ちょっと幸福な人の特徴

コレは私の自論から展開される、ちょっと幸福な人の特徴です。

仕事柄、様々な人を見たり、視たり、そして触れ合ったりします。
その中でたまにみる、「凄くお金持ちとかそういう訳では無いけれど何故かちょっと幸福な人」について書いていこうと思います。

お付き合いくださいませ。


僻まない。

コレはある意味最低条件なのではないか?というくらい、「ちょっと幸福な人」が当たり前にしている事です。

ちなみにココで齟齬があると嫌なので訂正しておきたいのですが「羨む」事と「僻む」事は別だと考えてください。

「羨ましいな〜」という気持ちは自分を磨く向上心に繋がったりしますが、「アイツばっかり!」という気持ちは相手もひいては自分の事も引き摺り落としてしまう気持ちだと思っています。
「ちょっと幸福な人」は人を羨む事はあっても、僻む事はしません。

例えば占いの結果を伝えた時の反応で「仕方ないわよね、私も頑張ろう」といったような反応をされる方は、まず人を「僻む」という発送がなかったりいたします。

そういう人は、当たり前のように人が集まります。

ギスギスしていないし、例え何かの拍子でギスギスしてしまったとしてもそれが自分に向く事はないだろうと想定出来るので、お付き合いがしやすいのです。

たまにSNSなどで見かける、愚痴や僻みや不満ばかりの方を、意見への同意こそすれ、「その方本人と仲良くなろう」と思いますか?

もしかしたら思うかもしれません、ただそれは「意見への同意」という共通点があるから仲良くなれるかも?と思うだけで、意見への同意すらなければ「小煩い事を言う人もいるものだ」とそっと閉じて離れるのが大抵の人の行動ではないかと思われます。

なので僻まない方は縁に恵まれ、「ちょっと幸福な人」たりうるのだと思います。


ちょっとだけ分け与える

コレは凄く難しいさじ加減だと思います。
沢山のものを分け与える人はたかられるようになり、周りに人が沢山居たとしても物があったとしても幸福そうには見えません。

かと言って、ケチな人は言わずもがな、あんまり人は寄り付きませんし、沢山の物を抱えていても幸福そうには見えませんね。

本当に「ちょっとだけ」分け与える。
「ほんの少し、余裕があるだけ」分け与える。

のが大事だと思っています。

ココでお恥ずかしいエピソードをひとつ。

私はかつて「大量に周りに切り与える」人でした。
「切り与える」という表現をしたのは「身を削ってまで人に分け与える」事をしていたからです。

そうすれば皆で幸せになれる、と思い込んでいたお馬鹿でした。

結局の所は心身を壊し、壊して「与える」事が出来なくなった途端に色んな人に見限られ、お金だけではなく心も何もかもが「素寒貧」になってしまいました。

結局の所は「沢山分け与える」人はカモにしかなり得ないのです。その心にどんな高尚な願いがあったとしても、それすらも付け狙われて終わりです。

なので、本当に「余裕があるだけ分け与える」のが大事です。

コンビニでお買い物をした時に、ほんの少しレジに置いてある募金箱に入れるような、そんな気持ち。
多くはないけれど、コレでちょっとだけHappyになってくれたらな、とご祝儀やプレゼントを包むような気持ち。

その「誰かの幸せを願う」気持ちは巡り巡って「誰かが自分の幸せを願ってくれる」事に繋がると思います。

でも、最初からそういう下心丸出しでやってはいけません。同じように下心丸出しで触れられてしまうだけだから。

だから、「ちょっとだけ分け与える」は難しくて、色んな人が1回は失敗を経験してしまうのだと思います。お金でも知識でも能力でも、分け与える事の失敗は多く聞きます。

よく笑う

コレは凄く幸せな人の特徴なのでは?と思う人も少なくないかと思います。
幸せだから、笑うのではないか?と皆様思うかもしれません。

「ちょっと幸福な人」は、一見「そんな事で笑うの?」と思ってしまうような事でも楽しそうにニコニコしています。

例えば、話しかけただけでニコニコと笑うお友達。その人は「だって、お友達のあなたが元気そうに話しかけるモノだから嬉しくて」と言って笑うのです。

それ以外にも道端で元気に咲くお花を見て微笑んだり、公園の元気に遊ぶ子供を見て「楽しそうだね」と笑ったり、お天気が晴れたら「気持ちがいい」と笑って、雨が降ったら「素敵な音」と笑うのです。

その人にとってありきたりの毎日のひとつひとつが宝物で、有難い物なのです。

笑顔で、ひとつひとつを大事にし感謝を向ける……そんな人は例え凄く幸せな環境には居なくとも凄く幸せそうに見えます。

最近の自己啓発の本にはよく「小さな幸せに目を向けて感謝してみよう」と書かれていますが、彼、彼女らはそれを自然に行っているのです。

だから幸せそうに移りますし、そのそばにいる人たちもなんだかほんわかと幸せになってしまいます(ここでたまにそういう人間を「僻んで、悪くいう」人が居ますが、そういう人は言わずもがなだと思ってます)。


最後に

「ちょっと幸福な人」は、普通の人から見たら結構ハードルが高い事をしている印象がありますね。

「そんな事言ったってどうしても僻んでしまう……」

「私には分け与えるなんて難しい」

「そんな事で笑えたら苦労しない」

そう思ってしまう方も多いでしょう。

ここでキツい事を言いますが、そうやって「出来ない出来ない」と言ってるうちは幸福は避けて通ります。

ほんのちょっとだけ、「アイツばっかり妬ましいけど、それなりに努力したんだろうな」

「1円くらいなら、募金箱に入れても大丈夫かな?」

「笑う事は出来ないけれど、(道端のお花に)綺麗だねって思ってみよう」と、変わる努力をしてみてください。

「ちょっとだけ」難しいと思う所に踏み込んでみるのが「ちょっと幸福な人」へ近づく道だと思います。

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