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「光復香港」三〇〇〇キロ先のフリーターを衝き動かす。香港ルポその3


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  重慶大厦はまさに深夜特急の世界だった。入り乱れるインド人バングラデシュ人フィリピン人アフリカ人。片言の日本語で話しかけてくるキャッチ。

「ヤスイ ホテル ヤスイ ヤスイ」

「ニセモノ ブランド タクサン ロレックス」

「オニサン タクサン ハッパ ウィード グッドクオリティ」

「シムカード ヤスイ ヤスイ」

「インドリョウリ フィリピンリョウリ タベテイキナサイ」

 五棟の雑居ビルからなるこの重慶大厦はネイザンロードに面した一等地にある。そんな好立地にもかかわらず、一泊数千円〜で泊まることのできる安宿がゴロゴロ存在している。安宿だけでなくインド料理屋フィリピン料理屋、怪しい雑貨屋、日用品店、両替屋など一階から一六階までひしめきあっている。まるで現代の九龍城砦だ。
 僕はこの重慶大厦内のゲストハウスをクレジット決済で予約してあった。ホテル予約サイト「BOOKING.COM」で安い順に検索をかけると上位に出てきたホテルだった。その名も「ゴールデンゲストハウス」黄金の宿…!なんて縁起のいい名前なんだ。宿代も四泊で三七四香港ドル。日本円にすると約四五〇〇円。僕は即決した。
 九龍城砦さながらの迷路のような建物内に悪戦苦闘し、ゴキブリ這いずり回るエレベーターで宿のある四階までやっとの思いで到達した。ゴールデンゲストハウスと思われる扉の横の呼び鈴を数回鳴らすと、人の良さそうなオッサンインド人が登場し、中へ招き入れてくれた。廊下は狭く、人とすれ違うには肩をこすり合わせないといけないようだ。両側には扉が数個並んでいる。その扉の間隔も狭い。この宿内にサイトに掲載されていた写真のような広々とした部屋があるとは思えないが、掃除が行き届いているおかげで清潔そうだ。多少部屋が狭くとも清潔であれば問題ないか。オッサンに自分の名前を伝えると、ボロボロになったノートを取り出しパラパラとめくりはじめた。

「十三時からチェックインのユウキカトウだね」

 はいそうです。

「四日間の宿泊だね」

 はいそうです。

「それではパスポート番号を教えてくれ」

 はいどうぞ。

「ありがとう。そしたら宿代は三七〇香港ドルだ。いま頂くよ」

 は?

 クレジットカードで支払ったはずだけど、と伝えると、それは予約代だ、予約代と宿泊代は別だ。とオッサン。なんじゃそりゃ。予約代と宿泊代が別とはそんなシステム聞いたことがない。オッサンに抗議しようと立ち上がると、ハッと気がつく。なるほどそういう手口か。宿代を安く設定しておくと検索結果を上位にさせることができる。そうすることで多くの人の目に止まる。香港の物価を考えると安すぎる宿泊料金(自分で調べた限り)だが、教養のない僕のような貧乏情弱者は「ラッキー!」なんて言いながらホイホイ予約してしまうのだ。ちくしょうやられた。
 まあいい、これは勉強代だ。と無理やり納得することにした。それに別のホテルを探すのも面倒だし。これで一泊あたり千円だった宿代が二倍の二千円になってしまった。しかし香港は宿代が高いことで有名だ。一泊数万円する部屋なんてザラにある。そう考えると二倍の料金になったところで格安には変わりなかった。ぼったくられた!と思ったが、じつはこの料金がもともとの相場なのかもしれない。
 手持ちがなかったため、一階にある両替屋で二万円を香港ドルに両替した。そうしてまた四階のゴールデンゲストハウスに戻って約束の宿代を払い、さて部屋へ案内してもらおうかと立ち上がると、さらにオッサンはゴールデンハウスは満室だから七階にある協力店の「ヒマラヤゲストハウス」へ行ってくれと言うではないか。なんと呆れたことか。香港に到着して早々、宿代を二倍の料金で払い、宿をたらい回しにされた。このままでは幸先が危うい。

 インド人フィリピン人バングラデシュ人でひしめき合う重慶大厦内を行ったり来たりしたり、ぎゅうぎゅう詰めのエレベーターに乗り、やっとの思いで紹介された「ヒマラヤゲストハウス」に到着。呼び鈴を鳴らすと、ゴールデンゲストハウスのインド人にそっくりの小柄なオッサンインド人が姿を現した。

「紹介で来たんだけど、もう宿代は払わなくていいんだよね?」と開口一番に言うと、オッサンは苦笑いで「イェス」と答えた。

 オッサンは過剰なほど親切だった。飲み水はこのウォータサーバーを使ってくれ、ここにあるコーヒーと紅茶は無料で飲み放題だ、宿のオートロックはこうやって解除してくれ、電気はこっちだ、エアコンは使い放題、テレビはこれだ、冷蔵庫はここだ。タバコはそこの階段で吸ってくれ。どうした!なにがあった!ゴキブリか!大丈夫か!
 部屋の鍵の閉め方を説明するのに五分も時間を要したのには流石に笑った。一通り説明し終わった時に、僕はインドのマニプール州やシッキム州に行ったことがあるよとオッサンに言うと「そうか」とにっこり嬉しそうに微笑んだ。さきほどまであった後悔はいつしか消えていた。もうここで良いか。
 しかし、案内してくれた部屋の狭さには驚かされた。広さは二畳ほどの全面タイル張りで窓は無い。天井はピンク色(どこでもドアと同じ色)。ドアを開けるとシングルベッドの角にドアが擦れる。枕は脂臭い。おそらく洗っていない。シャワー室と便所は共同。これではまるで独房ではないか!面白がって部屋の写真を友人に送ると「便所みたいな部屋ですね。服にウンコ付いてますよ」と返事が来た。リュックサックを肩から下ろし、ベッドへ倒れこむとそのまま泥のように眠ってしまった。



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右に立っている男性に「出身はどこか」と聞くと「ソマリアだ」と答えた。
修羅の国ソマリア! 家族をソマリアへ残してひとり出稼ぎに来たそうだ。
職業はあえて聞かなかった。

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重慶大厦名物大混雑エレベーター
四階にあるゴールデンゲストハウスへ上るのに十分かかった。

  目を覚ますと二〇時だった。汚いベッドに臭い枕、狭い上に窓がない。そんな部屋だが案外ぐっすり眠れるもんだなと感心した。香港初日は豪華なものを食べてやろうと思い立ち、外へ出る準備をした。外出している間にビデオカメラを充電しておこうとリュックから充電器を取り出すと、それはKORGのシンセサイザーの電源アダプターだった。充電器と間違えて持って来てしまったようだ。がっかりした。
 外はすっかり暗くなっていた。街は昼間に比べるとより一層賑わいを見せていた。重慶大厦内は観光客でごった返し、キャッチが声を荒げて客引きしている。
 ネイザンロードを北へ進み、あてもなくぶらついてみる。さて、なにを食べようか。しかし、どうしてこうも香港の街はこんなにも歩き辛いのか。通りを挟んだあそこの店を見てみたいな、と思い信号のある交差点へ向かうと、横断歩道は五〇メートルも向こうにあったり、あっちに渡りたいのに横断歩道ははるか数百メートル先だったり、歩道橋が妙に高くて登る気が失せたり、気が滅入ってしまう。もっともタクシーやなんかを使えば目的地まで楽々と運んでくれるが、貧乏旅行かつ目的なく街をぶらついている者にとっては大変苦労する国である。
 街はネオンサインが煌めき、道路は昼間よりも交通量が増している。イギリス統治時代の名残りである二階建てバスが、ビルから突き出た看板をすれすれに縦横無尽走り回っている。若者たちはタピオカドリンクを片手に屋台を冷やかす。メガネに水滴が付着した。雨かな?と思い空を見上げると、ビルに張り付いた無数の室外機が小雨のように水滴を降らしていた。大通りから一歩路地へ入れば歩道は人で埋め尽くされ、歩きタバコと歩きスマホに注意しながら歩かなくてはいけない。歩道に等間隔に突き出た謎の鉄棒に日本人ビジネスマンが躓き「なんでこんなところに棒が出てるんだ?」と部下と思しき人に文句を言う。「ハハ…なんでですかね」と部下は愛想笑い。この時期に香港へ出張か。大変だなあ。
 僕はしばらく街をぶらついた。映像で見た返還前の香港の雰囲気を少し感じ取ることができて、とてもワクワクした。
 「初日だから豪華な食事を!」と腹を空かせて街を飛びし料理屋を見て回ったが、どれもこれも観光客向けレストランばかりで、値が張るものが多い。二人組の若い日本人観光客が「ここで良いか」と言って入った中華料理屋のメニュー表には一品で五〇香港ドル〜七〇香港ドルの料理ばかり。メイン料理は百ドル以上もするではないか。一食あたり六〇香港ドルと考えていたので、がっくし肩を落とす。毎食百ドルも使っていたら二日ともたない。いままで物価の安い国ばかり旅行していたために香港の物価の高さには驚愕!ひょっとして日本より物価が高いんじゃないのか!
 豪華な食事をしたかったが今後のことを考えると、やはり節約しなければいけない。とぼとぼ歩いていると金馬倫道と言われる小さな通りに出た。どんなに小さい通りでも名前がついていることに親近感を覚えた。すると突然、赤ちゃん特有のうんこ臭のようなものが強烈にどこからか漂ってくる。なんだこれは!匂いを頼りに歩いていくと、ある店の前にたどり着いた。店の看板には「大師傅粥品」と書いてあった。なるほど、赤ちゃんうんこ臭の正体はお粥の匂いだったのか。
 値段を見てみると、お粥が丼に並々入って十五ドル〜五〇ドルで、種類も豊富!店頭に並んだ中国式揚げパンやドーナッツも美味そうだ。
 
 僕はここ半年ほど炭水化物を一切摂取しない食生活「糖質制限ダイエット」をしていたため、お米やパンといった炭水化物を久しく食べていなかった。そのおかげで十三キロもの減量に成功したが、炭水化物を制限するのは大変な苦労だった。大好きだった寿司や蒙古タンメン中本、コーラにポテチ。チョコミントアイス。その全てを断ち切ったのだ。想像するだけでググっと腹が鳴る。唾が口いっぱいに分泌される。ああ!身体が炭水化物欲している!目標の体重まで達成したが、リバウンドを恐れて未だ炭水化物の類に手を出さないでいた。このダイエット方法は誰でもすぐに簡単に始められることができるが、このダイエット方法は金がかかる。主食である米やパン、麺を抜くかわりに、肉や野菜などのおかずを増やさなければならなかったからだ。少々値が張るが、例えば日本では、コンビニやスーパーなどで焼き鳥やフライドチキンなんかを手軽に買えることができるし、コンビニ並みに増えた牛丼チェーン店「松屋」で焼肉定食のご飯を豆腐(塩ダレ冷奴)に変更する事で炭水化物を摂取せずに肉、野菜サラダ、味噌汁、豆腐からなる四品で構成されたボリューム満点の定食を食べることができる(それでも、ふつうの定食の値段より豆腐へ変更した分少し高くなる)。こうして僕はたったの数ヶ月で十三キロの減量に成功した。なんども言うが、このダイエットは金がかかるのだ。

 金がかかるのだ!

 このダイエットが香港でもできるかといったら、そうはいかない。コンビニへ行ってももちろん焼き鳥は無いし、ファミチキも無い。レストランへ行って肉だけの料理を頼もうにも、前述した通り金がかかりすぎる。頭の中で「節約」と「ダイエット継続」を天秤にかけた。

「一食くらいなら、いいだろう」

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 久し振りに食べた炭水化物オンパレード罪悪感マシマシ定食はめちゃくちゃに美味しかった。米粒がなくなるほどに煮込まれた粥はなんとも優しい味わい!ほのかな甘みにほのかな塩気。こんなシンプルな味付けにもかかわらず、最後の一滴まで飽きずに食べきった。おかわりが欲しいくらいだ。中国式揚げパンは一口食べると口の中に油がジュワッと広がり、香ばしい揚げたての香りが鼻の奥を抜けていく。カリカリの食感と素朴な甘みが病みつきになる。口いっぱいになった揚げパンを冷えたコカコーラで流し込むと、それはそれはもう悪魔的な爽快感。値段も全部で六〇ドルほど!質素な食事だったが、僕にとっては贅沢で豪華な食事だった。「大師傅粥品」また来よう。
 
 重慶大厦の一階のインド料理屋でサモサとビールをテイクアウトしてから、ヒマラヤゲストハウスに戻った。
 ベッドに横たわってサモサを食べながら明日の予定を考える。
 毎日目まぐるしく変化する香港情勢は、ガイドブックや情報誌の類は全く役に立たない。どこで情報を収集するかと言うと、それはツイッターだ。
 僕は香港行きを決めた一ヶ月前から香港のデモ情報、交通情報を発信してくれるツイッターアカウントを片っ端からフォローしていた。情報収集するためにフォローしたアカウントは下記の通りである。

 ・香港反政府デモ情報館 @HKnewsJP

    ・香港デモ情報     @hongkongdemojh

 ・AYA(香港在住の日本人の個人アカウント) @ayanohk

 ・周庭 Agnes Chow Ting (香港衆志メンバー) @chowtingagnes

 ・Rie りえ (香港在住日本人タレント)     @japanavi

 ・Hong Kong Free Press @HongKongFP

 デモの動きや警察と機動隊によるデモ隊への強制排除に伴う催涙ガスや不正逮捕の注意勧告、いつどこで衝突が起きているかなどをチェックするのに大変役に立つ。これから香港へ行く予定がある人はフォローしておくと便利だ。ツイッター以外にもFacebookやInstagram、在香港日本国総領事館のサイトなどでデモ情報をチェックすることはできるが、それらは予め予定されている抗議活動の情報しか記載されていない場合が多い。上記のアカウントの方は突発的に起きる抗議活動の情報をいち早く日本語と英語で発信してくれるので強くお勧めする。
 これは帰国してから存在を知ったが「HK map」というiPhoneアプリがとても興味深い。このアプリは警察や機動隊の目撃情報、交通情報、取締情報などの位置情報がリアルタイムで見ることができる。言語は広東語だが、マップに表記されているアイコンを見ればその意味がなんとなくわかる。例えば「犬」のマークは警察官。「パトカー」のマークは警察車両。

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アイコンをタップすると詳細が表示される


 残念ながら二〇一九年十月にアップルは「HK map」のアプリダウンロードを停止してしまった。アップルは停止した理由を「香港の法執行機関や住民を危険にさらす方法でアプリが使われていることが分かったため」とアプリ運営者に対し説明している。中国共産党機関紙がアプリを批判する記事を掲載した直後のことだった。

 ツイッターの情報によると明日の夕方にMTR荃湾線の終着駅「荃湾駅」にて学生たちによる手繋ぎ運動があるという。「手繋ぎ運動」とは運動参加者同士で手を繋ぎ「人間の鎖」を形成して抗議の声を上げる平和的なデモだ。同日の昼にも香港科技大学周辺で同様の抗議活動が行われるらしい。どちらに行こうか迷った。


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 そこで荃湾の情報を調べてみると「香港の古き良き下町を感じることができる街」という紹介が掲載されたブログがいくつか出てきた。写真を見てみると確かに下町っぽい。香港中心部とはまた違う雰囲気の活気がありそうだ。それに後者の抗議活動の参加者は大学生なのに対して、前者は荃湾周辺の学校に通う高校生や中学生が参加するという。しかも荃湾駅は宿のある重慶大厦の最寄駅尖沙咀駅から乗り換えずに一本で行くことができる。
 
 決めた。明日は荃湾へ行こう。ビールを一気飲みすると、すぐに酔いが回ってきた。僕はシャワーを浴びずにそのままの格好で寝た。

 その4に続く。

 
 

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