動をしていたことや、台湾ツアーで知己を得た田世民氏(国立台湾大学日本語学部副教授)の支援もあって、2023年11月に国立台湾大学及び北投文物館で講演会「夢二と台湾」を開催することができました。
当然、研究途中の講演内容は完全ではなく、むしろ夢二の訪台に関心を持ってもらうことを目的としましたが、2年半に及ぶ調査活動により、謎としていた部分の一部が解き明かされたり、諸説の矛盾点が見つかったりしたという意味では一定の成果がありました。
ここでは、講演後に判明したことなどを加え、謎多き夢二の訪台について現時点で分かっていることを紹介することとします。
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