スピリチュアル リテラシー
スピリチュアルspiritualって聞いて、アヤシイ、イカガワシイって感じる方もいらっしゃるかもしれません。
実は、私の働いている緩和ケアの現場では、結構フツーに、当たり前のこととして、この言葉をよく使ってます。
もちろん、それぞれの医療機関で求められる役割がありますし、病気のステージがありますので、スピリチュアルの「ス」の字も言わない事もあります。
緩和ケアで緩和するもの
緩和ケアって、何を緩和するのか?
それは、
患者さん・ご家族の
全人的苦痛(トータル・ペインtotal pain)です。
全人的苦痛(トータル・ペイン)の4つの側面
痛みを大きな原因別に分けて、それぞれ名前をつけると、4つあります。
①身体的苦痛:体の痛みにも色々ありますが、ここでは省略します。
②精神的苦痛:不安とか心配とか、イライラとか、悲しいとか、心の辛さ
③社会的苦痛:仕事が続けられないとか、父親・母親の役目が果たせないとか、経済的に辛いとか
(簡単に思いつくまま書きましたので、気になる方は、ググッてみて下さいね。)
というのは元々あった分け方なのですが、
「いやーそれだけじゃ済まないでしょー」という考え方は、根底にずっと、あって、
その意識に追いつき見合う形で、
WHO世界保健機構が、確か1990年代後半(正確な年は忘れちゃいました。看護師になろうなんてコレッポッチもなかった頃ですが、知り合いの病院の奥様がちょっと興奮気味に伝えてくださったのを覚えています)に、
全人的苦痛の一つとして、4番目に、このスピリチュアル・ペインspiritual painの概念を加えたという経緯があります。
スピリチュアル・ペインって何?
日本語にすると、霊的苦痛。魂の痛みという言葉になります。
で、「結局、それって何?どういう痛み?」
ってなりますね。
スピリチュアルspiritualは言わずもがな、スピリットspirit魂、霊性の形容詞。
私個人の見解は、
タマシイ=本質だと思っています。なので、spiritual painとは、本質に関わる痛み、生きる上での本質的痛み・苦しみだと理解しています。
普段、日常に埋没してしまいがちな、本質的なもの、つまり、魂が、例えば生命に関わる病気とか、何か危機的状況になった時、むき出しになって、向き合う苦痛。
あれっ、なんか、間違えた?私って、このまま、生きてていいの?やっぱり、何か、間違えてない?こんなはずじゃなかったよね?私の生きる意味って何?生きるって、死ぬって何?
という、タマシイの叫び。
わざと軽めにかきましたが、実際は、鋭いナイフを突きつけられたような、あるいは、実際、魂から血が流れるような、とても苦しいものだと思います。
叫べれば少しは楽になるかもしれませんが、それさえ出来ず、深ーく沈んでいき、溺れそうになる事もあると思います。
わかった風な事を言うなとお叱りを受けるのを承知で書きました。
日常のなかのスピリチュアル
ふつふつと湧き上がってくるのは、spiritualって、緩和ケア病棟でだけ、フツーに使われるだけじゃ勿体ない!ということです。
人間の本質であるspiritは、決して、アヤシイものではないし、イカガワシイものでもないかと感じます。
日本には、元々、八百万の神が全てのものに宿るという素晴らしい考え方があって、
それは、まさに、spiritual。
それは、日本人のDNA(日本人だけでなく、ネイティブ・アメリカンとか、アボリジニとか、知らない国の知らない民族)の中に刷り込まれているかと思います。
私達の中にも間違いなくspiritがあるということは、WHOが言っても言わなくても、ステキな真実だと感じてます。
危機的状況になってから向き合うというより、むしろ、日常的に、もっと、フツーに、当たり前に、使っていいというのが、私の強くお伝えしたいことです。
つまり、スピリチュアル・リテラシー高めの世界で生きたい
というのが、今日の私のスピリチュアル的声明です。
Aさん「最近、どう?」
Bさん「調子いいよ。ちゃんと魂の声きいてるからねー」
Aさん「いいね!」
というような会話を、日常のいろんな場所で、小声じゃなく、親しい人達と言いあいたいなぁ、という願いがあります。
4つの全人的苦痛は、決して、別々に、独立した痛みではありません。
全て、繋がっています。
トータルで人間や生物や世界をみていくという考え方がとても大切だと実感しています。
どれ一つ欠けても不自然なのです。
身体、心、社会、魂、それらが、相互に関係し合いながら、循環していくというのが、本来の生命の生かし方ではないでしょうか。
まさに、SDGsです。
だから、身体、精神、社会という言葉達が正々堂々使えて、スピリチュアルという言葉が、肩身が狭いようなところがあるとしたら、
そこを、
思いっきり、吹き飛ばして、解放したいと思います。
スピリチュアル・リテラシー、多分こんな言葉はないかも、造語、と思ったら、めちゃくちゃ、色んな方がこの言葉でアウトプットされてました!「おはずかしやー」ですが、遅ればせながらも、一個人の未熟な解釈として、まっ、いっか!という感じで、投稿しようと思ってます。
なので、こうして私がゴチャゴチャ言わなくても、自然とスピリチュアル・リテラシーが浸透してる、もうそういう時代なんですね。
楽しみな時代に突入ですね。
赤毛のアンが、ダイアナやマシューのことを、「こころの友」と呼びますが、英語で言うと、キンドレッド・スピリットkindred spirit(同類の魂を持つ人)です。どうでもいいような私事ですが、私の好きな英語表現の中でのナンバー2です。
ちなみに、ナンバー1はオーセンティックauthentic、「本物の、本質の、ごまかしのない」とかいう意味になるかと思います。
そして、昨日は、蠍座新月でしたね。
蠍座は深く本質と繋がる星座です。そして、支配星は、前回記事に出てきた冥王星。その破壊と再生のパワーが、本質的な何かを変化変容させていくような、星まわりです。
この風の時代、世の中は、もっと、本質をみて広げていく時代へとなっていきそうですよね。
つまり、オーセンティック・ライフを生きる時代!ごまかし・まやかしの通用しない風が吹いていると感じます。
その風に乗ってスピリチュアル・リテラシーの光が日常に降り注ぎますように。
昨日、はてなブログに、投稿しました。いまだに、棲み分けがわからず、シーソーゲームのように、気の赴くままに書いてます。よろしかったら、こちらも、覗いてみてください。↓
加茂谷真紀さんの「愛のエネルギー家事」という素敵な本について書いてます。
でも、この棲み分け、どうするのかなぁ?皆さん、どうされていますか?
kindred spiritsの皆さま、
最後まで読んで頂きありがとうございました。
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