大丈夫だと伝えたい
坂口恭平さんに電話をかけたことがある。
10年くらい前のことだ。
どういう方かよく知らなかったが、
電話番号が公開されていたから。
◯にたい!
と言える場所を探していた。
何でも相談できる先輩や友達や
知り合いはいた。家族もいる。
でも、その人たちにも生活はあるわけで、これ以上、迷惑かけたくないという気持ちと、愛想つかされたらどうしようという不安があって。
だから専門の機関を探した。
公的機関の、いわゆる『いのちの電話』の類いは、概ねいつかけても繋がらなかった。
それだけ自分みたいな人が多いのだろう…と冷静に思う反面、頼むよ、繋がってくれよ、とも思った。
藁にもすがる思いでネットを彷徨い、見つけたのが坂口さんの電話だった。
震える指で番号を押した。
プルルルル
呼び出し音が鳴ってる途中、やっぱり切ろうかとも思ったが、切る寸でのところで「はい!」と男性の声が聞こえた。
「あ、あの……」
「ごめん! 今、講演中! かけ直して!」
ガチャン
「え」
なんだよ!と思った。
でも出てくれた。
出てくれたという事実に少し救われた。
そして、かけ直しはしなかった。
最近、糸井重里さんの対談を読んだ。
なんだこの人は。
建築家で物書きで、絵も描いていて。
そして、双極性障害であるという。
『いのっちの電話』も続けてらっしゃるようだ。
というか、2人の対談を読んでいると、
読んでみても、さっぱり意味がわからない。
天才と天才の不思議な対話だった。
自分、この人に電話かけたんだ……。
今はもう大丈夫だけど、それでも時々苦しいことがあるから、あらためて坂口さんに電話をかけてみたいと思った。
いや、無理だ。
さっぱりわからないもの。
◯にたい!は、それほどしんどいってことであり、聴いてほしいってことでもある。
助けて!と言える場所があるのは、この先も、とても大切なことだと思う。
少しだけそんな経験をし、
医師や看護師さんを始め、何人かの方から寄り添う言葉をもらって救われた自分だが、同じように誰かに寄り添えるほどの人間では未だない。
一緒に沈んでいくかも知れない。
大丈夫!と肩を抱いて伝えたいけれど、ほんとにそれだけしかできないだろう。
でもやはり、そんな場所が増えてほしいし、寄り添える人が育ってほしい。
大きく言えば、もう社会全体がそんな場所であってほしい。
未来のためにできること。
オロオロしながらも、駆け寄って大丈夫だと伝え続けたい。
その人がまた別の誰かに伝えられるように。