特別な存在。
アナタは、特別な存在でありたいと思った事があるだろうか。
あるのだとしたら、この記事はあまり愉快な記事ではないかもしれない。
今回は私の「思い」の整理にお付き合い頂きたい。
つまり、何がいいたいかと言うとこの先は乱文の書き散らかしなのをご承知の上でおすすみください。
特別ということ。
特別な存在になりたいと思う人は多い。
特に、恋する乙女には特別な人に特別に思われたい……つまり両想いになりたい方が多いのは当然だ。
こうして、自分で書いていてもやはり違和感を感じる。
「1番に愛されたい」であればわかるのだ。
「特別になりたい」とは、なんだろう?
特別じゃなくて、いいじゃあないか。
1番に愛されているのならいいじゃあないか。
尊敬されているのならいいじゃあないか。
何故「普通に慈しまれる」のではダメなのだろう。
残念ながらこの記事の作者は、ここに至ってなお「自分は平凡である」と思い込んでいるので、そういった方々の気持ちを理解する事は出来ない。
それでも、その裏にどういった現象があるか把握する事は出来るのだ。
たいていの場合、特別を望む人間は特別でないと愛されない、大事にされないと思っている。
普通や平凡は蔑ろにされて当然と思っているのだ。
その裏にあるのは、今まで蔑ろにされてきた記憶や感覚。
大事にされなかった悲しみや、怒り。
ほんの少しくらい特別に憧れる程度ならばそんな事も無いのだが、異常な程に特別特別特別……とまるで特別扱い以外要らないかのような人には、たいてい蔑ろにされてきた今までがある。
そんな私は特別な存在なのだと思いました。
とは、有名な美味しい飴ちゃんの有名なCM内の台詞だ。
ここに見られるように、「特別」なのは素晴らしい事……そんな風潮が世の中にはある。
でも、今一度考えて欲しい。
特別はそんなにいいモノなのだろうか。
嘘をつき、罪をおかし、人を騙して欺いて、そこまでして手に入れる程素晴らしいモノなのだろうか。
そこまでしなくとも、特別ではないからと嘆き悲しむ程のモノなのだろうか。
散々乱文を書き連ねてしまったが、アナタが少しでも特別を望んだ事があるのであれば、特別になる方法よりも先に自分を苦しめている傷はないか、考えて欲しい。
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