「徒」「屠」(凋叶棕)の考察まとめ ~夢を追った2者は何故もこう違ってしまったのか?~
「徒」では夢を追い始め修練を重ね、道に迷いながらも、成功し、畏れられる存在となりました。
一方で「屠」では夢を追いかけましたが、周りに指弾される存在となり、様々な悪意がある他人に取り囲まれ、そして夢を追う界隈を去ることを決めました。
なぜ2者はこうも違ってしまったのか?
「屠」はSTAP細胞事件を下敷きにしていると考えています。なので、まずは実験ノートをしっかり書け。生データをきちんと整理して保管しろ。捏造するな。これらが先に来ることは来ます。まあそれは置いといて。
そこは苦境にあったときに助けてくれた人物です。「徒」では名前も知らぬ二色蝶、「屠」は軟弱者を屠る時代親父。
名も知らぬ二色蝶は、名前も知らないことは当然こちらに干渉することはないでしょう。ただ、こちらの助けになるように商品を買って去っていったと考えています。生殺与奪の権は主人公の手の中にあった。
軟弱者を屠る時代親父は期待ばかりを膨らませて、自分の考えたシナリオ通りに動いてくれることを狙ってるのでしょう。そう、まさに小保方氏を呼んだ上司研究者や役人とその思惑の通りに。生殺与奪の権は上司研究者や役人の手にあった。
「徒」は主人公に生殺与奪の権があり、「屠」は主人公に生殺与奪の権がなかった。
『墓標』に掲げているように生殺与奪の権を手放してはならなかった。
もっとも安全な方法とは。
常に自分の手に握り置くもので。
けして理解のできぬ、
世界に触れてなどしてはならない。
そう、まさにこれです。
出典:吾峠呼世晴「鬼滅の刃」
新しいものを作って売る事に関係する人間には、奪うか奪われるとして考えなくてはならない人間もいます。くだらない欲求の餌にしようというゴミみたいな連中も含めて。力なければ力で強者にねじ伏せられる。鬼どもが意思や願いなんか尊重してくれない。
鬼や妖怪や魑魅魍魎なんてのは元を正せば現実の人間だと思います。はっきりあいつが鬼だなんていうと面倒だから創作に託して、それが今に残る伝説じゃないですかね?
鬼どもに打ち勝つには強くならないとならない。ゴミみたいな連中を切れるだけの余裕が必要。翻せばそれは金と時間だということ。あるいは、別に食ってく方法があるかということ。
「徒」ではなんとか生殺与奪の権を奪われずに、辞めるギリギリのところで名も無き二色蝶が来てくれた。だから成功したのだと思います。
「屠」では完全に生殺与奪の権を他人が握り、イノベーションだのの餌として使おうとしたが想定通りに行かなかった。捏造の問題の落ち度もあり、小保方氏を完全に槍玉に挙げる形で終焉した。
お絵かきだとか、音楽だとか、ゲームとか、システムだとか、自分か、信頼できる少数で完結するものを作り続ける。自分に客がつくまでは生殺与奪の権を握り続けて、別に働きながら試行錯誤を続ける。自分に客がついて自分が生殺与奪の権を握り続けられる強い立場になってから大きく動く。そのぐらいのほうが正しいでしょう。
何らかの形で生殺与奪の権を渡さないと実現できない場合は?
ま、ケースバイケースでしょうね。信頼できないやつに生殺与奪の権を渡さないというのは第一ではあるでしょう。
ニュースで頭きて一曲加えましたが、生殺与奪の権を奪った上でこちらに害をなすことをしてくるのであれば、『イニシエイション』のように、害なすものを踏みにじり、全てを捨てて、夢を現に変えるために生殺与奪の権を奪い返す覚悟を持つことかもしれません。それでもできないかもしれませんがね。
早い段階から他人に生殺与奪の権を渡す必要があるような大きな道選ばないほうがいい?そりゃそうだ。
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