「徒」(凋叶棕)の考察。夢を追って畏れられるまで(素晴らしさside)
「徒」は『スターゲイザー』や『はるのうた』『<正調>佐渡の二ッ岩』のように明るめの曲も多いです。そして、「徒」のCDで描く世界は「夢を追って成功し、畏れられる存在になる」という話だと思います。
一方で「屠」は、結果論としては夢を追う事のおぞましさの曲だと思います。なので対と見れるかもしれません。
「屠」(凋叶棕)の考察。夢を追ったその結果(おぞましさside)
私の考察は曲自身は踏まえていますが、東方原作には余り触れていません。実際創作は届く人の心に強く響くのが良い創作だと思ってます。そのあたりを書いたこちらをみてから読み進めてください。
また、全曲で一つの物語を描いています。
タイトルだけで意味を示す曲。未来のテクノロジーを暗喩しています。また、一部の曲のフラグでもあると思います。
一見すると現代は夢のない世界。だけど、「夢のある」時代の人はどうなのか?そして夢の始まりについて。
夢を歩むことは時間がかかるから「永夜抄 ~ Eastern Night」かな?また永夜抄は、同じ夜を繰り返すということなので、リーンスタートアップという、試作しては客に見せての繰り返してという過程のことを指すのかもしれません。
迷いを抱え、未熟でながらも、愚直に修練し進んでいくという曲、
これはタイトルになにか意味をもたせているのかわかりませんでした。
夢を追っかけることについて起きる迷いや前向きな障害についての曲。なお、後ろ向きの障害は、意図したかはわかりませんが、屠の『墓標』の方にあります。
タイトルだけで意味を示す曲。戴冠式というのは、皇帝になったということ、「魔帝より」も合わせて、組織のトップになったという話ではないでしょうか
実際動き出したけど、なかなかうまく行かず潰えそうになる曲、そこに二色蝶がきてくれて、なんとか助かったという曲。
これまでの努力を踏まえてやっと春が来たという曲。
成功し、畏れられる存在にまでになったという曲。結果的には騙したことも多くあったけど結果的には成功を収めることができ、満月の下で宴会。マミゾウの正体と、このCD全体通してマミゾウはどのような立ち位置かも述べます。
タイトルだけで意味を示す曲。成功したということは様々な欲望が渦巻くようになってくると。次の曲につながっていく。
成功したからには、心ならずもおだて、褒めそやす人が現れます。どれだけ成功しても、傾国の美女にはかなわない。ただ、そうやってとろかされてるのも幸せの一つの形かもね。先はどうなるかわかりませんが。
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